絶対的幸福論
私はずっと「幸せ」について考えてきたのだが、
最近私なりの幸福論にたどり着いた
ありきたりだけど とても大切な考え
話が変わるが、私は2年ぐらい「永遠」を探し続けていた
「永遠なんてない」とよく人は言うけど、その気になれば永遠は手に入ると信じていた
本気で永遠を手に入れようと毎日を過ごした結果、私ある結論に辿り着いた
結局永遠は存在しなかった
というより認知できないのだ
当たり前と言えばそうだが、永遠という概念は人間の生命より遥かに長い時間軸にあるものだ
そして、我々の間に存在している永遠について、その中にいる我々からは認知できない。神的視点が必要なのだ
簡単に言えば、飛行機に乗っている人々のようなかんじ
もし窓がなければ、今どのあたりなのか どのぐらいの高さにいるのか はたまた今飛んでいるのか 空中停止しているのか、なにもわからない
それがわかるのは地上にいる人たちだけ
私の2年の成果をまとめるとこうなる
永遠というのはその当時は認知することができなくて、失われたときに初めて成立するもの(=成立したときにはすでにその空間は失われている)ので、実質存在していない
ここで、冒頭の幸福論の話に戻りたい
私は永遠がないことを知った
ただ最近、「こんな時間がいつまでも続けばいいのになあ」と思うことが増えた
これこそが幸せなんじゃないか?
“永遠が手に入らないとわかっている上で、それでも永遠を望んでしまう瞬間を確かに感じている”
そう、これが私の幸福論
最近、相対的な幸福が増えている気がする。SNSの普及のせいだろうか
もっと「これが私にとっての幸せ!」と、胸を張って言えるような自分の中の基準・軸みたいなものをしっかり持っておくことが、現代社会で大切なんじゃないかなあ
私は私だけの絶対的幸福を噛みしめながら、毎日を大切に生きていきたいと思う
みなさんの幸福論はなんですか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?