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偏った情報が尖った発想をつくる

人間に自由意志はあるのかという議論は飽きることなく、今もなお地球のどこかでは議論されていると思うが、僕は個人的に人間は意外と機械的な存在なのではないかと思っているタイプである。

0→1を生み出すオリジナリティなんてものはなく、それはどこかから持ってきた0.1をどのような組み合わせるのかという配分の問題だけだと思っているし、今の自分の選択も一見自分が選んだように見えるが、それは自分の育ちや今の環境などに依存している必然的なチョイスだと思っている。

だから、僕と同じDNAを持って、同じ時間に生まれて、同じように育ってきた人がいるとするならば、この時間に同じように記事を書くだろうし、今まで同じ経験をしてきたのなら、このように自由意志がうんちゃらかんちゃらと書くことになるのだと思っている。

もしかしたら、人間の全ての要素が機械的であるという考え方は少し行き過ぎなのかもしれないが、人間の中には結構の割合で機械的な側面があるのは間違っていないと思うし、そう考えたほうが都合がいいことも多々ある。

自分が機械的であるとすると変に自分の意思とかに期待しないで済むし、客観的に自分という機械的側面を持った乗り物と向き合えるようになるので、自分の中ではなかなか有用な考え方だなと思っている。

情報を偏らせる

自分の発想は自分が取り入れた情報の組み合わせでしかないと考えると、「情報収集」について今後自分が取るべき行動が見えてくる。

例えば、同じようなスキルを持った人たちが同じ素材で料理を作ったら、当たり前だけど同じような物になる。故に、もし他の人と差をつけたいと思うなら、「スキルを上げる」か「他とは違う素材を持ってくるか」しかない。

情報もこれと全く同じで、他の人と違う発想をして希少価値を高めたいと思うのなら、スキルを磨くか違う素材を持ってくるかしかない。

もし、文脈や本質まで抽出できるスキルがないと思うのなら、人とは違うところから情報を持ってきたり、特殊な配分で情報を入れるようにしなければ人とは差が生まれない。

LINE Newsで最新の時事ネタを入れて、NewsPicksのオリジナル記事を見て、Twitterで盛んに議論されている話題を押さえているだけでは、そこらへんの人と全く変わらないものしか生まれないのは自明の理であろう。

ほとんどの人が料理のスキルの面でいうのなら、ほとんど差がつかないのだから、やはり情報をどこから入れるかを考えなければならないと思う。

そして、ここでも大事なのが「何を入れるか」よりも「何を捨てるか」であって、何もない最初のうちは極端なほどに偏らせたほうがいいと思っている。思い切って捨てることが極端を生んでくれる。

個人的には、本当に興味のあるものや人だけに絞って、あとは気になったものがあったら1時間くらいでパッと調べたり、多様な書籍によって情報を入れたりするのがいいのではないかと思っている。

思い切ってTwitterからの情報も切って、LINE Newsなどの時事ネタも一切見るのをやめて見るのもアリだと思っている。本当に必要な情報は探そうと思わなくても勝手に入ってくる。

尖らせる→横展開する

何か一点を極めて人は幅広いを情報を入れることによって横展開を考えることができるのだが、何も極めていないと思うのであれば何かを極めるためにも極端なほど偏った情報の入れ方をして人とは違う発想になってしまうのが手っ取り早い。

尖らせて、ある程度極めてから、様々な情報を入れていくのでも全然遅くないと思うし、なんならこれが一番の近道だとさえ思っている。

極めて当たり前の話だが、人と違う情報を入れて、人と違う考え方をして、人と違う行動をしない限り、人と違う結果が出ない。

いらない情報源を捨てて、ニッチな分野に特化させるほうがいいフェーズは間違いなくある。どうやって自分に価値をつけていくのかということを客観的に見るのがやはり重要であるなと改めて最近感じさせられている。

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My Memo
1997年の日本生まれ。