見出し画像

優しい人。


こんなことを言う友人がいた。



『俺はそんなに優しくないのに。』



彼はとても優しい。

誰に聞いても、皆、彼を優しい人だと答える。


そんな彼に、私は、

「あなたは優しすぎる。無理しないで。幸せになってほしい。」

と声をかけてしまった。



のちに彼から聞かされた。

彼は、
自分のそばにいる人を大切にしたい、
周りの人がいい気持ちでいてほしい、
そのためなら自分を差し置いて、相手を優先することを、別に苦だとは思わない、と。

だから、自分の行為を優しさだとは思っていない彼にとって、
優しすぎると言われること、
優しいが故に心配だと言われることが重荷になっていた。



彼からこの本音を聞いた私は、自分の浅はかな発言に酷く嫌気がさした。

私自身はどちらかというと、相手より自分を優先してしまう人間。
だから、自分の犠牲を厭わない彼は無理をしていると勝手に思い込み、心配の言葉を掛けてしまった。




その出来事の後、
私は、凪良ゆうさんの『流浪の月』という小説に出会った。


物語の主人公は、世間から女児誘拐の被害者と加害者というレッテルを貼られた更紗と文。

周りの人間は、更紗を“誘拐の被害に遭った可哀想な子”として、優しく同情や心配の言葉を掛ける。

しかしながら、更紗にとって文は、苦しい時に手を差し伸べてくれた理解者であり、唯一の味方だった。

周りが更紗を思いやる優しさは、更紗にとって、「普通」の押し付けでしかなかった。

しかし

そんな更紗の文を思いやった発言もまた、文に「普通」を押しつけ、文を傷つけるものだったことが、後に明らかになる。



読了後、自分の価値観、普通という概念や、周りへの優しさについて、深く疑い、考えさせられた。    


本の中で一番心に刺さった更紗の言葉がある。

どんな痛みもいつか誰かと分けあえるなんて嘘だと思う。わたしの手にも、みんなの手にも、ひとつのバッグがある。それは誰にも代わりに持ってもらえない。一生自分が抱えて歩くバッグの中に、文のそれは入っている。わたしのバッグにも入っている。中身はそれぞれちがうけれど、けっして捨てられないのだ。

『流浪の月』224ページより


人それぞれ価値観は違う。


その人の抱えるバッグの中身は、自分からははっきりと見えない。


自分が優しさだと思ってかけた言葉は、
知らないうちに相手を傷つけているかもしれない。
相手の価値観の中では、自分のエゴの押し付けかもしれない。



じゃあ優しさって一体何なんだ。





そんな堂々巡りの中、私が出した今現在の拙い答え。



優しい、は、受け取る側が決めること。


自分が相手を慮ってした行為は、
時に相手を傷付けるかもしれないが、
また時に相手はそれを優しさとして受け取り、私の言葉で救われたと言ってくれるかもしれない。




私は、私の大好きな人たちにとって、優しいと思われる存在でありたい。


だからこそ、自分の価値観の幅を広げ、相手に必要な言動をとれる人間になりたい。



人に優しくできない、
あるいは人に気を遣いすぎてしんどい、

そういう人もたまにいるけれど、
あなたの相手を想う行為は、きっと誰かに優しさとして届き、それに救われる人もいるだろう。



少なくとも、彼は、私にとって、とても優しい人。

私がしんどい時にそばで励ましてくれた人。

そして、周りからも優しい人と呼ばれる彼の価値観の広さを、
私はとても尊敬しているし、
彼にとって私も優しい人でありたいと心から思う。




柚。

いいなと思ったら応援しよう!