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#10 比較

タクヤは隣の県の病院に転院し、リハビリ生活が始まった。
タクヤはスマホを使えるようになり、頻繁にメールを送ってくるようになった。その内容は決まって「今日も暇。早く会いたい」というものだった。

私は毎回「頑張って、早く退院してね」と返信していた。

人の少ない時間帯に、私はタクヤの病院に向かうバスに乗っていた。
二人がけの席をゆったりと使い、見慣れない風景を眺めながら、考えに耽っていた。

ユウスケくんと話して楽しいひとときを過ごしたかと思えば、最後に雷を落とされるような言葉を聞くとは思ってもみなかった。
あの日から一週間、結婚のことに加えてユウスケくんのことが頭から離れず、大きな悩みが増えたせいでさらに精神的に参っていた。

考え事をしているうちに、病院前に着いていた。
もう乗客は全員降りていて、運転手が怪訝な顔でこちらを振り返っている。終点でなかったら、確実に降り過ごしていた。

バスを降りて深呼吸し、気持ちを切り替えようと試みた。
しかし、人の心はそう簡単には切り替えられない。
少しの罪悪感で背中が丸まり、視線は下に落ちていました。
重く感じる足に活を入れて、私はタクヤの病室へと向かった。

その時だった。

「エリ!」

振り返ると、そこにはタクヤがいた。
病院の廊下で、立って私に話しかけている。杖をついているとか、歩く速度が遅いとか、そんなことは些末なことだった。

『一生車椅子生活』

そう告げられたタクヤが、立って自分のもとに歩いてきている。
その事実だけで嬉しくなり、全てがどうでもよくなった。
すかさず駆け寄ろうとしたその時、タクヤがバランスを崩した。

あっ!と思った瞬間、嬉しさは引っ込んだ。
タクヤを支えに入ったのがユウスケくんだったからだ。

「タクヤ、嬉しいのは分かるけど…危なっかしいなぁ」

「悪い、ありがとなユウスケ」

ユウスケくんは押して来た車椅子に、慣れた手つきでタクヤを乗せる。
固まっている私に、タクヤが笑顔で言葉をかけた。

「今日、ユウスケも見舞いに来てくれていて、エリ、ユウスケのことは知っているよな…? 」

「もちろん。よく3人で遊びに行っていたでしょ。忘れたの?」

先週、一緒にご飯を食べに行ったことを言い出せないまま、私は少し緊張した表情を浮かべていました。

「…忘れた。それより、まだ、ちょっとしか歩けないし、足が動かなくなることもあるから、歩くときは側に一人いてくれると助かるんだ」

「タクヤは、もっと歩けるようになりたいってさ。オレが支えるから、歩けるところまで歩いていたんだ。バイクに比べたら軽いから、いつでも倒れてこいって言ってて」

「あそこまで行けば、ユウスケから焼き鳥をごちそうになれたのに…もうちょっとだったのに…」

「エリちゃん、絶妙なタイミングで現れてくれてありがとう。タクヤ、ごちそうになります。いつ焼肉に行こうか?」

「焼き鳥だっただろっ。まあいいや、病院から外出許可が出たら、すぐ行こう」

明るいやり取りをする二人を見て、私の頭に黒い霧が立ち込めたような、悪魔が囁いたような嫌な感覚がした。

『婚約者でありながらも、普通には戻れない少し変わってしまったタクヤ』

『全身で人を支えることができる、優しさと頼りがいがあるユウスケくん』


タクヤとユウスケくんと一緒に病院の待合室で過ごした後、私は帰る準備をしていた。

「タクヤ、オレも帰るね。エリちゃん送ってくよ」

「よろしくー」とタクヤが軽やかに言葉を放った。その一言には、一切の憂いも感じさせないものがあった。

それとは別に、私はユウスケくんがバイクで病院に来ていたのを知っていながら、そのことを話すと送ってもらうことに気が引けるため、あえて知らないふりをした自分がいて、罪悪感は胸の奥で膨らんでいった。

病院の外に出ると、夜風がとても心地よく感じられました。
二人揃って一緒に歩けることの喜びを改めて実感する瞬間でした。
タクヤとユウスケくんを心の中で比べてしまう自分に嫌気が差しましたが、その感情を抑えることはできませんでした。

私はもう、苦しみから逃れるように、一歩前へ進む決意を固めた。

「ユウスケくん。バス停まででいいからね…本当は、今日バイクで来ていたの知っていたよ…もし今、ユウスケくんがフリーなら…今度、バイクに乗せて…くれる?」

私は断られたとしても、前に進む勇気を振り絞り、言葉を出せたことに少しだけ満足感を感じた。

ユウスケくんは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑みながら、優しい眼差しで私を見つめていた。

「いいよ。仕事が休めそうな日があったら、すぐ連絡するよ。その日はやっぱり無理だったとか言わないでね」

それからバス停までの道のりで、私はユウスケくんに顔を向けることができませんでした。バスが来て、さよならをするまで、その約束をしただけで、他のことは何も話さず、ただ黙々と歩いていました。

帰りのバスに乗り、窓の外をぼんやりと眺めていると、涙が頬を伝いました。タクヤへの愛情とユウスケくんへの思いが交錯し、心の中で微かに残る葛藤が続いていました。
バスの心地よい揺れに身を任せながら、私は静かに自分の気持ちを整理しようとしていた。

タクヤはまだ私の婚約者であり、彼を支えたいという強い思いがありました。しかし、ユウスケくんの優しさと温かさが心を癒してくれる。夜の静寂に包まれながら、自分が信じるこれからの未来を思い描きつつ、心の迷いを少しずつ解きほぐそうとしました。


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