子ども時代の出来事から解放してくれたのは自分の子育てだった話(後編)
子どもの頃 夏休みの自由研究の標本に対する先生の一言は 心の中にしこりをのこした
その経緯は前半を読んでくださいね。
商業施設があまり得意でないので というのか自然の中にいることがすきなので、子育て中は週末の行き先は海か山。近所の時はもちろん大きな公園
子どもたちは昆虫が好きだったけど
標本にしたい!という言葉は出てこなかったので心底ありがたかった
その代わりに ブリーダーかと思う位 いつも幼虫や蛹がいた
もちろん 自由研究は 近所の虫探し であり、蝶の成長日記であった
こどもはとにかく気が付く
疑問を持つ
なんで?なんで?なんでなの?
それって本当に素晴らしいことだと思う
ねえ、どうしてアゲハはこの木を選んで卵を産み付けることができるの?
ねえ、触った瞬間 触角が角みたいになったのはなぜ?
蛹になる前にはすごい沢山柔らかい糞をしてるよ!どうして?
ある時は、糞を割りばしでつついて ぜーんぶ葉っぱだった!と喜び
ある時は、羽化するはずが寄生バチにやられていたことを悲しんだ
羽化が近い蛹がいるからと 旅先から戻る日を心配し、
美しい羽を備えた成虫の誕生に瞳をきらきらさせて その手でそっと新しい世界へ飛び立たせた
蝶は家を懐かしむかのように何度か近くを飛んでから 高い空に舞い上がった
こうして、二人の子供らと何年かの日々に蝶を育てているうちに、やっぱり昆虫好きで良かったと思うようになり 小さな心のしこりが溶けていくことに感謝した
子ども時代に受け取る大人の一言は重い
傷ついたと言えない時
それは長い時間 心のしこりとなって残り
度々 顔を出してくる
まさか 自分の子育てによって
その経験から解き放たれる時が来るとは思ってもいなかったので
子どもたちには心から感謝している
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