きょうだい児だったかもしれない#3

前回の続きを書きます。



兄と両親水いらずの時

新しい実家に両親と住み出した兄は、落ち着いてきて、仕事も両親や親戚が用意して働いたり辞めて休んだりしながら、基本働いています。お金は親が管理して一日何千円と親が支給制にして管理していたこともあったようです。毎日お母さんのご飯を食べ、衣食住が守られて、働いた分お金使えて遊べて、状態が安定してきたように見えたので最初私は本当に良かったと思いました。 やっと念願のお父さんとお母さんと水入らず暮らせるね、と。ただ、後に親の不適切さの全容が徐々に分かってくると、一緒に暮らしていては兄にとって本人は自覚がなくても精神衛生上きっとよくないのだろうなとそういった心配も出てきました。そしていつまでも両親が生きている訳ではないのでどうにか自立へのサポートをと願っていました。そしてきのみきのまま流れ込んできたことは本人は忘れ、親と住んであげてる後継者長男的な高圧的態度に変わってきました。(多分周囲からのそういう家父長制をよしとする声掛けを素直に受け取るのでしょうね) 

母は兄の仕事に合わせて3時でも4時でも起きてお弁当を作り兄のお世話をしていました。(都市部でもそうでしょうが地方の田舎ってお母さんがそれをする=良い母という空気がまたいっそう強いこと。)兄は仕事に行く時のお弁当のことを「オカンの弁当3日も同じもんはいっとんねん。勘弁してほしいわ。」と怒っていました。「じゃあ自分で食べたいもの作るか好きなお弁当買ったら?」と私は言いましたが「なんでわざわざワシがお金払って弁当買って仕事に行かなあかんねん」と言って不機嫌になっていました。後で分かったことなのですが、それは「親は働いてないんやから働いている自分に用意するのは当たり前」と思っていたらしいです。両親は年金暮らし、家で働きに出ているのは自分だけだから一番エライと思っていたらしいです(現在も)。両親を養っているわけでも家のことを手伝う訳でもなく、逆に上げ膳据え膳で働いたお金は全部お小遣いという状況なのに何とも不思議な思考回路でした。両親も「お兄ちゃんはちゃんと家に毎月2万円も入れてる(給料から両親が引いている)からあんたより偉い。」と私に言っていました。兄は若い頃から何千万も親に借金を立て替えてもらっていたし、理屈は通らなくても、金銭管理が得意ではない私は親にお小遣いをあげるほど余裕がないどころか、一人暮らしの電気製品などはほとんど親が買ってくれたりしていたので、お金のことを言われるとシュン。。となって当時の私は自分に進言する権利はないとそれ以上何も言えなくなっていたのでした。

兄を助けて

それでも懲りずに大人になった私は今度「兄には専門的な助けが必要」という視点を持ち始めました。兄が悪いのではなく、専門的なサポートと助けが必要だったのだという気づきは段々と確信に変わりました。自立に向けて動いていかないと、両親の死後私が世話をしないといけなくなると思った危機感もありました。常に私が感じていた重い重圧でした。(今もなくなったわけではありませんが今ならNOと言える強さを習得中。一般世間からしたらただの非情な酷い妹かもしれませんが)インターネットで検索などしてみましたが当時はあまり色々情報はなく、何となく「ピーターパン症候群?」くらいしか当てはまりませんでした。時折私は両親に相談しました。兄には専門的な助けが必要だと思うと。その度に両親は激怒し、「そんなこと言うもんじゃない」「お前よりはマシや」と叱られたり、しばらく音信不通になったり、時に速達で手紙が届き、「何にも分かっていないお前がそのような事は二度と言うな」「遠くにいるお前より(同じ県内だけど。。)親の近くにいるお兄ちゃんが親孝行だ」などと掟10ヶ条みたいな命令文が父のワナワナと怒った文字で綴られていました。
(これに関しては本当に難しく、うちの両親に限ったことではなく、私を含む多分どんな人でも、物事(助けが必要ということ)の受容のタイミングというのはそれぞれで、本人のタイミングでなければ、どんな助けや支援も届かないという問題)

「きょうだいらしさ」とは?

いつも両親に「もっときょうだいらしくできたらいいのに。仲良くなる努力を(あなたが)しなさい」と(別に関わりがないだけでケンカもしていませんが)言われ続けていました。
よく母から私に電話がかかってきては、

母「あ、ちょっと待って、お兄ちゃんがあんたと喋りたいって言うてるから(嘘)代わるわ」「○○、ドクダ美から電話かかってきてんで、お兄ちゃんの声聞きたいわ〜やって」(大嘘)
ーー電話代わるーー
兄「もう、何?(イラッとして)今ゲームしとってんけど」(不機嫌)
私「あ。そう。元気?これお母さんからの電話やから、私がかけた訳じゃないからゲームに戻っていいよ」
という面倒臭いやりとりがよくありました。時には兄が機嫌の悪い時は両親の愚痴を切々と伝えてきました。 私はそれは大変だねと相談窓口に行ってみたらと外の相談先を伝えたりしました。でも後で分かったのですが、本当に困っていて相談しているのではなく、自分が辛い思いして親と住んであげてるアピールであって、私に「親と一緒に住んでくれてありがとう」「ほんまは私もお世話してあげれたらいいんやけど、ごめんね」「何もしてなくてごめんね」と言って欲しい、あるいは何か菓子折り的なご褒美がほしいがために私に愚痴を言っていたそうです。その度に、ん?なんかおかしい。そもそも。。。と言う想いが私の頭の中をよぎります。しかし一般社会、特に私の周りからも「お兄ちゃんが親と住んでくれて良かったね」「お兄ちゃんに感謝せなね」とよく言われたりして、やっぱり自分の感覚がどこかズレているのかなと思ったり、何とも複雑な状況でした。

結婚出産を期に始まってしまった交流

私が結婚すると兄が結婚祝いをくれました。正直私は過去の記憶から兄から金銭を受け取るのは気が重く嫌だったのです。親に言われて無理やり貯めさせられたもだと今後のやりとりがややこしくなるし、そもそも金銭のやりとり交流自体始めたくなかったからです。案の定「妹が結婚するんやから」と両親や周りの親戚がはやしたて半ば強制的に貯めさせたものでした。しかも7万円も。当然本人は納得していません。金銭のやり取りを兄としたくないと両親に伝えましたが、「昔のこと言うたらあかん。昔のことはもう忘れなさい。もう今はよくなってる。断ったらあかん、可愛らしくお兄ちゃんありがと〜言うて喜ばなあかん。それができんようじゃまだまだあんたは人間ができてない。きょうだいらしくなれるチャンスや」と両親に説得され、これができるようになることは自分自身が成長すると言うことなのか??疑問でしたがまだまだ両親の傘下にあった私は説得され命令通り「お兄ちゃんありがと〜!」と受け取りました。

ただ、ここからがやっぱり大変で、両親曰く「あれはな、全部あんたのお金ちゃうねん。7万円で何か買って後で「お兄ちゃん○○買ったでありがとう」言うて報告したって。写真見せたったらいいわ。あの子が自分以外の人に初めて貯めたお金やねん。有り難く受け取っときなさい。あ、あとお兄ちゃんあんたからの内祝いを楽しみにしとうから、7万のうち4万円くらいでお兄ちゃんの服買って返したって。 それを内祝いやってあげたって。 あんたの買った服やったら着るかもしれんから」と言われ高い電子オーブンレンジを買い、お礼を言い内祝いに服を買って渡しました。結局なにがしたかったかというと、ボロボロのものばかり着るので何とか兄が自分の給料で服を買うことを遠隔的にさせようという作戦だったようです。(ややこしいわー!)

夫と住んでいるマンションの写真を見る度に兄に「えらいえ~とこ住んでんなぁ」「ええなぁ」「今度泊まりに行こかな」と言われる度に、ゾーーっと身の毛がよ立ち、嫌な感じがしました。決して誘いませんでした。泊まるはおろか、所在地を知られたくなかったからです。ふと現れたりしたら恐怖だったからです。その感覚は周りの人に相談しても誰にも理解してもらえず、「きょうだいなんやから、泊めてあげたら?」となぜ仲良くしようとしないのか不思議がられ、自分がやっぱりおかしいのかなと思う部分と、それでも金輪際縁を切りたくてたまらない非情な気持ちへの罪悪感を抱えていました。(それは今でも)

一番上の子が生まれると、私はなんとなく孫の顔を見せに行くのが親孝行だからしなければならない刷り込まれていたというのもあるし、周りの出産子育てしている人達は実家に里帰り出産したり子育てを親に助けてもらう人が実際多かったのもあるし、母子手帳や妊娠の時に市役所の保健師さんや周りにひとから「できるだけ助けてもらって」「ご両親が元気で県内にいるならぜひ頼りましょう」と声掛けされ続けたのと、当時はまだ親の言うことを聞くことに忠実な部分もあったのと、私が自分の子供と子供の祖父母との関係を私が断ち切る権利はないと思っていたので、良い関係が築ければと願い、赤ちゃんを新しい実家に連れて帰ったりしたのでした。

しかし後で分かったのですが、私の両親と兄はみんな赤ちゃんや子供が苦手だったということです。自分も感覚過敏などあり子供のうるさい声をずっと聞くのは苦手なので共感する部分もあるのですが、当時の私が親と兄が子供が苦手ということに気づくまでまだしばらく時間がかかったのです。

あの時の私がもっと賢ければ、強ければ、そんな言葉が頭に浮かびます。

今回で終わる予定でしたがまた続きは次回‥
詳細が多めですが、一度吐き出してしまい、後で客観的にみて整理をするために記録しています。

お付き合いいただき最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

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