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#6 揺らぐ瞬間

「タクヤは大丈夫、回復して戻ってくる」

ここ最近、私は何度となく独り言を口にしていた。
誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせていたのだ。

結婚式延期の連絡をできる限り書面で行った。
親しい友人たちに電話をしてしまえば、
大丈夫?なんて心配をされるのが目に見えている。
話してしまうようなことではない。家族以外に話せるわけもない。

私はそんな状態の頭のまま、タクヤのお見舞いに来ていた。
今日で事故から一ヶ月が経ち、ようやく面会が可能となり、
事故後、初めて直接タクヤに会うことになる。

タクヤのお母さんは付きっきりで看病してくれていました。
送られてくるメールには、少しずつ回復の兆しが見えるタクヤの様子が綴られていました。「元気がまだ戻らないので、エリちゃんと早く会わせてあげたい」とも書かれていました。

病室に向かう途中、集中治療室の前を通った。
当然ながら、そこにタクヤは居ない。そのことも私の微かな希望だった。

もう拘束はされていないはず。意識も少し戻って話もできるみたい。
動くことは不自由だろうけど、案外気持ちは元気だったりするかもしれない。「やっちゃったよ」なんて私に笑いかけてくれるかもしれない。
精一杯、私がタクヤに元気を届けなくちゃ。
そう思いながら、目を開き、口角を上げる。

505号室。タクヤのお母さんから教えられた病室だ。

ナースステーションから目と鼻の先にある。その扉をゆっくりと開けた。

「タクヤ、久しぶりっ!会いたかったよー」

明るい声色ができたと思う。口角も上がっていたと思う。

「ああ…来てくれたんだ…」

そう言ってこっちを見るタクヤの目は、どこか私を見ていないように感じた。私への方向は合っている。しかし、以前のタクヤが私を見る目とは何かが決定的に違った。きっと私にしか分からないけれども。

「元気かな…って、元気じゃないよね…えっと、昨日より元気?」

「昨日…昨日はだれも来なくて元気なかった…ずっと…」

会話が絶妙に噛み合っていない。
それに、看護師さんが一日患者さんをほったらかすわけがない。
タクヤのお母さんもいたはず。
そして、タクヤは一言話しかければ三倍にして返してくれるおしゃべりだった。

それに気づいてしまった私は、会話を続けられなかった。
数秒の沈黙。それを破るように、後ろから声がした。

「タクヤさーん、診察のお時間ですよ。
あら、すみません。タクヤさん、お見舞いに来て貰ったの?
良かったですねぇ!」

「僕の…彼女です…」

タクヤのお母さんが言っていた。
タクヤは頭を強打して、記憶が飛んでいるみたい。

そのことは納得したつもりだったけど、
婚約していることも忘れてしまうなんて。

「あら、そうなの!?かわいい彼女さんが来てくれて幸せですね。彼女さん、お名前は?」

「エリといいます。タクヤがお世話になっています」

「いいえ、良いのよ!そうだ、これからタクヤさんを車椅子に乗せて、診察とリハビリ室に行くので、エリさんも一緒にどうですか?リハビリの見学でもします?」

「はい。私、そういうの初めて見ます」

「リハビリを頑張ると、後々良いことがあるみたいですよ。どんな風にリハビリをしているのか色々と見ながら、頑張れって声をかけてあげてね!」

「…わかりました!」

これからタクヤを支えていくためには必要不可欠なことだ。
将来のためにも、しっかりと学んでおこうと、私は髪を括って、紙とペンを持った。

まずは、タクヤを車椅子に移すこと。
身体を起こすまではベッドの電動リクライニング機能を使う。
そうか、新居のベッドは別々になるのかな。
ダブルのリクライニングベッド、高そうだな。

ゆっくりと身体を起こし、タクヤの身体を支えて回しながら、全く力が入っていない両足をベッドの外へ出す。
タクヤに身体の不調がないかを確認して、それからタクヤを抱えて車椅子に移し、車椅子から落ちないようにベルトを締め、車椅子の足置き場を出して足を乗せる。ベテランの看護師さんでも大変そう…。

タクヤが乗る車椅子を押して、看護師さんの後をついていき、診察室へ向かう。人が乗っている車椅子ってこんなに重いんだ。私は車椅子のハンドルを持つ自分の手を見ながら急に涙が溢れそうになった。

私一人で支えられるの?一日に何回の強い力が必要なの?外出先で階段しか無かったら帰るしか無いの?押す力が尽きたら?私がもし体調を崩したら?年老いて力が弱くなったら?

そして、もうタクヤと、手をつないでデートすることはできないんだ。

どんどん嫌な想像が頭の中を占めていく。
それらの想像はタクヤの声でさらに膨らんだ。

診察が終わると、タクヤはこう言った。

「眠たいから…ベッドに行って」

「タクヤは大変だよ」タクヤのお母さんがボソッと言ったその意味深な言葉が、胸に深く刺さった。

それから私は、顔に笑顔を貼り付けて何か手伝うことはないかを聞きながら、いつもより声を大きく出してリハビリをしているタクヤを応援をした。

傍目から見れば、健気で献身的な彼女に見えていただろう。
実際はそんなキレイな動機じゃない。
自分の嫌な想像をせき止めるために、ひたすら話しかけていた。

リハビリの時間が終わり、私とタクヤは再び病室で二人きりになった。
以前は、二人で沈黙していることも心地よいと感じていたが、今は違う。
まるで知らない人と密室にいるような、何とも言えない雰囲気が漂っている。空気が重い。

タクヤの心境はわからないが、少なくとも私にはそう感じられた。

これ以上、ここに居られない。
頭と心を一度全部整理したい。
そう思って私は立ち上がり、タクヤに背を向けた。

「私、今日はもう帰るね。タクヤもリハビリ頑張って疲れているでしょ?ゆっくり休んでね」

「ああ、またな」

その瞬間、私はタクヤの方を振り返った。

『またな』。デートの時、必ず別れ際に言ってくれた言葉。
私の知っているタクヤがいる。まだ目の前のタクヤは私の婚約者だ。
諦めかけた私の心に、微かな希望が一つ灯った。

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