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ペンドライクの戦い(ペンドレイクの戦い)

この記事はPCゲーム「Mount & Blade II: Bannerlord」のストーリーで語られるペンドライクの戦いを解説記事です。
地名、人名の表記はe1.7.1に従う。

ペンドライクの戦いは、カルラディア歴1077年にバタニア北部、ペンドライク城付近において行われた、カルラディア帝国軍とスタルジア・バタニア・ウランジア連合軍の戦いである。この戦いでスタルジア・バタニア・ウランジア連合軍は、ドロシオス・ネレッツェス率いる帝国軍を破った。この敗戦により帝国の衰退が決定的になり、ネレッツェス自身も戦死したため、ネレッツェスの愚行と呼ばれる。

背景

帝国領への侵掠を行ったスタルジアへ対して、ネレッツェスは報復を決意した。この報復戦に当たり、ネレッツェスはアセライ、フーザイトに傭兵を送るよう要請し、ウランジアへは帝国が攻撃されたら加勢するという誓いに従い参戦するように命じた。しかしウランジアの貴族達は、ネレッツェスの攻撃的な戦争へ援軍を送ることに消極的であった。それを知ったネレッツェスは、ウランジア人を臆病者と呼ぶ伝言を送った。ネレッツェスの傲慢さに激怒した貴族達は帝国への援軍を拒否し、スタルジア、バタニア側で参戦するようにダートハート王に迫った。王といえども怒った貴族達を止めることはできず、スタルジアに加勢することとなった。
バタニアは帝国と休戦協定を結んでいたが、上級王エリルが狩猟中に行方不明になり、後を継ぎ王となった養子のカラドグは、帝国への長年の恨みを晴らすため、帝国との休戦協定をやぶりスタルジアと同盟を結んだ。バタニアの貴族達は新しい王の決定を歓迎した。

会戦

緒戦

バタニア領に侵入した帝国軍は、ペンドライク城付近でアセライ、フーザイト傭兵と合流した。帝国軍がバタニアの砦に通じる山道を進もうとしているところへ、フーザイトの偵察隊がバタニアの伏兵を発見したと知らせてきた。しかし、敵が守りを固める前に山道を制圧できると踏んでいたのか、焦っていたのか、ネレッツェスはそれを無視して前衛部隊を前進させた。
前衛部隊が森の中を進撃中、突如バタニア軍の角笛が吹き鳴らされ、バタニア弓兵が攻撃を始めた。帝国の前衛部隊は弓兵を伴っていなかったので、バタニア軍から一方的な攻撃を受けることになった。四方から射掛けられる矢により帝国軍歩兵に被害が続出し、隊列が乱れた所へバタニア歩兵が雄叫びを上げなら突入し、乱戦となった。バタニア歩兵の攻撃により帝国軍の陣形は崩壊し、多くの戦死者を出した。この乱戦で逃走に成功したのはガリオスなどごく一部で、残りのほとんどは殲滅された。

地図は推定

ウランジア騎士の突撃

帝国軍とバタニア軍の歩兵同士が乱戦を行っていた時、ニムル率いるアセライ軍はネレッツェスの命令によるものか待機していた。
アセライ軍が攻撃を始めたのはバタニア弓兵が丘を下り前進を始めた時であった。アセライ軍の歩兵は槍を投げながらバタニア弓兵へ突撃した。歩兵と弓兵の接近戦では弓兵に勝ち目はなく、バタニア弓兵は後退を始めた。アセライ歩兵が追撃を始めたところにウランジア軍の騎士が到着し、アセライ歩兵の側面に突撃した。パイク兵を持たず軽歩兵が中心で、騎兵突撃への準備が出来ていなかったアセライ歩兵にウランジア騎士を止める力はなく、アセライ歩兵はすぐに敗走を始めた。ウランジア騎士がアセライ歩兵を追い散らしているところへ、ソルン率いるフーザイト軍弓騎兵が到着した。
フーザイト弓騎兵はウランジア騎士と一定の距離を保ちつつ一方的に矢を射掛けた。ウランジア騎士は馬を射殺され大きな被害を受けた。そこへウンセリー率いるウランジア軍クロスボウ兵が到着し、フーザイト弓騎兵へ攻撃を行った。弓騎兵よりクロスボウ兵の方がずっと数が多く、形勢が悪くなったフーザイト弓騎兵は退却し始めた。逃げる弓騎兵にウランジア騎士は追撃を行ったが、今度は帝国軍カタフラクトが到着した。
クロスボウ兵はカタフラクトに攻撃を行ったが、頭からつま先まで、乗っている馬にまで鎧をまとったカタフラクトには通じず、カタフラクトはクロスボウ兵を突破し、フーザイト弓騎兵、ウランジア騎士との乱戦に突入した。この戦いは野営地に後退したネレッツェスが戦死するまで続けられた。
この激戦の最中、フーザイト軍を率いていたソルンは、乗馬を殺され落馬したところをウランジア騎士の馬に蹴り殺された。

地図は推定

終局

帝国軍前衛部隊を壊滅させ、バタニア軍が略奪に夢中になっている中、ヴァンディンスラフ率いるスタルジア軍は前進し、ネレッツェスの帝国軍本隊を攻撃した。
スタルジア軍はヴァンディンスラフ王自ら先陣を切り、両軍の盾の壁が激突した。盾と盾がぶつかり合う我慢比べの戦いが繰り広げられたが、、先に音を上げたのは帝国軍だった。陣形を保てなくなった帝国軍は戦闘を中断し、野営地まで後退した。
帝国軍の野営地には城壁が備わっており、バリスタやカタパルトも設置されていた。投げ矢や岩が飛んでくる中、スタルジア軍は城壁に梯子をかけ攻撃をかけた。この戦いで先陣を切っていたヴァンディンスラフは戦死したが、
後に続いた老オレクが城壁を制圧した。この城壁を巡る攻防戦でネレッツェスは戦死してしまい、カルラディオスのドラゴンの旗も奪われた。
城壁を攻略されたことで帝国軍は野営地から撤退した。後に皇帝に即位するアレニコスが敗残兵や脱走兵をまとめ、統制を失うこと無く都まで撤退することに成功した。

地図は推定

影響

この戦いで皇帝ネレッツェスは戦死し、元老院は秩序を保って撤退に成功したアレニコスを皇帝に選んだ。しかしアレニコスは後継者を指名する前に暗殺され、これ以後カルラディア帝国は分裂し、内戦状態となった。アレニコスは統一されたカルラディア帝国最後の皇帝となった。

戦闘後、老オレクはネレッツェスの遺体からドラゴンの旗を奪い取った。しかしラガンヴァドは自分の戦利品だと主張した。老オレクは「子供のオモチャ」じゃないと言い、怒ったラガンヴァドは老オレクを殴った。老オレクは膝の上で旗の持ち手を折り、ラガンヴァドに投げつけた。
略奪にいそしみ帝国軍本隊との戦闘に加わらなかったバタニア人はスタルジア人を怒らせた。カラドグが現れた時、苛立っていたラガンヴァドはカラドグを臆病者と呼んだ。カラドグは嘲笑って立ち去り、スタルジアとバタニアの対立は決定的になった。

アセライ軍を率いたバヌ・サルラン族のニムルは栄光を勝ち取ったが、特に被害が大きかったのがバヌ・キルド族だった。ニムルは自慢ばかりするようになり、傲慢になっていった。そのバヌ・キルド族の娘がニムルに興味を持ち、密かに関係を持った。しかしそれがバヌ・キルド族の誇りを傷つけた。バヌ・キルド族はニムルを誘拐して殺害し、市場に吊し上げた。
この事件がバヌ・キルド族とバヌ・サルラン族の確執が始まりとなった。

この戦いに参加したフーザイト軍の多くはカーギット族であった。ノヤンであるソルンを始め多くの男達が戦死し、カーギット族は大打撃を受けた。
かつてカーギット族はフーザイト連合の中で最大の一族の一つであったが、さらに勢力が弱まり、アルキット族により襲撃を受けるようになった。

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