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多者択一による、燃える決断が減った

この記事を見てくださり、ありがとうございます。
文脈も構造もない文章でが、皆さん行動や考えのきっかけになることができれば嬉しいことはありません。どうぞお付き合いくださいませ。


自己啓発本を読み漁っていて、あるフレーズに引っかかった。

「常にお客様には3つの案を持っていくと良い」と。

まぁ確かにそうだなとは思う。
1つの案しか持っていかなかった場合は、その案に対して「YesかNo」で判断されるから、自分の意見が採用される可能性は50%以下になる。
なぜここで「50%以下」と表現したのか。お客様側の立場を考えてみてほしい。案を1つしか持ってきていない取引相手と今後も取引を継続したいと思うだろうか?まぁないだろう。不信感を抱かれるだろうし「この人仕事できないんじゃない?」と思われてしまう。その1つの案でお客様を納得できることはなかなか難しい。お客様と私たちにとってWin-Winになる案を1つにギューっと濃縮還元することはまず無理だろう。

・「我々にとって譲ることができない案」
・「お客様にとて譲ることができない案」
・「上記の二つをもとに、両方にとってメリットのある案」

これぐらいの案を持って行くのが良いだろうと思う。こうすることで、自分たち寄りの意見を提示することができつつ、お客様に譲歩した案を2つ提示できるという完璧なバランス。自分たち寄りの意見を提示できるのが強いと個人的には思う。お客様に「私たちとしましては。。。」とやんわりと把握させることができるから。多分?笑
この案をもとに、お客様は1つの案を脱落させ(ほぼ高確率で我々にとって譲ることができない案を脱落させるだろう)、二者択一に持っていく。

※ここら辺から私の思考は、スケール一気に大きいものになりぶっ飛び始める。ついてきてくださいませ。

そもそもよ、昔はほとん二者択一だったのではないかと思う。
昔といっても、江戸時代とかじゃなくて原始時代まで遡っちゃうけども!

「生きる」か「死ぬ」か。このどちらかしかない世界だったのでは?
「戦う」か「逃げる」かもあっただろう。どちらにしても二者択一の世界であったと思う。氷河期も一緒よ。「生き残る」か「死ぬ」かのどちらかしか選ぶことはできない。人類含め太古の生物たちは、この二者択一の世界で生きてきたのではなかろうか?なら、現世はどうか?

※ほんとにぶっ飛んでますよね、理解しづらくて申し訳ございません。

今は、文明の進歩が目覚ましく、たったの情報で予測できることが多くなりすぎた、100とか?200とか?まぁかなり細かく考えることになってしまった。自分のリスクを考えるようになってしまった。
生きるか死ぬかの二者択一ではなく。どのように生きるか、どのように死ぬか。多者択一の状態になっている。そりゃ選べるわけがないだろう。
選べずに、ウワァァってなっちまうだろうよ。
そもそも察知できるようになりすぎている。情報を得やすくなりすぎている。不安を抱えやすくなりすぎている。
じゃぁ、なぜ情報が察知しやすくなったことで自殺者が増えてしまうのだろうか。メリットだけを享受することはできないのであろうか?
そうか、情報を取捨選択できるようになったことで自分の興味がある分野を積極的に収集し始めるようになるからか。その情報には自分より生活的に身分的にかならず上がいる。それも手の届かないところに。

多者択一になってしまったこの時代は、もちろんメリットはたくさんある。たくさんある方法から最適なものを選べるようになる。自分の求めていた結果を得られるようなる。自分が憧れている人、世の中的に成功している人たちと同じ方法を試すことができる。代替案がたくさんあるので、そこまで焦らなくても良い。何より失敗することがなくなる。
ただ、これは言えるのではないか?

「命をかけて命を燃やして決断することがなくなった」

この考えが頭に浮かんだときにここrの中で、膝から崩れ落ちそうになった確かにな。「とりあえずこれで行ってみよう」「失敗しても大丈夫だから」と一つ一つの決断を生半可な気持ちで下していた。悪いとは言わないが、なんともつまらない。と感じた。もっと、楽しまないと、と思った。

「この決断に命をかける」

これぐらい、ドラマチックで、エレガントで、ホットで、ゾクゾクするような決断をこれからしていきたいと思うようになった。

えー、以上です。
取り止めのない言葉の羅列で申し訳ない!
ありがとうございました!

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