1.死のふりをした生
死とは、長い付き合いの友人みたいなものだった。
最初におまえを認識したのは、中学生の時だ。「機能不全家庭」という事実をどうしても飲み込まなくてはいけなくなったとき、傍らにおまえがいた。
こんなにもちいさく、こんなにもしずかに、こんなにも確実に、死というおまえは魂の臭いをぷんぷん漂わせて、泣きもわらいもせず私のとなりにいた。
その悪臭にあてられ、私は泣き叫んだ。
「とうさん、かあさん、おねがいだから仲良くして」
死は、私のほうへにじり寄る。
私は部屋のかどに追いやられ、母の罵声と蹴りの痛みを受け止めつづけた。死は、私をだきしめた。その抱擁は、まるで私に「動くな」と言っているようだった。
きょう、久々に死の尊顔を真正面から見た。以前より、やわらかい顔つきになっていた。私の生命の蝋燭が、ぢりぢりみじかくなっているからだろう。なんとすがすがしい。
死と最後にきちんと逢ったのは、私が昨年事故に遭ったときだった。あのとき私は、おまえに言った。
「なぜ、連れていってくれなかったんだ」
はっきり、聞こえるように言った。なのにおまえは、私を連れていってはくれなかった。顔と鎌だけのぞかせて、ほんとうに嫌な奴だ。何度も何度も死をちらつかせては、私に「まだ来るな」ともてあそぶ。
おまえの玩具になって二十年が経つ。新しい玩具をあてがえとは思わないが、そろそろ私を解放してくれ。
おまえは言う。
「生に嫌われた者の足跡こそ、わたしの糧である」
よく分かる。
取り返しのつかない年齢になって、やっと分かったのだ。健康な人間は、そもそも「生きてやる」と奮い立たせながら毎日生きてはいないことを。
そして、新たな発見もあった。
死よ。おまえは死のローブを纏ってはいるが、ほんとうは死のふりをした生なのではないか。精神異常を孕んだ生が、死の格好をして私を生かしてきたのではないか。どうなのだ。
問うても、またあの何とも言えぬ表情で私を見据えるだろう。なんて白々しく、生臭いんだ。