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最高のヒーロー「エンデヴァー」に燃え続けた時間よありがとう。【僕のヒーローアカデミア】とは轟炎司に狂い続けた時間そのものである

更に弱くなった
立場と償いと過ちと責任が
おまえの生来の弱さを曝き出し見るに堪えない愚図へと引きずり下ろした
超人にはなれないんだよ炎司おまえ
原点を思い出せ
敵が何だったのかを
悪漢から少女を救おうとし結果少女もろとも肉塊と化した父を
真の超人への羨望と僻みを
”努力エンデヴァー”と名乗る卑屈な性根を
誇示していなければ保てぬ程度の醜い心を
そう おまえはオールマイトにもデクにもなれない
炎司おれはいつも自分の弱さとしか戦ってなかったから
だから生まれ変わろうなんて考えるな
”己の弱さてき”を呪い続けろ
唯一それだけがおまえを生かしてきたのだから

僕のヒーローアカデミア No.356 敵について

私の最高のヒーローとは「エンデヴァー」だ。
立ち続ける彼に心奪われてから【僕のヒーローアカデミア】とは轟炎司という男の戦いを見守ることそのものとなった。

先日ついに最終回を読んだ。涙が止まらなかった。
私の愛した炎司は最後まで愛していた炎司だった。

思えば長い道のりだった。初めてコミックスで「彼は何故立ち続けたのか」を読んだ時からだから5 年くらいは経っているのであろうか。
それだけの年月を拗らせてきた私から見て完全に満足の行く顛末だった。

最初から最後まで炎司の""敵""との向き合いによる苦悩は晴らされることはなかった。
だがなによりもひとつ、彼にとって救いだったことがある。「地獄」へ行くことにポジティブな理由が生まれたことだ。
贖罪でなく「誘いを受けたから」と地獄行きを受け入れることができたことが炎司にとって最大の救いだったのだと胸を張って言える。

本当に炎司は作中ぶっちぎり最大最高の魅力を出し続ける男だった。
「彼は何故立ち続けたのか」という神の回で流した真の涙は正しかった。炎司のことを愛し続けることができて良かったと心から思う。

轟炎司、彼の最大の魅力とは「弱さ」である。
作中の活躍云々ではない。彼の原点たる「己の弱さ」こそが魅力なのだ。
デクと最も対照的な男である。轟炎司の心は本質的に無個性である。自分の個性に見きりをつけて諦めた心はヘルフレイムをなかったことにした。
彼の弱さは応援したくなる弱さではない。誰かがサポートしなければなにも成せない弱さであり、その無力感こそが彼の原動力。

それでいて誰よりも諦めの悪い男だった。
夢も贖罪も諦められたら彼は苦しむことはなかった。でも諦めなかった。自分の弱さを許すことができなかった。だから戦い続けた。
私にとっての最高のヒーローとはそんな醜くもがいて戦うエンデヴァーなのだ。

私は轟炎司を愛している。大好きだ。
【僕のヒーローアカデミア】に抱く感情とは即ち炎司への想いの軌跡である。
あまりにも不器用で無様で醜い。頑張れって感じの応援したさを全く感じられない。
エンデヴァーの戦いはいつだって自分のための戦いだからだ。贖罪であり自分自身への断罪であり、弱さへの怒りである。

そんな炎司だからこそ私は心震わされた、俺のヒーローと言えた。

やはりエンデヴァーを好きになるきっかけとなったのはいわずと知れた神の回【彼は何故立ち続けたか】である。
なんて不器用な男なのだと。「体に熱が籠り続ける」というシンプルながら根の深いコンプレックスを抱く姿に惚れた。この世で最も美しい言葉とはコンプレックスだから。

「俺を見ていてくれ」に対する「見ろや」「見てるぞ」「見てたから知ってる」の解釈の多様性は非常に美しかった。後に登場する第4の解釈という存在も踏まえて。

この時点での「見て欲しい」という欲求こそ、炎司の弱さそのものであったことが今ならばわかる。
多くの人に許されることで自分で自分を許したい、そのための大義名分が欲しいという意識がはからずも表に出たものだと見てとることができる。しかし彼が自分を「よくやった」とねぎらえる日は来ない。
現実には見るべきものから目を背け続けた男の甘い戯れ言にすぎない。自分は見てこなかったのに自分のことは見て欲しいなどと都合の良い話は許されない。

それでもエンデヴァーを見る者はいる。それは救いであり呪いだ。彼が戦うことをやめてはならない理由となるのだから。
あるいは現No.1ヒーローとしての彼を見る社会の目、あるいは隣に立つ同業者からの目。そして今まで見ようとしてこなかった者からの目。その全てが彼の生来の弱さを駆り立て、戦いをやめさせない。
この男は救われない。だから最高なのだ。地獄のダンスパーティーは炎司が「己の罪と向き合う」と決めた瞬間に開催が決定する。

「彼は何故立ち続けたのか」で戦った、戦闘用に組み合わされた個性の怪物であるハイエンド脳無とは炎司が犯した罪の権化である。
ハイブリット個性を人工的に作ろうとした者同士の戦いはけじめである。

轟炎司が何故立ち続けたのか?

原作の最終回までを踏まえての答え、私の解釈は「己の弱さを呪い続けた」からだ。死んで立ち上がれなくなる瞬間まで、立ち上がれない弱い自分と戦い続ける男だからだ。

ただひとつ、変わらない答えとしてやはり「向き合うと決めた」ということはある。
それは家族だけではない。「敵」そのものとの対峙でもある。

個性を呪いNo.1を諦めた弱い自分との決別でもある。それが彼を地獄へ向かわせることになる。
故に轟炎司という男でありエンデヴァーというヒーローの魅力はここから留まることを知らない。
曇らせ、尊厳破壊、人体欠損……なによりも彼にとって最大の敵である己の弱さと対峙する機会が圧倒的に増える。

そう、我々は無意識的に見せつけられて刷り込まれていた。神の回「敵について」で炎司のオリジンが明かされるまで、ずっと。

エンデヴァーの敵はヴィランではないのだと。彼にとって倒すべきものは常に潜在的な己の弱さで一貫していた。

それは誰かの助けを借りなければ脳無を倒せない自分であり、ヴィランとなった息子とは戦えないと言ってしまう弱い自分自身だ。

この弱さをまざまざとずっと見せつけられていた。
オールマイトへの劣等感であり、焦凍への執着であり、No1への渇望も全ては彼の生来の弱さが原因へと繋がる。

オールマイトが戦えなくなった時、世界はオールマイトの代わりを求めた。そしてNo.1ヒーローとはそれを求められる存在だ。
しかしエンデヴァーはオールマイトの代わりなど求めていなかった。世間とのズレがあった。彼が求めていたのはNo.1という座だったのだから。
だから炎司は超人にはなれない。オールマイトにもデクにもなれない。

ワンフォーオールが「譲渡すると決めた想いを込めた」個性の受け渡しであるのに対し、炎司は一方的に自分を越える個性を生もうとした。
彼は根本的な思考としてOFAへと至っていた。倫理感と道徳観はないが強さを求める際には非常に合理的だ。だからハイエンド脳無との戦いはありえたかも知れない未来での燈矢との戦いであり焦凍との戦いである。

OFA、オールマイトとは本当に紙一重の存在だった。だが紙一重にしても巨大すぎるほどの「ヒーロー」としての差がオールマイトとの間にはあった。
それは大きな力の波となり後に来る彼のオリジンで絶大な力を発揮する。

だがその前に大きなターニングポイントが訪れる。そう、息子でありヴィランである荼毘の存在だ。
家族に向き合うと決めた男に振りかかる試練としては避けて通れない道である。
彼との確執であり戦いの軌跡はやはり轟炎司という男の魅力を格段に際立たせた。特に曇らせ方面に関してはかの神の回【ダビダンス】を皮切りに今まで以上に苛烈な曇らせを見せた。

私はヒロアカで1番好きなキャラは炎司だ。故に2番目に好きなキャラは燈矢になる。当たり前だな。
「見ろや」「見てるぞ」「見てたんで知ってる」に次ぐ第4の視点「言われなくてもずっと見ていた」を冠する男だ。
この「言われなくてもずっと見ていた」男という立ち位置には猛烈に心震わされた。
炎司の中では燈矢は死んでいた。でも燈矢は死んでいなかった。彼はずっと父を見ていた、しかし炎司は死んだものとして扱っていた。だというのにそんな父の口から「俺を見ていてくれ」という言葉が飛び出しているのだ。
まさにどの口がそんなことを言うかと。燈矢が味わった屈辱や憤りを考えると本当に濃いものが出る。

燈矢はいつだって救われるのが遅い。
迎えにきてもらうのも兄弟喧嘩するのも一緒にダンスをするのも全て手遅れになってからだ。彼が求めたヒーローとしての道や強い個性、なによりも父からの期待と想いを受けるという願望は全て焦凍が叶えた。

だからこそ炎司と燈矢の確執は燃えるのだ。
地獄の業火ヘルフレイムに焼かれ続ける男たちのやり取りは胸を熱くした。
炎司は家族に向き合うと決め、段々と向き合えてきた。ヒーローとしても信頼を得てきた、そんな矢先に世界の真理である「過去は消えない」という現実を突きつけられる。

ここで「許してほしいんじゃない、償いたいんだ」と言った炎司の本心が試される。
そして本当にその心があったのだから大量殺人者むすことは戦えないという結論へ至る。父親としてはあるべき姿に思える。しかしNo.1ヒーローとして見たら最悪だ。
このジレンマに揺れて曇りに曇りまくる炎司は本当に最高だ。インターンだなんだとでかい面をしていた素敵なイケオジマッチョがごりごりに曇り散らかして病院で泣きながら寝っ転がっている姿は美しいと呼ぶ他ない。

それでも戦いと償いを止めないと決めた炎司の姿が家族から解釈した【彼は何故立ち続けたか】の答えに繋がる。
なぜエンデヴァーが立ち続けたのか。子どもを4人も作ってまで理想の個性を粘り続けたのはなぜか。

彼は「諦めが悪いから」
しかしそれだけではない。
戦うと決めたからだ。己の弱さと。

ハイエンド脳無戦よりエンデヴァーは家族と向き合うこと、過去の罪を償おうという道を選ぶ。
それは即ち今までは向き合ってこなかったということを意味している。

エンデヴァーの子どもたちは彼の弱さそのものである。
自分の個性に限界を感じ、子どもたちに自分の個性の弱点をなくした理想の個性を発現させようとすること。それは自分がNo1になることは諦めているが諦めきれていないことを意味している。

自身と同じ個性で自分よりも重い枷を背負う橙矢は
故に子どもたちと向き合うことは彼が無責任に託そうとした弱さに向き合うということに他ならない。

だからこそ、焦凍が生まれてしまったせいで狂った男という共通点を持つ2人が1人のヒーローに救われる「轟焦凍:ライジング」へ至るカタルシスの溜めであった辺り本当に着地点がよくできていたと感心するばかりだった。

諦めの悪さ、卑屈さ、そして超人オールマイトへの執着。
全ては繋がっていた。明かされたひとつの原点により全てに理由が繋がる。

この話をせずして炎司の魅力は語り尽くせない。
神の回「敵について」だ。

ここで炎司の敵が「自分の弱さ」であることが明かされる。話の内容としてはオリジンだがその名を冠してはいない。
なぜならば「炎司は超人にはなれない」からでありその理由は「いつも自分の弱さとしか戦ってなかった」から。
だからデクたちのように「オリジン」の名を冠することができない。そこにヒーローへの憧れはないのだから。

「彼は何故立ち続けたのか」

この問いに関するエンデヴァー、轟炎司としての回答はこれだ。超人にはなれないのだから、己の弱さを呪い続ける。
それだけが彼を生かし続けてきたのだから。だから倒れるたびに、打ちのめされるほどに立ち上がらなくてはならない。
命燃え尽きて楽になれる日まで立ち続けて戦い続けるしかない。彼が自分に対して「よくやった」などと声をかける日はこないのだから。
命ある限り、戦い続けて「敵」を否定しようとしている時間だけが自己肯定となる。

明かされたこの炎司のオリジンを初見で見た際には本当に気が狂った。吼え散らかした。
あまりにも美しい。真の涙が頬を伝った。こんなにも私の癖に則した生物がこの世に存在していいのか。

この世で最も美しい言葉とは「劣等感」であり「コンプレックス」である。劣等感を抱き生きる生物を愛する私は元々好きだった炎司へ本当にここから魂の狂いを抱く。
元々自分の個性に劣等感を抱いていたのは知っていた。それを払拭するために焦凍を作ろうとした倫理観のなさ、悪意のない邪悪と呼ぶに相応しい半生は目を見張る素晴らしさだ。まずはそこが大好きだった。
それからオールマイトへの劣等感。誰もが憧れを抱く超人に対してずっと越えることができないという劣等感を抱いていた。本人は本気で越えようとしていた、でも絶対に越えられない。そんな姿も愛おしかった。
そしてやはり燈矢が出てからの圧倒的曇らせ。これも外せない。No.1ヒーローに相応しい男になってきた矢先に過去の「過ち」が「責任」を求めてくる。ヒーローという「立場」と父としての「償い」に挟まれて苦しむ様は美しいと呼ぶ他にない。

最後にこれである。明かされた轟炎司のオリジンは彼を完成させた。
体に熱が籠り続けて長く戦えない、ヴィランとなった息子とは戦えない、そして「真の超人」になることができない。
これらの彼を構築する要素は劣等感でありながら原動力であった。その忌々しい自分の弱さこそが常に倒すべき「敵」であり戦いだ。
憎いのは自分の弱さ、という答えに繋がる。だから生きている限り敵が消えることはない。誰を倒して何になっても敵は消えない。

そんな矮小で弱い男が原点を思い出すことで「使命」に燃えて戦うのだからヒロアカは最高なのだ。
それはNo.2ヒーローとしてオールマイトを越えると誓っていた男が真の意味でオールマイトに近づけたことを意味している。
ヒーローという立場から生まれる使命で戦うエンデヴァーは本当の意味でヒーローとなる。真のヒーローには近付けないと知っていてもだ。だからかっこいいのだ。

オールマイトのように一人で戦って勝って解決できるわけではない。背中を押してもらい、道を空けてもらい、他の誰かに支えられながらでないとNo.1であり続けられないエンデヴァーの姿はあまりにもヒロイックだ。
弱さ、忌々しい過去と向き合うことはエンデヴァーにとってスタートラインですらない。それしかなかったのだから。
そんな男がこれまでの戦いで得た戦いの軌跡立場と償いと過ちと責任によって生来の敵を思い出し、ヒーローとしての使命に燃えるという展開は本当に「ヒーロー」という題材に向き合いすぎている。

こんなにも熱く美しい炎司の原点であるが、やはりオールマイトとの対比という点では圧倒的に矮小である点もまた素晴らしい。

真の超人たるオールマイトは誰もが通ったはずの道である【アンパンマン】を原点としている。
「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」という原点に対して「人の役に立てて嬉しい」という答えを出している。
対して炎司の原点、己の弱さもまた誰もが一度は抱いたことのあるはずの劣等感だ。
しかしこの生粋にして純然たるヒーローとしての器、生き様の違いは最も対照的だ。

炎司は肉塊になった少女と父を想うのはなく、元凶である悪漢を憎んだのでもない。ただ純粋に無力、そして超人になれないという現実を噛み締めただけだった。
「他人」のために生きるオールマイトとは根本からして生き方、思考の構造が違うのだということを見せつけられて私は狂った。

オールマイトは平和の象徴としての強さを抱き続けたのに対してエンデヴァーは己の弱さだけを抱いて生きている。
エンデヴァーが真の意味でNo1になれない理由、真の超人へとなれない理由がここにある。

オールマイトの敵とは全てのヴィランである。だがエンデヴァーの敵は己の弱さだ。
ヴィランを倒すことはNo.1になるための手段に過ぎなかった。オールマイトはそれを目的としていたのに。

だからエンデヴァーは本質的に最高のヒーローにはなれない。彼はヴィランを見てもいないのだから。なので作中においては最も対極的な存在「ヴィランにすら手を差し出せる人」というものが「最高のヒーロー」として評されていた。

私はそんなエンデヴァーだからこそ愛していたのだ。何度でも言おう、エンデヴァーは最高のヒーローだった。
ヒロアカは本当に面白く熱い作品だ。そこは間違いない。だが轟炎司へ抱かされるでかすぎる感情の数々はそれらを些事とした。

炎司と燈矢の存在はヒロアカにおける大いなるモチベーションだった。はたから見たら彼らは救われない道を往った。だが救われないなりに魂の救済は得た。
燈矢は一生得られることのなかったはずであろう家族との時間を得た。炎司はヒーロー以外の生きる道を見つけた。
その結末に対して大いなる納得も得ている。ストーリーとしての流れもちゃんとしていたし熱かった。

やはり手放しに炎司には救われてほしくなかったのでこの救われないが報われていないわけではないビターエンドは実に色々と考えさせられて良い。
立ち続けた男は物理的に立つことが出来なくなっても安寧を得られない。本質的に命尽きることを立ち続けられないと呼ぶのだ。
行くとこまで行っても自分に対して「よくやった」と言えない真っ直ぐに拗れ散らかした性根には感動した。

彼の余生はコミックスの追加漫画でも明かされていなかった。燈矢は死んでいた。炎司がどうなったのか、生きていたとしてどう生きているのか。
答えを知る術はなく、すべての解釈は想像の翼に委ねられた。炎司は幸せになったし幸せになれなかった。

【僕のヒーローアカデミア】とはデクが最高のヒーローになるまでの物語だ。己の弱さとだけ戦い続けた男の話ではない。
1-Aを筆頭とした学生ヒーローのみんなが頑張り成長していく姿を楽しみにしている人からしたら炎司の戦いはノイズに思えるだろう。

しかし闇があるから光が際立つのだ。
「自分の弱さ」をオリジンとした男がいるから真の強さとはなにかが強調される。
そう、つまり「応援したくなる弱さ」と最も対極的な位置に存在するヒーローとはエンデヴァーなのだ。だから彼はオールマイトにもデクにもなれない。
轟炎司という男の泥臭く醜い戦いと生き様を見るからこそ作品の光を心から享受することができる。

だから私のヒロアカはエンデヴァーなのだ。

故に我々もまた炎司のことをこれからもずっと考え続けるしかなくなってしまった。みんなが大人になってからも炎司はどうなってしまったんだろう、と。考えすぎてイカレてしまうまでな。

だから躍り続けよう。
炎司がそう選んだように。
お前も好きなんだろ? 炎司が。

だから今も、瀬古杜岳ここにいるんだろ。

こっちで一緒に踊ろうぜ。死ぬまで。

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