民衆
ファーマキア(φαρμακεία):魔術、医療、薬
「なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術(φαρμακεία)にだまされていたからだ。(ヨハネの黙示録 18章23節)」
死ぬまで、ファーマキア(φαρμακεία)に悩まされ続けるのかな。魔術でラリっているほうが多数派。私にはこの魔術は解けない。本当に厄介。 (11/3 FB記事より)
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自称覚醒者は、この茶番を信じている人たちを”羊”と言ったりする。
私は覚醒しているとは思わないが、少なくとも医療や薬という「魔術」は、怪しいもので、人々を不幸にするものだと思っている。コロナ騒ぎはその延長上にある。だから「覚醒」という言葉はピンと来ない。ただ、前回の記事にも書いたとおり、私は「民衆」の本質から外れている人間だと思っている。
今は、民衆とはそういうものだと理解している。昔は識字率が低かったからだと考えられていたが、それは関係がないことは現状を見れば明らかだ。賢いかおバカかではなく、民衆の本質から外れているか外れていないかということだと思う。(「投げ捨てる」より)
”羊”というのは、キリスト教から来ているのだろうか。羊飼いが良い人であれば、そのほうが幸せだと思う。自称覚醒者たちは、その羊飼いが悪い人たちだと思っているのだろう。
でも、正直、「民」のほうがエグい。
「民」という字は、「黒目のない目をはりでつきさすようすをあらわした字」で、「はりで目をついて、目を見えなくした」奴隷をあらわす。
(『小学生の絵でみる漢字辞典』より)
私は、自分の”目”で見えるものを信じて、観察した結果として、コロナ騒ぎは茶番だと思うし、医療や薬は「黙示録」に書いてあるとおり魔術だと思う。そう思うのは、私の目には針がささっていないからだと思う。
ちなみに「衆」は
じゃあ、目を突き刺す針は何なのか?
先日、片岡ジョージさんが、講演の中でおっしゃっていたけれど、不調やトラブルの原因が自分自身にあるのではなく、自分以外であるほうがいい、だから、民衆と、医療・製薬会社はwin-winの関係なんだと。
たとえ、自分の不摂生で体調が悪くなったとしても、外からヤバい病原菌が来たことを原因にすれば、自分は悪くない、となる。そこへ、救世主として医療や薬があって、治して”もらう”。治らなければ、医者が悪いと言うか、天を仰いで運が悪かったと涙する。
コロナ騒ぎで色々なことが分かったが、一番驚いたのは「細菌病原説は仮説である」ということ。細菌病原説って、医療の屋台骨。だけど、誰もこの仮説を証明していないそうだ(コッホの4原則)。
という真実があったとしても、どうでもいいのだろう。「自分は悪くない」とお金儲けのほうが大事だから。
「目を突き刺した針」を一言で表わす適当な言葉が思い浮かばないのだけれど、強いて言えば「人間の弱さ」かもしれない。
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高齢で一人暮らしの姑と、来年、春から同居する。
近所のかかりつけ医から12剤。プラス整形外科から1剤と痛み止め。これを異常だと思うのは、私だけ。何年も飲んでいるから、減薬して調子が悪くなるのもまずい。施設にも病院にも行きたくないと言う以上、この医者に死亡診断書を書いてもらわなければならない。(11/3 FB記事より)
本当は、気づいてもらって、根本的なところから改善するのがいいのだろうけれど、”民衆”に合理的な話をしても、通じないし、不仲になるだけ。少しでも状態、状況をよくするためには、どうすればいいのかを考えるほうが得策。
「分かってもらおう」という段階はもう終わった。これからは、”民衆”側にいる人に、どうやって軟着陸してもらうか、それを考える段階。
分かってもらってからの改善が10段階で8まで行けるとしたら、マイナスにならなければいい、3でも御の字。だから3を目指せばいい。
薬害とは、おさらばしたいし、おさらばしたと思っていたのに、まだまだお付き合いが続きそうだ。大嫌いなのにね。
(タイトル画像:https://joe3taro.com/ より)
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