赤いシャツの先生の言葉
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専門学校の先生に「君はアーティスト向きだね」と言われたことがある。いつもテロテロ光る真っ赤なサテンのシャツを着た金髪の、強烈な存在感の先生に。
当時クリエイターを目指して息つく暇もない日々を送っていた。東京都の端っこ町田から二駅神奈川に入ったところに住んでいた。平日は都心の学校に一時間半かけて登校し、閉館する二十一時まで学校にいて、また一時間半かけて帰る。疲れ果てて家まで体力が持たず、遊歩道のベンチで仮眠をとってから帰ることもしばしば。今思い返すと不用心極まりないことだけど、とても体が持たなかった。土日は生活のためにホビーショップでアルバイトをして生計を立てていた。専門学校入学以前の三年間は学費と生活費を貯めるためにホビーショップと服屋とのダブルワーク。長い時間をかけて、やっとクリエイターになるための専門学校に通うことができた。
それだけに、その言葉はとても衝撃的だった。よく雷に撃たれるという表現があるけれど、この時は真っ暗な穴に突き落とされるような感覚で、だから今も時々思い出すのだと思う。
その先生曰く「物作りをする人には二種類いる。アーティストとクリエイター。アーティストは自分の作りたいものを作り、クリエイターは人に求められたものを作る」とのこと。
それを聞いたとき「じぶんはクリエイターになりたい」とそう思った。その一心で、突き落とされた真っ暗な穴から這い上がる努力を続けた。人の求めに応えたい。それが自分の欲求だった。
しかしその後も、その先生に繰り返し言われた。
「君は独特の世界観を持っている。アーティストだよ」
「これは選べるものじゃなくて生まれ持ったものなんだ。アーティストとクリエイターどちらが上とか良いとか比べられるものじゃないんだ」
言わんとしていることは分かろうとしつつも、じぶんを理解できないまま、先生の言葉を受け入れられず十五年経った。
その言葉に蝕まれた劣等感は今、仕事から離れて少しずつ本来の輪郭を現し始めている。すきに物を作っても作らなくてもよくなった時。人の求めに応え続けた日々の中で、じぶんの好きだったものがものがよくわからなくなってしまった。何も書けないし描けない。何が面白いのかもわからない。でも欲求が止まらない。
なにか、作りたい。
なにか、したい。
今まで他人に軸を置いて作って来たけれど、じぶんの心に従ったとき、どんなことがしたいだろう。
そういえば、なんだかんだ絵日記を続けてみたら、数年前と比較して少し落ち着きが出てきたかもしれない。なかなか人に読んでもらえなくて不貞腐れても、誰の目にも留まらないローカルで小説を書くこと自体はやめられないでいる。
すきなことはやめられないのかもしれない。自然と、してしまうことなのかもしれない。
いつも真っ赤なシャツを着た先生の言葉をたびたび思い出して、意固地な劣等感が不貞腐れる。アーティストになんてなれないよ。独特の世界観なんてないよ。先生の強烈なアーティスト感にも圧倒されて「先生みたいには、なれないよ」と呟きそうになる。
そんな風に不貞腐れながらも、でも手は止められないし、見てほしい欲求も抑えられない。ずっとこんな風に生きていくんだろうと思う。先生はこれを見抜いていたのかな。劣等感と戦いながら、でも書くことも描くこともやめられない性質を。