見出し画像

母親の自殺~親族の心の声~母を亡くした日を振り返ってみました

第一発見者は父親

今から約6年前の2012年、私は母を突然なくしました。

死因は自殺。自宅のクローゼットの中で首をつっていたそうです。

 

第一発見者は父親。その日は夜の10時頃。母が「眠れないから薬が欲しい」と父に訴えたので、父が近くのドラッグストアへ睡眠薬を買いに行っている間に自殺を図ったそう。

 

父が戻ると母の姿がなく(まさかクローゼットで自殺しているなんて思ってもいない)近隣を探し回ったそう。それでも見つけることができなくて、家の中を探した所、母を見つけたそうです。この時点で母が自殺を図ってから30分以上が経過していました。

 

母は、母の母親(私の祖母)から日本舞踊を習っていたのですが、
首吊り自殺をするときに使った紐は、着物を着るときに用いる紐だったそうです。

 
母を見つけた父親はすぐに救急車を呼んで、近くの病院に緊急搬送しました。
夜間病院に着くと、心肺停止の母に医者が心臓マッサージを施して心臓はなんとか動き出したそう。

 父からの電話

その時、私は仕事を終えて当時同棲していた彼の家で、彼と一緒にテレビを見ながらご飯を食べていました。

 

すると突然、父から電話がかかってきて・・・・
「大変や!お母さんが自殺した。すぐに病院に来てくれ」と。

私は何言ってんの?と信じることができず
「また冗談を~」と言ったのですが、父の声は冗談ではなさそう…。

 
「とんでもないことになった…」と思った私は、当時アメリカに住んでいた兄にすぐ連絡し、タクシーを呼んで病院へ向かいました。

 

病院にいた母…

病院に着くと、親戚の他に警察もいました。
すぐに病室に入ると、たくさんのチューブに繋がれた母の姿が…
私は信じられない光景に泣き崩れました。

 

「何で?何でなん…」

そう言わずにはいれませんでした。

 声をかけても全く反応がない…
父は「ごめんな、ごめんな…」と言いながら泣き崩れている…。


母は、自殺を図るとき相当泣いていたみたいで
涙の跡がありました。


一体何が起きたのか。全くわかりませんでした。
そしてしばらくすると、医者が病室に入ってきて母の状態を説明されました。

 

医者「心臓は動いたけれど、脳死状態です。他にご家族の方はいませんか?」
私「兄がいるのですが、今アメリカにいます」
医者「すぐに連絡を取って下さい」

 

そう説明された私は、

「家族と連絡を取るようにということは相当まずい状況か…。いやいや!心臓が動いているならきっと意識を取り戻す!」

と信じていました。

 
兄に電話して状況を説明し、すぐに帰国するということになりました。


祖父母や叔母、従兄弟など近くに住んでいた親戚も泣き崩れている…
夜間の病院内は、私たちの悲しみの声で響き渡ってたはず。


母とは死ぬ3日前に会って食事をした
こんなことになるなんて本当に信じられませんでした。


というのも、私は母が死ぬ3日前に会って食事したからです。

そして死ぬ2日前には電話もしました。

 

会った時は本当にいつも通りの母。
父とも仲良くやってるみたいな事を言っていたので、母は幸せそうに見えました。

 ただ一つだけ気になったのが、母の見た目が変わったことくらい。
昔から美容好きな母でしたが、妙に着飾るようになり、見た目もずいぶん若々しくなった印象はありました。

 

でもそれは、父と仲良くやってて女磨きでもしてるのかと思ったので特に気にかけませんでした。

 死ぬ2日前の電話でも

「今日父さんと一緒に水族館に行ってきたよ。すっごく可愛かった~!」

という嬉しそうな声だったので「それは良かったな~」という感じで電話を切りました。

 

まさかその2日後に母が自殺を図るなんて… 

 父から母が自殺を図った理由を言われる

「職場の近くのスナックのホステスに片思いをしていた。今日も夜から仕事に行くと言ったけれど本当はお店に行くつもりだった。お母さんは、それを止めようとしたのかもしれない…。」

という感じの内容を聞かされました。

 

信じられませんでした。

 

父と母はすごく仲良さそうに見えていたし、まさか父が浮気?まがいなことをしているなんて思いもしなかったです。


第一発見者の父は警察から何時間もの間、事情聴取されていました。


日が明けて翌朝6時すぎ死去

「母は必ず目を覚ます。絶対諦めない…!」
そう強く願い、私と父はずっと母の側にいました。

 

しかし医者は
「お兄さんはいつごろ日本に着きそうですか?親戚の方にもすぐに知らせて下さい」
と死ぬことをわかっている口調。

 

そして日が明けた朝の6時を過ぎた時、心電図の音が急に変わり医者と看護師が病室に入ってきました。

 

そしてすぐに音がピーと鳴って心電図が0になりました。

「6時10分ご臨終です…」

 (ドラマでよく見るシーンと似てた。まさか本当にこんなことがおきるなんで)

 

ずっと目を覚ますと思っていた母が死んでしまったんです。

 

人生であんなに泣いたことってあるか?というくらい、一生分の涙を流したくらい、悲しみと悔しさが一気にこみ上げてきました。

 

どうしても受け入れたくなかった私は、すぐ側にいた看護師に
「本当に死んでるの?」と聞かずにはいられませんでした…

看護師は何も言わず、ただ悲しい顔をして大きくうなずいていました。

 

母を警察署へ

母が死んで1~2時間ほどたった時、刑事が病室に入ってきてこう言われました。

 

「ごめんな。。お母さんやねんけど、警察の方で司法解剖しなあかんねん。お父さんはショックで話せる状態でもないから、娘さんのあなたに一緒に来てもらいたい。」


そして看護師に白い布を顔にかぶせられた母は、警察署へ連れていかれました。


後で知ったのですが、自殺の場合は必ず警察が調査することになっているそうです。
もしかしたら父が母を殺したかもしれないと警察は父を疑っていました。

 


警察署へ着いても父は平常心を保てず、何もできない状態。

 

母の死亡に関する書類等を記入し、すぐ近くにある市役所にも死亡届を出しに行きました。その時の警察と市役所のおじさんの優しさは今でも忘れられません…


母の司法解剖には時間がかかるため、終わり次第電話で知らせてもらうことになりました。

 

 家宅捜索

母を警察へ預けた後は、刑事2人と私と父とで実家に向かいました。
本当に母が自殺なのか、事件性はないのかを調べるためです。

 


母が自殺したクローゼット等では指紋を取ったり、母がアメリカにいる兄とのスカイプのやり取りまで聞いてきました。

そして母の携帯を見ようとしたのですが、ロックされていて見れない状態になっていたため諦めてました。

 


そして再度父から事情聴取をするのと、指紋などを調べるということで
また警察署へ戻ることに。

 

父は運転できる状態でもなかったので刑事の車で警察署へ向かい、私は後から行くことになりました。

 

 

家を出る際、父が私にある一通の手紙を渡してきました。
「これ…お母さんが父さんに書いた手紙…。2,3ヶ月前にもらった」

 

そう言うと、刑事の車に乗って警察署へ行きました。

一人家に残った私はその手紙を見ることにしました。

 


母が父に宛てた手紙とメールの内容

誰もいない実家に一人残った私は、母が父に宛てた手紙を見てみることに。
その内容は母の悲しみが3ページにわたって綴られていました。

 

「お父さんへ。メールは大嫌いと言われたので手紙にしますね」という文言からはじまり
「あなたとの夫婦生活がなかった時、私の心も孤独だった。」


(実際の手紙の一部)

母の手紙1

「私はあなたに気持ちが戻り始めている。あなたの事を愛おしいと思い始めている。でもあなたは違う。たまに会うから新鮮と言う。私と逆ですか。あなたが音楽をやっている時は私といるときより幸せそう」

(実際の手紙の一部)

母の手紙2

「今私は空に浮いている状態です。右に行ったらいいのか、左に行ったらいいのかわからない。一人で夜を過ごすのが嫌で外へ出る。知らない男に誘われる。でも私の心はいつもお父さんがいる。誰にも持っていかれない。」




そして最後にこう書かれていました。

 

「後どのくらいこの生活が続くのだろう。一人でこの家にはいたくない。どうしても嫌なのです。お父さん、どうかこの気持をわかって下さい。」

 

(実際の手紙の一部)

母の手紙3

これを見た私は誰も見ていない一人の自宅で泣きました。

 

「なぜこんなことになったんだ…。この時、父を憎みたかったけど、母の死で悲しみ以外の感情は出てきませんでした。」

 


また、母の死後ケータイショップに行ってロックを解除し、父とのメールのやり取りを見ました。

 

そこには
「死にたい…」
「私はどこかに行ってしまうことにします」
「寂しい…」

こういった内容がたくさん父に送られていました。


父を迎えに再び警察署へ

事情聴取が終わった父を迎えに警察署へ行き、母の司法解剖が終わるまで自宅に戻ることになりました。

 

家に着くと親戚も集まり、皆が父に事情を聞いていました。

祖母は怒り狂ってましたが、親戚一同、母が死んだショックで疲れ果てていました。

そして私はフライト中である兄にどうしても母が死んだことを知らせることが出来ませんでした…


葬儀屋に電話

父は泣き崩れ、感情を取り乱している。
親戚も同様。

 

皆が「○○、どうしたらいいの?」など私に色々聞いてくる、頼ってくる。

誰一人、行動しない。

 
もちろん私も耐えられない悲しみでいっぱいでしたが、ずっと泣いてばかりいられませんでした。
家族が死んだらやることが山のようにあるからです。

 


まずは葬儀屋に電話してお通夜と葬式の準備を依頼。
再度市役所に行って色んな手続きや書類を用意して、
自宅に来た葬儀屋と葬式の打ち合わせなどして、
身内などに電話して母の死を知らせて…

 

とにかく家族が死んだら大変です。
やることが本当に多い!!!

 
走り回っている私をみても身内は誰一人手を貸してくれず、ただ泣き崩れていました。
喪主は父になるので一つでも何かしてもらいたかったです。
あの時はさすがに信じられませんでしたね。誰一人役立たずでした。

 

 
母を迎えに警察署へ

色んな手続きをなどをしているとあっという間に夕方になり、母を警察署へ迎えに行くことになりました。

警察署に着くと、警察から個室に案内されて母の司法解剖結果を聞くことに。

 

父からの事情聴取や自宅の様子からみて事件性はないと判断され、
結果はやはり自殺でした。

 


医者の解剖によると、

・首の紐の跡以外、目立った外傷なしの為、自殺に間違いない
・母が父に発見されたのは心肺停止になって20分以上たっている
・一瞬で意識を失って、そのまま死んだ

ということらしいです。

 

説明してくれた警察によると、母は苦しまなかったと思うと言っていました。

 

当時はその言葉を聞いて安心しましたが、今思うと「実際に試してもないのにわかるか!死ぬまでが生き地獄だったはず」と思います。

 

当時は知らなかったのですが、
人間は首吊りで心肺停止になって20分以上たつと死亡率が非常に高くなるそうです。
もし20分以内に意識を取り戻しても、脳に後遺症が残る可能性が高いとか。


病院で母が目覚めるのを祈っていた時、医者はわかっていたんでしょう。
母が助からないことを。

 

そして、司法解剖が終わって警察署にある霊安室にいる母を迎えに行きました。


顔を布で覆われている母。
「どうか人違いであってほしい…」

 

霊安室には仏壇があり、警察の人が手を合わせて黙祷したあと
布を取り、母を確認。

 

「やっぱり母が死んだのは本当なんだ…」と思いました。

その後、母を実家に連れて帰りました。

 

兄が帰国

1階のリビングに母を寝かせ、身内や母の友人が次々と家にやって来ました。
そして、日本に着いた兄から着信。
この時はじめて兄に母が死んだことを明かしました。

 

2~3時間後に実家に着いた兄。
私と兄、兄妹で泣き崩れました。


この時既に、葬式などの手続きは済んでいたので、後は明日のお通夜にそなえるだけとなりました。 

その日の夜
親戚も一旦家に帰って、父、兄、私、母の家族4人になりました。


自分の部屋で寝てみようと思っても全く眠れません。

兄も同じだったみたいで、私の部屋に入ってきて
「これからどうしよう…」と二人で思い悩んで夜を過ごしました。

 

その夜、父は片時も母の前を離れませんでした。

 

 死んだ母にメイクをしてあげた

翌日は朝から大忙し。
お通夜と葬儀の準備で泣いてる暇もないくらい忙しかったです。

 

当時私は、美容関係の仕事をしていてメイクもできたので
母の顔には私がメイクをしました。

涙で母の顔が見えなかったですが、ぐっとこらえて最後までメイクをしてあげられました。


まさか人生で死んだ母の顔にメイクをする日がくるなんて思ってもいませんでした…


お通夜、葬儀が終わり火葬へ

葬儀では人間の本性が現れるとはよく言いますが、色々ありました。

まぁそれはいいとして… 

 

母の葬儀にはたくさんの方が来てくれました。

遠く離れた所に住んでいた身内も来てくれて、20年以上ぶりに会う人もいました。
こんな形で身内に会っても嬉しくなかったです。

 

そして無事に葬儀も終わり、翌日火葬することに。

・・・・・

 


この時は本当に本当に悲しかったです。

もう二度と母に会えない…姿も見れなくなる…

 

そう思うと火葬なんてしないで、母をどこかへ連れ去ってしまいたくなりました。

でもやらないといけないんで、母の姿を目に焼き付けて火葬しました。


数時間後、骨だけになってしまった母をお骨に入れて実家に持ち帰りました。

 


その後

母の死から約6年がたった現在。
母は、溺愛していた愛犬と一緒にお墓にいます。

 

母が生きてる時、「お母さんが死んだら絶対この子と一緒のお墓にして!」と言っていたくらいでした。(今思えばその時から鬱だったのかもしれません)

 


毎年お墓参りに行きますが、悲しみは一向に薄れないです。
一日たりとも母を思い出さない日はありません。

 

何をしているときも、母との思い出が蘇って悲しみでいっぱいになります。

 

・外を歩いていて母に似た姿の人を見ると、顔を見て確認せずにはいれない…
・母とよく行った思い出の場所(当時住んでいた近辺)は思い出して辛くて耐えられないので引越した
・母と娘の親子でショッピングしている人を見ると辛い…
・自分の孫を嬉しそうに抱っこしている人を見ると、もし自分に子供が出来た時、見せる母親がいない… 一生結婚はしない。


こんな色んな思いがこみ上げてきてます。

 

「いっそのこと、私も死んだら母の所へ行けるかもしれない…」
そう思う日も少なくありません。

 


母が自殺した原因は父にあると思い、1年間父を憎み一切連絡も取らない時期がありました。

 

けれど、一生懸命仕事をして私たちを育ててくれた父を憎んだり恨んだりするのは

とても辛かったです…

兄もその気持ちはきっと同じだったと思います。

 

夫婦の問題は、子供である私や兄にはわからない、夫婦2人にしかわからないことだと思います。

 

そして、今思えば原因は父だけでなく、祖父母との関係や、私も兄も家を出て母一人になった寂しさ、色んな感情がどっと溢れ出てしまったのかもしれません。

50歳で死んでしまった母は更年期ということもあったでしょう。

 

 

死んだ理由は母にしかわからないと思っています。
いくら悔やんでも悲しんでも母は戻ってきません。

 


今では母がいなくなり、家族は3人となってしまいましたが
たまに皆で集まってご飯に行ったり、連絡し合ったりして互いの人生を歩んでます。

 

終わりに

ここまで長々書かせて頂きました。
全部読んで下さった方ありがとうございます。

 

このブログでは家族と死別した方や、心の病に苦しんでいる方、生きている意味がわからない方など様々な方に、少しでもお役に立てればと思い書きました。

 

母の悲しみが全く消えない私は、常日頃色んなことで悩むことがあります。
その都度このブログで愚痴ったり、色んな思いや情報などを書いていこうと思っています。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。


PS.とはてブで頂いたコメント紹介

この記事は数年前に書いた”はてなブログ”からもってきました。現在母が他界して8年目になります。今後、このNoteで日常の変化など色々書いていきたいと思ってます。

はてぶでコメントくださった方、本当にありがとうございます。すごく励みになり生きる希望になりました。お二人の方のコメントをこちらで紹介させていただきます↓

ちはる様

突然のコメントをお許しください。 私はあなたと同じ様な事で母を亡くしました。 母は63歳。私は39でした。 きっとあなたから比べたらずっと年上なはずなのに読めば読むほど私の境遇とそっくりで涙が止まりません。 私の父の女性問題が原因で母は鬱になりました。 きっとそれかきっかけではありましたが、他にも色々な事が重なり、母は1人で死を選んだのだと思います。 母の死後、葬儀や納骨、法事の手配は全て私がやっています。父は相変わらず女性と切れず心から憎いと思いながらも父の身の回りのことはほとんど私がしています。 やり切れない思いですが、最後に母に会った時に母が私にお父さんをお願いね。と言い残したので仕方ありません。 あなたのブログを読みどこか共感という気持ちから救われた気がしました。 私より若いあなたが乗り越えて頑張っているのだから私が泣いていては。と思う気持ちでいっぱいです。 きっと天国のお母さんはあなたの幸せを願っていると思います。大切な人が出来たら結婚してわかり合って幸せになってほしいです。赤ちゃんができたら墓前に報告してお母さんに見て欲しかったとぶつければいいと思います。 私は時々、父の事が面倒に感じると母に押し付けられた気持ちになりお仏壇にお線香をあげる事すら嫌になります。遠方に住んでる姉は全く何もしないのでそんな気持ちにはならない様です。 私は悪い娘なのかもしれません。 でも割り切って生きていくしかないんです。 時々思い出す母の最後の顔は苦しくて別人の様でしたが、それさえも抱えて生きるしかないんです。 辛いけれど誰かのせいにするわけにいかない。 あなた自身の幸せはあなたが作るものだから。 赤の他人の私ですが、あなたが強く幸せでいてくれたら良いなと心から思います


朝霧様

自分も母を自殺で亡くしました。 今でも眠りが浅くよく眠れません。 不義理な息子で2年も家に帰れませんでした。 あと1週間待ってくれたら母に逢えたのに。 何時も優しくて、何時もかばってくれて、何時も応援してくれて、何時も心配してくれて。 母の為に何も出来なくて本当に申し訳ない。。。 今日は母の四十九日です。 今は母が安らかに眠る事を願うばかりです。 お母さん、ありがとう。 そしてごめんなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?