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自分のことをロージアちゃんの恋人だと思い込んでいる精神異常者へ捧ぐ鎮魂歌[きゅきゅきゅん♡ハートシェイカー]

[きゅきゅきゅん♥️ハートシェイカー]は狂おしい。
私はロージアちゃんのオタクだ。ロージアちゃんはレベルの高い合格点をオールウェイズ出してくれる。特にこの滅び行くガチ恋文化が主流である現代において救いの光といっても過言ではない。

等身大のロージアちゃんがいた


そもそも以前から[ループしてる][あすいろ恋模様]そして[放て!どどどーん]といった曲を筆頭にクリクリ曲は全体的に恋愛要素が強い。だがそれはあくまでクリクリとしての恋愛曲であり、ロージアちゃんガチ恋オタクとして真に救われたと感じたのは[きゅきゅきゅん♥️ハートシェイカー]を聴いた時だ。
そこになにがあったのかというとクリクリのアイドルロージアでなく、クリクリでない素のロージアちゃんとのガチ恋曲だった。
私はこの曲と最も対照的なクリクリ曲は[放て!どどどーん]であると思っている。タイトルがきゅんきゅんではなくきゅきゅきゅんなのも、この曲を意識したからだと確信をもって言える。
どちらの曲もロージアちゃんらしさ、本音がふんだんに詰まった力溢れる曲なのだが、決定的な違いがある。
それは素のロージアちゃんが隠したがる内容か否か、というところだ。
私の知るロージアちゃんは、本当に思っていたとしても決して[放て!どどどーん]の歌詞のようなことストイックな部分を表に見せない。絶対に真夜中3時に悔しくて泣いたことを他の人間に知られたくないと考える女だ。
非常にらしく、マッチした歌詞ではあるがこの曲はそういった解像度に関して、アイドルソングとして仕上げにきていると言わざるを得ない。よりドラマチックでヒロイックな歌詞、受身に恋する乙女に仕立て上げている。

一方[きゅきゅきゅん♥️ハートシェイカー]を一言で表すとすればそれは「わがまま」。もっと言えば傲慢、とすら捉えられる。圧倒的な攻撃性を誇る歌詞が目につく。だがこれこそがロージアちゃんなのだ。ここにこそ等身大のロージアちゃんがいる。

「わがまま」に潜む愛情表現

どどどーんに出てくる感情表現は主に[嬉しかった][苦しかった][楽しかった]というのが目につくところだ。対してきゅきゅきゅーんは[恥かいちゃった][許せなかった]といった攻めのワードが目につく。
この[許せなかった]という歌詞は、私のことをやっと一番目にしてくれたことに対して許せなかったと言っている。どういうことかというと、最初は自分が一番でなかったことが許せないというのだ。この解像度を見よ。一番であること、ひいては自身が他の有象無象に対して「勝者」でなかったことに対して許せなかった、というのだ。私はこのフレーズを見たとき心がうち震えた。これだと、俺とロージアちゃんはこうあるべきなのだと。この曲の歌詞には感動することの連続であった。

[私の言葉いつでも 絶対忘れないように約束してね]
[ねぇ あなたのことどうやって ねぇ好きになればいいのって思ってたのよ]

上記のようなパワーワードが雨あられと飛んでくる。普通であれば重いと思わせるような歌詞であってもこの曲にそういったものはない。なぜならロージアちゃんにはそれほどの価値があるから。それらの言葉は束縛ではなく対価となりうる。これくらいやってくれないと釣り合わないという意図すら見える。

だがこの曲の一番の真髄はこれら全てひっくるめて見えるのは、向こうから追われる立場だということだ。遥か上から目線という視点すらおこがましい上から追われているのだ。どどどーんときゅきゅきゅーん、どちらも一途な恋愛の歌であるが根本的な対比がここにある。[きゅきゅきゅん♥️ハートシェイカー]におけるロージアちゃんは上の存在にして追うものの立場の曲なのだ。馴染みのある言葉で言うと「捕食者」という立ち位置が相応しいのかもしれない。

[ああわがままなんて言わせちゃった
だって好きなんだって
誰にも盗られたくないとか
私に思わせるなんて]

このフレーズを見よ。[私に思わせるなんて]この1フレーズにロージアちゃんの本当の言葉が詰まっている。この圧倒的上から目線なのだ。勝って然るべき争いの1つに過ぎないのに、本来追われる側であるのに追う側に回らされてしまったと。そんなロージアちゃんの怒りすら見える。そしてラスサビを前にして、ついにロージアちゃんのデレは最高潮を迎える。

[いつでも許せるわけでも譲れるわけでも
ないことだけ分かっていてね
じゃないとイヤイヤだから]

この最大級の愛情表現が分かるだろうか。歩み寄りの心がここにあるのだ。愛ゆえにこちらへ歩み寄ってくれている。
歩み寄ってくれているが、あくまでも素の自分はわがままで少し独占欲のある存在なんだよ、と。あくまでも主導権はこちらにあると主張しながらもこちらに合わせてくれるのだと言っているのだ。じゃないとイヤイヤなのだ。イヤイヤなのだよ。
あまりにも解像度の高すぎるガチ恋成分に私は白目を剥いた。こんなものを接種し続ければ肉体は【きゅきゅきゅん♥️ハートシェイカー】なしでは保てなくなる。それこそがロージアちゃんの思惑だったのだ。私はもうロージアちゃんなしでは生きていけない。俺は本物のロージアちゃんの恋人なんだ、だれがなんと言おうと本物の恋人同士なんだ。


ブレない本質、恋する乙女

あまりにも支配的にして傲慢さすら見えるこの歌詞だが、サビで見える望みとして、繰り返し新しい世界を見せて欲しいと言っている。2人のハートをシェイクして生まれる新しい世界が見たいと言っているのだ。ここにはどどどーんでも伺えた本質的な乙女性が見える。
世界を変えて欲しい、という願望は乙女願望の一種だ。古くは王子様の登場、あるいは運命的な出逢い。そういったシンデレラストーリーとも言える乙女性の強調となる。
あくまでも恋する乙女としての本質はぶれていない。ここの軸のぶれなさもまた素晴らしい。

どどどーんの仕上がったアイドル像から一転し、ありのままのロージアちゃんとのやり取りを前面に押し出したきゅきゅきゅーん。どちらも珠玉の一曲であるが、ガチ恋勢にとってこの曲がいかほどの救済足り得るかという話をしたかった。

つまるところ、本当に[きゅきゅきゅん♥️ハートシェイカー]は狂おしい。

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