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マーケッターだが、アバウトが好きだ

上記の画像を見てほしい。

狼だ。何匹いる?

わたしは答える。5、6匹。

もしも即答するなら。反射的に答えるなら。

この画像の狼をわたしは5,6匹ととらえる。しかし、もしも「正確に」答えなさい、と言われたら、まじめに数をかぞえるだろう。

お皿にブドウがある。マスカット、アレキサンドリア、巨峰、デラウェア…。帰宅後、お皿に何があった?と聞かれたら、「たくさんのブドウ、いろんな種類の」と答える。5房以上のぶどうは、わたしには「たくさん」を意味するのだろう。では、これがチョコレートだったなら?私は答える。数粒のチョコが載っていたよ。と。

数の概念がない古のひとのように。

ある一定以上の数はわたしにとって「たくさん」を意味する。同時に対象物が変われば、その一定の数も変動する。チョコとブドウのように。

地に縛られたわたしの卑俗な精神は、数という抽象概念をはてしなく拒むのか。

わたし「(キリッCV横ばい現象の要因を探らなくてはキリキリッ!)今月のUU数は昨年比とどうなっている?」

担当者「昨年比102%です」

わたし「横ばいだね。コロナの影響で伸びると思ったんだけどな。PV数は?」

担当者「逆に伸びています。昨年比110%です」

わたし「なるほど。在宅でひまなんだね。でもUU数が伸びてないなら、広告費かけるしかないね。広告費は前年と変わらない?」

担当者「いえ、むしろ減っています。90%ですね」

わたし「そこじゃないの?CTRは?」

担当者「正比例しています」

わたし「そこだよ、そこ。なんで広告費下げたの?」

担当者「コロナで在宅だから、広告費かけなくてもロングテールで引っ張れるから、節約節約と」

わたし「誰が?」

担当者「・・・(お前だよっ!)」

わたし「・・・」ゴホゴホッ「まあ、あれだ。広告費、昨年並みに戻して様子を見よう」

担当者「AとB、キャンペーン分けてみましょうか」

わたし「昨年も分けたっけ?」

担当者「いえ、昨年はいっしょくたでした」

わたし「なら今年もとりあえずいっしょくたにしよう。上がらなければ分ける。一つずつ試さなきゃわけわかんなくなる」

担当者「了解しました。動きが出たら報告いたします」

くり返す。アバウトが好きだ。神は細部に宿る、と誰かが言った。わたしもそう思う。細部を切り捨てるんじゃない。細部を見て、そのうえで「敢えて」おおよその外観をとらえるのだ。正確な数字はまやかしだ。ある意味「いっぱい」でもあり、「少し」でもある、その感覚の来し方を探る方がわたしには正義だ。

狼は5,6匹。

チョコはパラパラ~っと。




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