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積極的に求めた先のこころの触れ合いとは何か見つめた結果。
こんにちは。
先日、このnoteを書いた、「積極的」に求めた先の「こころの触れ合い」を考えては、腹落ち感半端ないわたしです。
なんでそんなに腹落ちがすごいのかというエピソードを2つ。
1つ目は、今、働いているところで、「⚫⚫ちゃん、(私)、お昼持ってきたー?一緒に食べよー」とよく声をかけてくださる方がいます。
この方、なんとなく1人ごはんが苦手な方なのかなと思ったり、そして1人で食べたい時はやんわり断って1人時間を確保している私です。
ただ、これも考えてみると、その方が「積極的に」、「わたしと」、関わってくださっているから、そのお誘いを受けられるんですよね。
そう考えると有難いなと思います。有難い。感謝です。
2つ目は、先日、今年から幼稚園にあがる子供ちゃんをもつ友人と、子供ちゃんと遊んできました。
「会いたい」、「遊びたい」、と双方意思表示はずっとしていたけれど、実際に、1度日程調整したことはあったものの、その時は私の方のタイミングではなかったようで、流れてしまいました。つまり「積極的に求めてはいるものの、わたしがきちんと受け取れなかった」ということだと思います。約束をした後は、子供ちゃんも楽しみにしていてくれるのを知っていたので、かならず守れる時にしたかった。
そしてわたしは、入園前にもう1回遊びたかった。会いたかった。なので、「この日はどう?」と提案し、その日行けるようなお休みの取り方をしました。ここでは、「積極的に求め、それを受け取れるようにした」。そして友人も、「(積極的に)予定をあけておいてくれた」。
結果、たんまり遊ぶことができました。いつになくたくさんくっついてきてくれた子供ちゃん。楽しみにしててくれてありがとう。懐いてくれてありがとう。これからどんな人と出会い、どんな風にまた大きくなっていくのかな。楽しみだね。
1つ目のエピソードは、「相手」が「積極的」に「求めてきて」くれて、「わたしが応えた」形のこころの触れ合い。でも嫌じゃないから「わたしも積極的に応える」。「NOと思う日(一人でいたい日)は、お断りする」。
2つ目のエピソードは、「わたし」が「積極的」に「求めて」、「相手が受け取ってくれた」形のこころの触れ合い。
どちらも、「積極的」に求めた一方があり、「相手」が「受け取ってくれた」からこその「こころの触れ合い」。
決してなりゆき任せではなく、流されたわけではなく、前者のお話も、後者のお話も、
どちらかに、
その意思があり、
積極的に、
求めた結果、
できたこころの触れ合い
なんですよね。
そう考えると、本当に人間関係は、「積極的に求めた先のこころの触れ合い」であるんだなと思います。
仕事や学校で会う人達とは「約束」しなくても「いつでも会える」。でもその人とは「積極的」ではないので、「そのままで終わらそうと思えば終わらせられる」のです。1つ目のエピソードがまさにそれで、「お昼をどうするか」なんて、「積極的」に動かなかったらバラバラに食べてたわけで。「相手の気持ちすらわたしは知らなかった」わけで。
その他の時間を「あなた」と過ごしたいなと思った時には、「積極的=能動的」に動かないと相手には伝わらない。
ということがよく分かり、また、腹落ち。
なので、わたしは、一緒にいたい人とは、「積極的」に「関わることのできる人」でいたいなと思います。
そして、わたしの「積極的」なそれを、可能な範囲で受け取ってくれる人と出会えたら、最高にハッピーなんだろうなと、思います。