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2023年夏〜冬。

夢の話をしよう。
私が半年間囚われ続けている夢の話を。

私がいつも夢を騙って現実の話をするせいで信じてもらえないかもしれないが、本当に夢の中でのお話なのだ。
私の見た夢という一つの現実ではあるのだけれど。



2023年6月4日(日)

少し年下の女の子。くるくると巻いた金髪にふりふりのワンピース。いかにも “お嬢さま” といった風貌のその子は、店のオーナーを父に持っていたから、本物のお嬢様だったのかもしれない。
私はその子にいつも付き従っていた。

その夜、その子は父親に店を閉めることを命じられていた。
町の一画にある大衆向けのその店の中では、酔いの回ったひとたちが騒いだり潰れたり。彼らを置いて、彼女は店を出ようとした。

私は聞く。「片付けはしなくていいの?」
その「片付け」には、酔った彼らを始末する意が込められていた。理由はわからない。ただ、彼女の父の冷酷さを知っていたからその人からの命令にそういった意味が含まれていることになんの違和感も抱かなかった。当然の如く、彼らがあそこで酔い潰れているのは彼女の父の差金であり、彼女の父は目の前のこの子に彼らを殺させようとしたのだと、そう思った。

「私に言われたのは『戸締り」だけだったから。」
と言って、裏口の鍵を閉めてこちらに一瞥もくれず歩いていく彼女を、私は小走りで追いかけた。

早足で歩く彼女だったが、ふと立ち止まり、
やっぱり戻ろうかしら、と呟く。

あなたが戻るなら私も戻るよ、と私は告げる。
私一人で戻る気はないけれども、あなたが戻ると言うのなら、あの人々を殺めるというのならその役目は私が引き受けるという思いを込めて。
わからないけれど、彼女の手を汚させたくなかった。綺麗なままでいてほしかった。汚れるのは私だけで十分だった。目の前のこの子をなんとかして守りたかった。

彼女はそれには何も答えず、来た道を引き返した。
やはり小走りで追いかける私は、何か怒らせてしまったのではないかと不安で仕方がなかった。

その後どうなったのかはわからない。けれども、私の言葉の意図は伝わらなかったんだと思う。次のシーンは図書館のような場所だった。

本棚の間を歩く彼女に、いつも通りついて歩く。
すると彼女がくるりとして何か質問をしたの。ここの詳細も覚えていないけれど、多分「なぜあなたは自分の意思を持たないの?」だとかだと思う。この前の「あなたが戻るなら私も戻るよ」が、他人に合わせて動いているように見えたのだろう。

慌てて弁明した。
あなたが殺すなら私が殺すという意味だった、ただ一人で戻る気にはなれなかった、あなたが命令してくれれば私はいつでも動くのに。

それをきいた彼女が、くるりと振り返って私の両頬を片手で引っ掴み、何かを言おうとしたところで目が覚めた。その時に本棚を背に私がしゃがみ込んで彼女を見上げさせられ、反対に上から見下ろされるその視線で彼女が怒っていることがわかった。「馬鹿にしないで」とでも言っているようだった。夢の中ながらその視線にどきりとしたことを覚えている。



目が覚めた。

とても寂しくて、かなしくて、なんでそう感じるのかはわからなくて、ただただ寂しかった。あとは「命令してくれれば楽なのに」と思った。

この夢と気持ちは数日間引きずった。あの寂しさが付き纏って離れない。
2日経ってから、自分が「汚れてほしくない」と思っていたことに気がついた。
あなたが傷付かないでほしい、あなたが辛い思いをしないでほしい、何事もないかのように振る舞う彼女に対して、お願いだから大丈夫なふりをして汚れようとしないで、と願っていたのだ、と。

目の前の少女に手を伸ばした。
手に縋りついて泣きじゃくった。

お願いだからもう傷付かないで。
誰にも汚されないで。
あなたはもう傷付かなくていいから。
もう大丈夫だから。
わたしが代わりに汚れるから。
だから、だからもう汚れないで。

ずっと寂しかった。
やっと抱きしめてあげることができた。
一日に何度も泣いた。目の前の存在への愛おしさで胸がいっぱいだった。

そうして何日も抱き締めているうちに、その様子を見ている子がいることに気がついた。その子にも手を伸ばそうとしたけれど、その手は途中で止まった。
私はあの子を抱きしめられない。

その子は憎しみを込めた眼でこちらを見ていた。
「わたしのことは誰も助けてくれなかったくせに」

この子を抱きしめられない。私にはその資格がない。
だって、この子を傷つけてきたのは私だから。
自分が汚れればいいと思っていた。傷つけば良いと思っていた。「わたしが汚れるから」と言いながら、その痛みを全部背負ったのはこの子だ。私が私を「汚れてもいい存在」として綺麗事を言ってきた裏で、ずっと一人で傷つき続けてきたのがこの子だ。わたしが傷つけてきた子だ。
どんな顔を向ければいいのかわからなかった。

手を伸ばせなかった。わたしでは抱きしめてあげることができない。「誰も助けてくれなかったくせに」と世界を呪うその子になんと言えばいいのかわからなかった。今やっとここで抱きしめられた無数の子がいる中で、この子は一体誰に抱きしめて貰えばいいのだろう。誰がこの子を抱きしめてくれるのだろう。

近づくことすらできなかった。
これ以上近づくと傷つけてしまうと思った。
手を伸ばすことも許されず、ただ自分の体を抱いて謝り続けた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
今まで傷つけてきてごめんなさい。
気がつかなくてごめんなさい。
私の代わりにたくさんのものを背負わせてきてごめんなさい。
ごめんね。今まで本当にごめんなさい。

どうしていいのかわからない。ちいさな少女はわたしが抱きしめることができる。でも傷つけてきたわたしにこの子を抱きしめる資格はない。こんなに寂しくて、傷を負って怖がっているこの子を誰が抱きしめられるんだろう。わたしには何もできない。
無力感に苛まれて、また泣いた。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
あなたをしあわせにできなくてごめんなさい。
あなたをくるしめてきてごめんなさい。
わたしのせいでこの子は苦しんでいる。

この子というべきか、この存在というべきか、いまだどう呼んでいいのかわからないけれど、出会いはここだったように思う。
この半年間、私はこの子に振り回されている。この子が振り回しているのではない。私が振り回されている。
この子に手を伸ばすためだと信じて、多くのものを手放そうとする。
この子を大事にするためだと信じて、自分を犠牲にしようとする。
振り回されること以外に、この子を抱きしめる方法がわからない。
だれかに愛されて、抱きしめてもらって、幸せになってほしい。
でもわたしが抱きしめるしかないのだということをわかっている。

だから、その子の望みを叶えようとした。
振り回されて我儘を聞くと決めたとき、やっとその子が泣き出した。
私は思った。ああ間違っていなかったのだと。
彼女の望みを受け入れることが、私にできる唯一の罪滅ぼしだった。

周りの声は何も聞こえなかった。
やっと抱きしめてあげられるのだから。やっと愛してあげられるのだから。だって誰も救ってくれないのでしょう。だからわたしが最期まで一緒にいてあげるの。

世界にはわたしとその子の二人しかいなかった。
その子を救えるのなら全てを手放すことさえ構わないと思った。
手放すことこそが「自分を大事にすること」だと思っていた。

今も微かにそう思っている。