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生きる目的

生き急ぎすぎて、生きる目的を失った。
人より3倍速でやり切ってしまった。

保育士資格が取りたかったのは
「とれない」自分が嫌だったからだ。

働くつもりはその時はなかったけど
紆余曲折あり、働きだし今に至る

そうしたら自分は、社会不適合者じゃないかもと思えるようになり、その面では幸せなのだが……

でもやっぱり、「人」に疲れる上に幻滅する。

そりゃ私を取り巻いていた大人たちは酷いものだったが、私は大人になったらもっと素晴らしい人たちと出会えるという一心で生きてきたのだ。

いつかここを抜け出せば、明るい未来があるんだとずっと食いしばって生きてきたのだ。

たとえどんなことをされても、生きてさえいればという一心で。

でも理想には程遠かった。

世に出ればそこらじゅうに私を苦しめるタイプの人間がいた……というよりは、私の取り巻かれた環境のせいで、他人の少しのミスも許せないという心理状態に陥っているのかもしれない。

つまり人って"こんなもん"であることに幻滅している状態が大人になってからずっと続いている。

もっと清くあれと願う気持ちが抜けきれないのだ。

人って平気で間違えるし、謝るし、繰り返すことを頭ではわかっているのに"大人が"間違えることがとても腹立たしくて仕方がない。

そして、今どんなに勉強しても旦那のようなキャリアをつけることはできない。

予備校も行っていなかったし、家を出るためには大学を諦めるしかなかったけど、それでも何か方法があったんじゃないかという気持ちが捨てきれない。

保育に関しては異質だとは思うけれど、私は大企業のようにコンプライアンス意識の高い場所で働くことは一生ないので、会社に属して働けば余計に疲弊していく…

こういう話をすれば絶対に「学歴があっても人間的にダメなやつはいる」的な意見が湧いてくるが、私から言わせれば

本当はあなたもわかってるでしょ?

ってことで。悩みの種類が違うと言えば平たくおさまるだろうけど、残酷な話、質が違うわけだ。

忙しい時に不機嫌な対応をしたらパワハラ…何でもかんでもパワハラ認定される会社にいたとしたら、逆に私はどれだけ快適に過ごせたんだろうと。

自分の権利を守るために学歴が必要だということを再確認した今、子どもたちからはやはり学びを取り上げることはできないと思ってしまった。

私がメスを入れて世を変えられるなら、心配ないのだけれど。笑

今はわかりやすいパワハラで例えたけど、本当に肝に銘じてほしいのは、やってる側の能力の低さなのね。

こんなことで悩むこと自体がくだらなく感じるし、避けられない現実にらただただ幻滅する。
人ってどうすれば幸せに暮らせるんだろうね。


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