見出し画像

わたしはひとり占めしているかもしれない

わたしの身のまわりにはあれこれたくさんのモノがあって、
それに囲まれて暮らすことで、毎日変わらぬ安心感をおぼえ、
毎日変わらぬ暮らしをおくっています。


それは当たり前の日々なのだけど、
そうやって暮らせていること自体は、とても幸せなことだという自覚はあります。

わたしがこうやってとても幸せに暮らしていること。
でもそれが誰かの幸せを奪うことだったりする?とふと考えました。


世の中のあらゆるモノは無限にあるわけではなくて、
それをみんなでゆずりあって分けあって暮らしています。

公園のブランコ、代わってくれない子がいるとヤキモキしました。
でもだいたい、待っていたら順番がまわってきました。

でも今のわたしの暮らし、もしかして
ずっとブランコをひとり占めしていることになっていないかな?

わたしがずっとブランコに乗り続けることで、ブランコに乗れない子がいる。
わたしが「どうぞ」とゆずってあげないと、待っている子はずっと待つことになってしまう。
わたしが幸せすぎる暮らしを送ることで、幸せな暮らしが送れない人ができてしまう。



私は「幸せ」ではありたいけれど、「幸せすぎ」なくてもいいかなと思います。
「幸せ」って?
自分が元気で、大切な人がいて、大切な人も元気で、毎日安心して暮らせることかな。

だからわたしは、自分の暮らしを「幸せすぎ」にする「too much」なモノや、誰かを不幸にするモノが身のまわりにないか、
あとは自分を「幸せ」にしてくれていたモノを
これから探してみることにしました。
誰かを不幸にするモノというのは、それを使うことで海が汚れてしまうとか、あとはそれを作る段階で誰かつらい思いをしているとか。


でも、わたしはここで断捨離を宣言しているわけではありません。
わたし、断捨離が得意ではないのです。
何でもかんでもごみ袋に詰めて捨てる。自分の視界から消し去る。
でもそれは、気をつけないと誰かを不幸にしていることになるかも、と思います。
誰かにゆずる、私もゆずってもらう、という方法をとってみようと思います。
最近はプラスチックが悪者として扱われています。けれどはるか昔に買ったいまなお現役のプラスチックは、これからも大切に使えばいいのかなと思います。
思い出深いものや愛着のあるものは、ずっとしまって時々ながめ、心の栄養にしたいし、
修理やリメイクでお付き合いが長くなるようにもしたい。

わたしと、まわりの人みんなが同じくらい「幸せ」と感じられるように。
わたしなりの暮らしの「芯」を見つけるためのnoteを始めようと思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?