思い出の家族写真
1,家族写真の思い
来年の1月に行う親の看とり意見交換会のチラシ作成を任されました。
どんな風にデザインしようかと思い、出来あがったのがこれです(*^-^*)。
部屋には唯一の家族写真が飾ってあって、それを真似したわけではないのですが、必要な方にどのようなデザインだったらメッセージが届くかと考えた結果、家族写真がメインのデザインになりました。
私の家族写真は姉が結婚する前日に撮ったものです。
明日は姉が綺麗なお嫁さんに変身するんだと思うと嬉しくて笑っています。
それから物心ついた時から兄弟達は寮生活でしたので、お盆やお正月じゃないのに兄弟に会えるのが嬉しくて笑っているんです。
でも、この家族写真は当たり前ですがそれぞれが自立していくと一緒に映る人が変わっていきます。一人減り、そして新しい家族が増えそれを繰り返していきます。
自分の隣にいた両親は映っていません。
自分が親になり新しい家族と共に写真を撮ります。
写真には写っていないけれど心の奥には育ててくれた両親や家族への思いを滲ませながら、写真の数は増えていきます。
アルバムの数だけ思い出があって見るたびに懐かしくて温かい気持ちになります。
2,写真に変わる思い出
母が亡くなった後、兄の言葉が印象的でした。
「母さんがいなくなって、自分はもう子供じゃなくなったんだね。自分は孫もいておじいちゃんだけど母さんがいてくれるから子供でいれたのにね。」
兄の思いを初めて聞きました。
兄は孫が4人もいる立派なおじいちゃんですが、こんな事を思っていたんだなと切ない気持ちで聞いていました。
そして母の思い出の写真を集めてスライドショーをするんだと編集をし始めました。
母と家族の思い出を記憶に残しておきたいと思ったのだと思います。
そして何よりも自分の孫にも母の事を教えたかったのだと思います。
それは兄の孫はまだ幼くて大きくなった時に母の事を覚えていないかもしれないからです。
もう一つは兄は父親としてお爺ちゃんとして母の様子を伝えることで役割を果たそうとしていたのだと思います。
今までの写真と亡くなる前日に撮った動画と写真を編集し、素晴らしいものが出来上がりました。
家族から声を掛けられ頷いて反応する母、飲水を介助したり、耳元で母に声をかけたり、最後はみんなでピースサインで写真を撮りました。
病院ではないから家族水入らずの時間を過ごす事が出来たし、最後まで必要な量だけ欲しいものを口にすることが出来ました。
その様子は私が祖母を9歳で看取った時の記憶と似ていて、なんだか楽しくて温かな時間でした。
兄の孫が大きくなって、亡くなる前日の母の様子を見てどんな風に感じるのかなぁと今から想像しています。
3,身体が記憶する思い出
介護や看取りの過程は一つ一つ写真に残すことはしませんでしたが、写真よりも身体が記憶してくれました。
旅立ちの準備をしている母はもう話せませんが、身体から伝えたい思いが溢れていたように感じています。
それを思い思いに受け取ろうとする兄弟たち。
共通して言えるのは、死が怖いものではないと口をそろえて言ったことです。死に方は母の生き方の延長線上にあり、母の看取りを通して、私たち兄弟達のそれぞれの生き方に何かしら良い影響を与えてくれたと感じています。
そう感じることが出来たのは本当に穏やかだったからです。本当に温かな時間だったからです。
最期の瞬間まで全身全霊で子供たちを人として成長させてくれたんだなと今では思えます。
私は家族を思うと、特に母を思うと胸の奥がほんのり温かくなるのを感じています。身体が記憶してくれた幸せの感覚です。
アルバムよりも大切なものになりました。
4,毎月開催しています。
親のみとり意見交換会は毎月開催しています。
大切な家族との別れはとても悲しいものです。
でもしっかりと向き合い、事前に準備しておけばそれぞれの家族に応じた素晴らしい時間が過ごせると私は思っています。
それは、いろんな問題を解決し別れの瞬間家族が一つになった感覚があったからです。
私は介護に背を向けて過ごしていました。
家族がバラバラでした。
医師に不信感がありました。
葛藤しながら、介護や看取りの準備をしました。
看護師だからと言って完璧ではありませんでした。
今回は私がファシリテーターさせて頂きます。
病状や家族背景、環境などは違うかもしれませんが、参加者の方たちの不安が軽くなるように意見交換会を進行していきます。
宜しくお願い致します。
申し込みはこちらです。
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