綺麗事は…の続き
あの日の続きをいつまでも描こうとしては、その度にインクがなかったことに今更気付かされる、無いとわかっていてもわかりたくないような、わかってしまったら全部崩れてしまうような、そんな予感に常に見張られながら生きている。
秋なんてありませんけど?なんて嘲笑うように気温は既に20℃を下回るのが当たり前だったりして、やり残したこととか、言い残したこととか、離れていってしまったこととか、もう聞き飽きたよなんて、読んでるあなたの声が聞こえてきそうな、あの子の話とか。
結局は過去、終わってしまったことに今更になってできることは何一つなくて、忘れないように思い出していることが忘れていたことの証拠になるだとか、そんな皮肉にも慣れ腐ってしまって、悲しい顔で生きるのが当たり前になってしまいそうだよ。
喜びを分かち合えること、その大切さはどんなに苦しくても分かってる、というか半ば強制的に幼少期から刷り込まれて生かされるのがほとんど。誰かを幸せにするとか、笑顔にさせるとか、そばにいて少しでも心の支えになるとか、正直、わかんないし難しい。じゃなくて、わかんなかった、が正しいかも。
誰かが幸せそうだから幸せになれるとかも、到底理解できなかったし、結局は強がりなんだろ、綺麗事だろ、ヒーローごっこかよ、って、ねえ、何年か前の自分は、本当に幸せになりたかったのかな、許されたかっただけ、ここにいていいんだって思わせてほしかった、逃げ場を作れないなら居場所がなかったら、どこにも行けないじゃんか。
綺麗事にはさ、犠牲もあるし、エネルギーも使うし、上辺だけだとしても、その本質を見抜ける人なんて、その本人にしかわかってあげられないような、すごく黒い部分がある。それでもなお綺麗だって言いたい、そんな強がりな言葉なんだと思ってしまう。
今の僕の居場所はきっとここで間違ってないんだろう、どいつもこいつも誰かを救うとか、人生変えてやるとか、傍から見ればただの理想郷を唱える信仰者みたいなもので、でもそれが唯一の救いで、全員が何かを志して、それをいつか叶えてしまいそうなくらいがむしゃらな歌を歌ってるようなやつばっか。馬鹿なんじゃないのって思うけど、気づいたら僕もその中の一人で、なんだか叶えてしまえそうなくらい綺麗な景色が広がってることがある。
あなたの笑顔が、涙が、拳が、全てが、愛おしいのは、僕がずっと嫌いだった誰かの幸せで自分が幸せになれるみたいな、そういうことだったんだね。
ねえ、あなたにはどう見えていますか?
綺麗事は、やっぱり綺麗でしたか?
終わってしまう前に、もう少し見ていたい景色があるなら、もう少し僕と生きてみたらいいんじゃないかな。
居場所も、逃げ場も、きっとどこかに見つかるから、僕が感じている予感に、あなたがなってくれたら、それはきっと、死ぬまで続く綺麗事になるんだと思うよ。
いつかちゃんと綺麗だと想えるように。