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束の間の休息

作・夢霧 凪奈(ゆめぎり なぎな)
「お父さん!!お帰りー!」
ドアを開けると、満面の笑みの愛しい我が子達と嬉しそうな笑顔を浮かべた妻が立っていた。
「ただいま、イリア、イワン、ナターシャ。ああ、我が家だ、、、、、、。」
ドアを開けたら妻と子供達が居るという事は日常である筈なのに、まるで腰から力が抜けた様な妙な安心感を覚えて、僕はどこか腑抜けた表情をしていたと思う。
「お父さん?大丈夫?」
心配そうにイリアとイワンがこちらを覗き込む。
「ねぇ、アナタ、もしかして、、、、、。」
「え?」
「いいえ。、、、、、、なら、良いのよ。そうね、いつまでもここにいて良いのよ。」
「いつまでもここにいてもって、ここは俺たちの家だろう。」
「そうね。ここは正真正銘私たちの家ね。」
「お前にしては珍しく、おかしな事を言うもんだな。」
「いいえ、これでこの話はお終い!ふふふっ、お帰りなさい。あ、もう晩ご飯は出来ているわよ。」
「ねぇねぇ!僕ね、お料理、手伝ったんだよ!」
「私も私も!というか、イワンはお野菜を切っただけでしょ!私なんて、野菜切った上にお鍋の番もしたんだからね!」
双子のイワンとイリアが応える。
「そうか、そうか、二人共偉いなー。それにナターシャの事をいつも助けてくれて、ありがとうな。」
そういいつつ、愛しい我が子供達の頭をクシャクシャと撫でてやる。
「えへへっ!ありがとう、お父さん!」
「お父さん、大好き!」
イリアとイワンが応えてくれる。
そうして、コートを掛け食卓に着く。食卓にはサラダや、キエフ風カツレツ、サワークリームと香草のディルを添えたボルシチやピロシキ、などの料理が並ぶ。
「とっても、豪勢で美味しそうだな。」
「ええ、私が腕によりをかけて作ったのだから当然よ。」
妻のナターシャがそう言って微笑む。そうして、家族全員で食前の祈りを行う。
「お父さん、本当に美味しいね!」
「ああ、そうだな。」
深紅色のボルシチをスプーンで掬い、口に運ぼうとして僕は手を止めていた。
「あかいろ、、、、、。」
その時、何かが脳裏を掠めた気がした。何か、こう大切な事を忘れてしまったような、何かが足りない様なそんな感覚に陥る。
「お父さん、どうしたの?顔、怖いよ?もしかして料理、口に合わなかった?」」
イワンが心配そうに顔を覗き込む。いつの間にか表情が険しくなってしまっていたらしい。
「ああ、すまん、すまん。少し考え事をしてしまってな。」
「ねぇ、アナタ。大丈夫?もしかして、少し疲れてる?心配する事なんて無いのよ?」
妻が心配そうにこちらを見てくる。
「ああ、そう、だよな。」
そうだ、きっと大丈夫だ。心配する事なんて何一つ無いのだ。これは『晩ご飯を食べる』という繰り返される日常の一コマの一つに過ぎない。だって、日が昇り日が沈む様に、朝が来て夜が来る様に日常は回っていくのだから。
「心配することは、何一つ無いんだよな。」
僕は自分にそう言い聞かせる様に呟いて、心配を掻き消して振り払う様に空っぽの胃を料理で満たしていく。食べつつ、学校での近況を訊ねてみる。
「あ、そう言えば、学校はどうなんだ?」
「アナスタシア先生の授業中にね、蜂が出てね、授業が全部つぶれちゃったんだー。」
イリアが応え、続いてイワンが質問に応えた。
「あと、イリアがこの間、告白されてた。」
「もう、イワン!その話は話さなく良いって言ったでしょ!」
「それで、OKしたのか?イリア。」
「もう、お父さんまで!断ったに決まってるじゃない!」
「そっか、少し安心したー。」
「もうー、お父さんたら。娘離れも父の勤めよ?」
「ああ、分かっているよ、ナターシャ。分かってはいるんだけど、、、、、。」
「安心して。まぁ、気持ちは分からくもないし、ね。」
こうして、ゆったりとした『家族の時間』が流れていく。
「あ、イリア、イワン、お代わりはいるかしら。」
「うん!いる!」
「あ、僕も僕も!」
「アナタもどう?」
そう言って、妻がこちらに微笑む。
「じゃあ、お願いしようかな。」
空のお皿に新たなボルシチが満たされる。口に運ぶとサワークリームの酸味と共に玉葱とジャガイモと肉との重奏的な旨味が口の中に広がる。
「ふふっ、君の料理は本当に最高だ。本当に美味しいよ。」
「ええ、当然ね。」
「ねー、お母さんの料理本当に美味しいよね、イワン!」
「うん!とっても美味しい!」
「ふふっ、ありがとうね、二人とも。」
そうこうしている内にお皿の上の料理は段々と空になっていく。そして、完全に空になった所で食後の祈りを行った。
「美味しかったーー!ね、イリア。」
「うん!本当に、ね!イワン!」
「ああ、とても美味しかったぞ。」
「あ、片付けちゃうから、お皿貸して。」
「ああ、ありがと。手伝うよ。」
「いいえ。貴方は子供達と一緒にいてやってくれないかしら。」
「え、でも、、、、、。」
「いいから。アナタは子供達と一緒にいてやってくれないかしら。」
ナターシャが少し悲しそうな表情をとる。僕は気付けなかったのだ。いや、気付けなかったというよりは、自ら気付かない振りをしていたという方が正しい、のかも知れない。いや、気付いていた処で終わりが早くなっていただけで、そこにあるのは遅いか早いかの違いだけでしか、なかったのだけど。
「お父さーん!双子アターック!」
下腹部に軽い衝撃が走る。
「うおおっっ?!ちょっ?!」
「からの、コチョコチョくすぐり大作戦ーー!」
「うおっ?!あははははははははははっ‼︎あはははははははははははっ‼︎おいっ、二人共、駄目っ、本当にやめっ!あははははははっ!ふふふふふふっ!」
声を大にして笑う。ああ、こんなに大声を上げて、笑ったのはいつぶりなんだろう。
「お父さん、やっと笑顔になったね、、、、、、!」
「うん、お父さんにはやっぱり笑顔が一番似合うんだよ!」
「あはははははっ!ふふふっ!二人共、こしょばいって!本当にっ、やめっ!駄目、だ、からっ!ハーハー!でも、ありがとうなぁ、二人共。僕はお前達のお陰で久々に笑う事が出来たよ。」
「お礼なんて要らないわ、家族だもの。」
「家族なんだから助け合うのは当たり前だ!」
こんなに、嬉しい、楽しい、と思ったのはいつぶり以来なんだろう。
「、、、、、え?」
笑ったのは、嬉しい、楽しい、と思ったのはいつぶり以来なんだろう、と僕は思ったのか?僕はずっと、笑っていなかったし、嬉しいと思っていなかったし、楽しいとも思っていなかったとでもいうのか?
「何で?」
日常はずっと回り続けて、ローテーションを続けていた筈だろ?この「違和感の正体」は何だ。何か、大切な事を忘れてしまった様な、ずぅっと、頭に感じてる「違和感の正体」はーーーーーー。そうか、むしろ僕は「違和感の正体」に気付かない振りをしていたのか。欠けたピースが嵌る様に全てが繋がっていく。
「そっか、とうとう気付いちゃった、か。」
ナターシャが悪戯が見つかった子供の様な、しかしそれよりは幾分か大人びていて、且つ悲しそうな顔をしていた。
        、、、、、、、、、、
「ああ、そうか。僕は気づいてしまった。」
ナターシャの不可解な言葉の意味も、「違和感の正体」も。
 
そう、アレは冬の寒さが残り、雪も解けきっていない寒い寒い冬の事だった。
突然、地震の様な衝撃と共に、轟音と光が辺り一面に爆ぜた事を今でも鮮明に覚えている。いや、今思えば地震の方が、自然災害の方が、まだマシだったのだ。それは地震なんかでは無く、考えられる上での最悪中の最悪の出来事だった。そう、それはミサイルの砲撃だった。そして、ミサイルの砲撃を合図に戦争は始まってしまった。そして、突然「僕らの日常」は呆気なく壊れて崩れ去ってしまった。街が、家が、「日常」という名のローテーションが、全てが幻想だったかの様に嘘だったかの様に、壊されて焼け落ちて崩れていく。
 
そう、アレはまだ冬の寒さが残る朝の事だった。
「少し、庭に水を遣りたいの。二人共手伝ってくれるかしら。」
「うん!」
「僕も僕も!手伝う!」
「ありがとう、二人共。」
イリアがカチャリと、ドアを開く。
「あ、準備があるから、先に行っていてくれるかしら。」
「うん!」
そう応えつつ、イリアとイワンが庭の扉を開けて外に出る。ふいに空を指差して、イワンが口を開く。
「なーなー。イリア、あれ、何だろうな?」
「さぁ、何なのかしら、アレ。」
「飛行機にしては何かこう違う、よな、、、、、、?後、何かさっきから地面グラグラしてね?」
「いや、イワン。アレは飛行機、なんかじゃない!そんな、アレは多分、、、、、、!イワン、伏せて!」
そう、イワンが指差した先にあったもの、そう、それは、自分達には多分、一生無縁だと思っていたものーーーーーーそう、ミサイルの砲撃だった。そして、気付いた時には爆音と共に光が、辺り一面に爆ぜていた。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
時を同じくして、地震の様な地鳴りが辺り一帯に響き、家の中がグラグラと揺れた。
「な、なんだっ?!取り敢えず、隠れてっ!」
そう言いつつ、僕は身の危険を察知して取り敢えず、手短な机の下に隠れる。
「でも、子供達がまだ外にっ!」
そう言ってナターシャが、玄関に向かおうとした矢先の事だった。
「ナターシャ!駄目だっ!今はここに!」
僕がそう言った瞬間、地鳴りの様なものがより大きく鳴り響いて、爆発音と共に光が爆ぜた。家がグラグラと揺れて、メリメリと家の外壁が壊れる音がした。ナターシャの近くの窓ガラスと家の壁が壊れて、ナターシャに降りかかった。窓ガラスと家の壁の破片が、爆風による熱が、容易にナターシャの皮膚を切り裂き、内蔵を抉り、最後には爆風による衝撃が、床にナターシャの身体を叩きつけていた。
「ナターシャァァァァァァァァァァァァ!」
本当に僕には何が起こったのか、分からなかったし、理解出来なかった。いいや、理解なんてしたく無かった。
「何で、こんな事にっ!」
駆け寄ろうとするも、足がすくんで動かなかった。
「ああ、何で肝心な時に動かないんだよっ、僕の足はッ!」
爆風が一旦止んだのを機に、床に散らばった窓ガラスや食器の破片をよけつつ、なんとか恐怖を押さえ付けナターシャに近づく。
「ナターシャ、大丈夫か、、、、、、?」
きっと、大丈夫なんかでは、痛いなんてものでは無いのだろう。ナターシャが苦悶の表情を見せつつ、辛うじて微笑む。身体を見れば、何本かの骨は床に叩きつけられた衝撃であらぬ方向に回っており、皮膚には無数のガラスと外壁の破片が突き刺さり、熱で皮膚は少しただれている所が見受けられた。そして、床が大量の血で紅に染まっていた。
「あの子達の方に、行って、あげ、て。」
「でもっ、、、、、、お前がっ!」
「私の事は、良い、からっ!」
息絶え絶えにナターシャはそう言った。
「そんなっ!ナターシャ、おい嘘だろ、、、、、、?嘘だって言ってくれよっ!何でっ。僕にはナターシャが必要なのに!未だ、行って無い事、見てないもの、たくさんあっただろっ!果たせてない約束だって!」
そう言いつつ、ペタリと頬に触れられる。べったりと頬に血が付く。
「私はもう、長くな、い、の。でも、貴方と一緒だからな。怖く、無い、んだ。今まで、ありがと、ね。でもね。貴方にはあの子達が、あの子達には貴方が必要なんだ。だから、貴方はあの子達の元へ行ってあげて。」
そう言って、ナターシャは、事切れた。
「ナターシャ?えっ?何で?おいっ!おいってば!何か、答えてくれよ!何でも良いから!何でっ?!何でこんな事に、、、、、、?そうだっ!今は悲しんでる場合なんかじゃない!妻の言う通り、イワンとイリアだけでも、せめて助けなければ、、、、、、!」
そう、僕は一縷の希望に縋り付く様に、玄関の扉を開いた。しかし、そこで僕が見たものは、そこに待っていたのはーーーーーーー。
「、、、、、、え。」
見た瞬間、一瞬『それ』が何なのか分からなかった。いいや、分かりたくなんて、理解なんてしたく無かった。本能が、全身が、『理解』を拒絶していた。肉が焼け、焦げる様な鼻に付く嫌な臭いと共に有ったものーーーーーーーそれは、全身に大火傷を追い、爆風の衝撃によってだろうか、一部の内蔵や臓器が身体から飛び出てはいるものの、人間の形を辛うじて留めたーーーーーー。
「イリアに、イワン、なのか?」
「、、、、、、。」
そう言って駆け寄って、問いかけて見るも、二人は何も答えなかった。二人共、亡くなっていた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!クソがぁぁっ!何で、俺が、いいや、俺達がこんな目に!!」
そうだ。あの日、僕は全てをーーーーーーナターシャもイワンもイリアも暖かな家もそう、全てを失った。文字通り人生の全てを、今尚続くあの戦争のせいで奪われたのだ。
あの時、そう、妻と子供を家を、人生の全てを失った時、自分がやるせなくてやるせなくて仕方がなかった。どうしても、『ああしていたら、こうしていたら、僕の家族は死ななかったのではないか』と頭の何処かで考えてしまっていた。初めは自分を責めた。しかし、その標的は、『その憎しみという標的』は、すぐに敵に向けられた。とにかく、敵が憎くて憎くてしょうがなかった。だからこそ、戦争で家も家族も全てを失ったからこそ、戦場で戦って敵を討ち滅ぼすと決めた。
 
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だというのに。
 
だというのに、呆気なく敢えなく儚く僕の命は散ってしまうのだ。
 
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 
爆音と明るい光が体の近くで爆ぜたと思うと同時に、先ず、爆風で体に圧力が掛かる。爆風で、鼓膜が敗れ、肺や臓器が圧迫されて、ローラーか何かで両側からペシャンコにされた様な圧力が体に掛かり、息が吸えずに呼吸が出来なくなる。そして、爆風の衝撃で身体を地面に叩きつけられ、身体の各所に骨折した様な激しい痛みが走った。更に、爆弾に含まれていた破片らしきモノが体の皮膚を容易に突き刺し、内蔵を抉る。
 
「ぐわぁっ!!うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 
そして極め付けは、爆弾の熱による火傷である。熱が一瞬にして皮膚を溶かし、体液を、血液を、容赦無く身体から奪っていく。
 
「カハッ!!ケホッ!!ツッ!」
 
己の声帯から、否、自らの身体から発せられるのは、最早到底言葉とは言えない何かであった。敢えて言うのならば、身体から発せられるのは血液と辛うじての呼吸音のみ、という所であろう。白い白い雪の上が己の血で紅く紅く染まっていく。『ああ、こんな風だったのかな、ナターシャが、イワンが、イリアが死んだ瞬間は。』という事を、爆風の衝撃の圧迫による酸欠と血液不足で思考が鈍くなった頭でボンヤリと考える。視界がゆっくりと霞んで、瞼が異様に重くて、意識が段々と遠のいて、死が徐々に近づいて来るのが自分でも在り在りと判った。
 
そう、これはーーーーーー死に征く僕にどこかの優しい神様がそっと与えてくれた「走馬灯」という名の束の間の休息。
 
「ごめ、ん。ナターシャ、イリア、イワン。ホントにごめんなぁ。敵を、仇を、打ちきれなくて。あと、僕さ、少し疲れちゃった、みたいだ。」
「うんん。貴方はもう充分、頑張ったよ。ねぇ、今まで本当にお疲れ様。もう、眠っていいよ。お休みなさい。」 
 
最期に、そんな優しい声を聞いた気がした。
 了

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