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努力で夢中に勝つことはできるのか

今朝熱出た。久しぶりの熱と全く効かない冷房というダブルパンチもあり、個人的にはなかなかキツかったんだのだが、その反面、今日のタスクをやらなくていい言い訳ができたのが正直嬉しくもあり、自分について客観視するいいキッカケになった。

熱が出たとわかった瞬間に2つのことがパッと出て来た。1つが今日の仕事どうしようかということと、もう1つが今日のタスク(主に毎日のルーティーン)をやらなくて済むという言い訳だった。

「努力は夢中に勝てない」という言葉があるが、言い訳がパッと思い浮かんだと同時に、自分が今やっていることは夢中ではなく、努力なのだということを痛感した。

多分、今やっていることはやってても比較的苦にならないことであり、自分の才能的に向いていることだとは思うのだが、やらなくていいならやらないことであると客観的に察した。

努力とか夢中の定義によっても話が変わってくると思うが、僕の感覚的な努力は「やるのが嫌だけで頑張る」で、夢中は「ついついやってしまう」であると思う。こう考えると、努力が夢中に勝てないというのは当たり前の話であり、僕の今の状態は明らかいに夢中な人たちには勝てない。

しかしながら、『ほぼ日刊イトイ新聞』の糸井重里さんは何十年間も続けている自身の投稿を「毎日やめたいと思っている」と言っており、名だたるアスリートの中でも毎日の地味できつい練習を「辛いし辞めたい」と思っている選手も多いと聞く。

しかし、彼らはそう言った練習を努力で続けることによって結果出しているという事実もある。「努力は夢中に勝てない」という事実と、努力で第一線まで上り詰めた人がいるという事実。これが、自分の今の状態が続けるに値する「いい状態」なのかというの問いを生み、最近自分の頭を悩ませていた一つの種であった。

今までは、友達との飲みとかでやらなくてもいい時間があったが、誰も知り合いがいない場所に移住したので、今は熱でも出さない限りやる以外の選択肢がない。この追い込まれた状態が自分自身にとっていい環境だと思ってのこの決断だったが、自分に対して無理をさせているだけなのかもしれないという問いはいまだに拭えていない。

きついことをして享楽を味わっている自己満になっているのではないか、無駄に自分を追い込んでるぶって他人からの評価を得ようとしているだけなのではないか、その疑問は常に頭の中を駆け巡っている。何かしらの結果を出せない限り、僕はこの疑心から逃れることはできず、常にこれと戦うことになるだろうなと思っている。

ただ、今回の熱で今日のタスクをやらなくていい言い訳ができたことによって、学んだことが2つある。

一つは「自分が全力疾走してる中で止まることが許された瞬間に幸せを感じること」、そして、もう一つは「積み上げていっている自分が好きなこと」である。

まだ言語化することができないのだが、これを感じられたのは非常に有意義であった。


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My Memo
1997年の日本生まれ。