tsu. あと一度でもこの夜に引きずり込まれるくらいなら、無数にある朝を手放した方がどれほど楽か。
2023.11.18
みんなに言われるんです。「いつかは終わるから、終わりは来るから」って。ちがうの、もう一回たりとも経験したくないの、今までは「耐えられた」かもしれないけど次の一回でちぎれてしまうの、と思っていた、し何度も伝えたけれど届かなかったなという気持ち。
今もこの思いはずっとあります、「今まで」は平気だったけど次に同じものが来たら耐えられないと思っている。
「過去は変えられない」から見方や捉え方を変えるべきだと言われるけれど、過去に感じた思いが変わるわけでもないし、変えられない過去が「正しい」見方を得て攻撃してくることもあるわけで。そう考えると過去が立ち位置を変えてくれるのを待つしかないのかなと思ったり。
「変えられない過去」はきっと「過去」になってくれていない過去で、それがきちんと「過去」になるために、自分の現在を侵食しないようにするために、現在の自分にできることってなんでしょうね。
ただただ繰り返し道を整備し続けて、小石を取り除いて、雑草を抜いて、っていうのを少しずつ少しずつ続けていって、その「過去」がきちんと「過ぎ去ったこと」の位置にまで歩いていってくれるのを待つしかないような気がしている。
ただその一方で、無理やり見方を変えて納得させてしようとしたり、今すぐ「過ぎ去ったこと」になってくれと呪ったり、そうなってくれないことを恨んで「なかったこと」にしたり、を繰り返す日々でもあります。
同じものはもちろんだし、同じものと戦い続けることにも限界を感じている。
あと一度でもこの夜に引きずり込まれるくらいなら、無数にある朝を手放した方がどれほど楽か。
乗り越えた先には「次」があるわけで、その次は同じものが繰り返されるのかもしれないし、新たな痛みを経験しなければならないのかもしれないけれど、これを乗り越えたら「次」を乗り越えることも求められるのかと思ったら、立ち止まってしまった。
それを「もういいですほっといてください」でしか言語化できなかったのはわたしにも余裕がなかったんだなと思うけれど、それまでに散々言葉を尽くしても伝わらなかったじゃないか、と言いたい気持ちもある。
踏みとどまるためには自分で自分の足に一つ一つ枷をつけていくしかなくて、重くて痛くて、でもここに立っているためにはそれしかなくて、って毎日泣いている。