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人生で最も恋愛ゲームに手を出してはいけない時期こそがそれらを最も楽しめる時期という体験談


学生時代にギャルゲーをやったことが今の自分に繋がっているのだと確信を持って言うことができる、良くも悪くも

ことは自身が中学3年生の時である。ある日の金曜ロードショーで初めてジブリの[耳をすませば]を見た。あまりに衝撃的だった。今までドラマや邦画などで恋愛作品を見たことはあったのだが、アニメ作品としてしっかりとした恋愛物を見たのはこれが初めてだったからだ。特にラストシーンを見た後など口を開けてただただ感動していた。それほどまでに衝撃的だった。

思えば自身がそれまで好んだアニメ作品は多くが恋愛要素を含んでいるかどうかくらいのものだった。どちらかというと男と男のバトル物が多かった。だからこそ全ての焦点を恋愛にスポットした作品は新鮮で衝撃的だった。

そして私は知っていた、ギャルゲーという存在を。あの頃訳もなくふらふらとブックオフやGEOといったゲームショップを回っていたから。

[耳をすませば]の視聴により興味は一瞬でそれらの恋愛ゲームに向いた。だが多感な時期であり、まだ現代のようにオタク文化への風当たりも厳しかった為、私は家族へバレずにやれることを第一とした。そのため携帯ゲーム機でのプレイへ辿り着くことは必然だった。

家族に隠れてギャルゲーをするスリルと初めての恋愛ゲームにおける高揚との合わせ技

そして最初に手にした恋愛ゲームというのが[どきどき魔女神判]というゲームなのだ。が、このゲームには今に至るまで拗らせ続けるだけの力があった。それは別の記事で語ることとするが、これで完全にどっぷりとなった。

バレてはいけないというスリルに恋愛ゲームのもたらす快感が合わさるのだから多感な学生に耐えられるはずもない。時間にしておよそ一時間程度であったが、あまり夜更かしを咎められない程度に、かつ長時間やってバレないようこれより毎晩この楽しみに耽っていくのであった。毎晩隠れて1時間だけ恋愛ゲームっをやるという衝撃に中学生が耐えられるはずもない。1日の最も楽しみな時間がその1時間になるまでに全くの期間を要さなかった。

[どきどき魔女神判]は絵柄も作風もポップでコミカルな雰囲気であった。その時点では続編もなく、クリアしてからすぐにでも次のギャルゲーをやりたいとなった。どき魔女は恋愛ゲームであはあったが、実際にタッチペンを用いたバトルがあったりストーリーも少年漫画的熱さがあったりとした。そのため、どちらかというと恋愛要素が強めなゲームであった。そのため次は本物のノベルゲームに行くことにし、この業は更に加速し続けることとなる。

ただ文章を読み続けるだけの快楽[夜明け前より瑠璃色な]

こうしてギャルゲーにどっぷりな私が手にとったのは[夜明け前より瑠璃色な]というゲームであった、無論PSP版である。当時は携帯も持っておらず、家のパソコンで情報収集をすることなど言語道断の為、完全にジャケ買いで決めた。絵柄が好みだったことと、なんだかよく分からないが文学的なタイトルに心牽かれたのだ。

そうして私は初めて本格的なノベルゲーに触れた。まず驚いたのはゲーム内にオープニングがある。更に当然のことながら、これぞ美少女ゲームといったキャラクター達が代わる代わるに出てくるのだ。この当たり前にして求めていたものの連続に熱が入らないわけがなかった。

私は夜な夜なこのゲームを家族に隠れてプレイし続けた。ボタンを押す音すら殺し読み進める背徳感と、毎晩の僅かな時間にだけできるという制約が相まって、その快感は実に甘美であった。

この時期においてギャルゲーをやっているという事実、あるいはいつもの時間にPSPを握っているという事実だけで楽しかった。実際のところストーリーも楽しんでいたが、それ以上にギャルゲーをやっている時間というだけで楽しかった。ただ文字を読むだけで楽しく、もっと年齢が経ってある程度自身の好みに対して分別を付けられる時期にあればやっていなかったであろうキャラのストーリーもくまなく網羅した。

こういった精神的に多感な時期というのは思うに、自身のやりたいと思ったことであればある程度何をやっても楽しくなるものだと考える。だからこそ、道を踏み外していると分かっていても多感な時期にこそギャルゲーをやってほしいと私は思う。これらの疑似恋愛というものを最も楽しめる時期というのは、同時にそれらを最もやらせてはならない時期と同じなのだ。

人生における取捨選択において、思春期に恋愛ゲームをやって疑似恋愛を楽しむ。という選択肢を意図せず選んだ者としては、学生時代こそがギャルゲーに触れる旬なのだと強く思う。当たり前の話だが、学生時代の恋愛というものは学生時代にしか味わえない。前述した[耳をすませば]も作中における同年代、あるいはそれ以下が見るのと学生以外が見るのとでは印象に大きな違いが出るであろう。
もっと言えば、学生時代が思い出になる前にこそ俗にいう学園物というストーリーに触れてほしくすら思う。なぜならその期間というのは人生において非常に限られた時間だからだ。
それに対する良し悪しは分からないし答えなどない。有意義か否か、何が糧となるかどうかなどといった話をするつもりは毛頭ない。ただ、この道を通った経験者として、そうあってほしいと願うばかりなのだ。私にとって、あの夜の時間はそれほどまでに甘美で背徳的な記憶だ。

無論、それ以外の人類にもギャルゲーをやってほしい。私はそれらが好きだから。特にこの手のゲームをやったことがないのであるのならば、尚更。それを隠れながらプレイできる環境があるのであれば、それは最高だ。

毎晩から毎朝へ

それから私はほどなくして高校へ進学し、携帯電話を与えられ、[おねがいナイショにしてね]シリーズとひいてはウィンライト作品にどっぷりとハマることなる。
そしてめきめきと限界オタク、更にはソシャゲ奴隷としての才覚をメキメキと伸ばすのであった。それは別の記事で暴露する。

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