投稿見てないと意味わからないと思う話…… つぶやきに近いです。 ↓母に言いたいことエクストラバージョン↓ そんなに金金言うなら、加害者からむしり取ってくれればよかったじゃんね? なんのための民事だよ。 何回聴取行ったと思ってんだ。 その他もろもろの加害者たちさ その金あったら家族でアナハイム行けるわ。 ちなみになんの因果か、私の大嫌いな9月14日という日付は息子からのダンボプレゼントサプライズで上書きされたのでした。 出会った人たちのおかげで、今更探し出して潰し
ここのサイトに来ると脳みそが締め付けられる。インスタはほぼ無で、TikTokはどちらかというと興奮状態になる。使い分け大事…そして本物の自分と共存するの大事。
私は性被害に遭った人間が感じる「恥」という感情を、生涯かけて撲滅したいと思っている。 声を大にして言いたいことはいつも 違う!私(たち被害者)は悪くない!である。 そんな簡単なことなのに、恥ずかしいという感情が消えないのはどうしてだろうか? ※毎度のこと閲覧注意です※ 息子には性被害体験について話せるのに(もちろん具体的に何をされたかは伏せてもっとオブラートに)他人に話すのはどうしてこんなに躊躇うんだろうか?でも最近、理由がわかってきた。
Xでの時間の消費が好きじゃなくてやってないんだけど、TikTokは言いたいことを言えるプラットフォームじゃないのが残念でたまに移行しようか迷っちゃう。実際人に言うのがもったいないほどに最高な時もあるし、言えないほど最低なこともあるのがリアルな私の人生かと思う。
生き急ぎすぎて、生きる目的を失った。 人より3倍速でやり切ってしまった。 保育士資格が取りたかったのは 「とれない」自分が嫌だったからだ。 働くつもりはその時はなかったけど 紆余曲折あり、働きだし今に至る そうしたら自分は、社会不適合者じゃないかもと思えるようになり、その面では幸せなのだが…… でもやっぱり、「人」に疲れる上に幻滅する。 そりゃ私を取り巻いていた大人たちは酷いものだったが、私は大人になったらもっと素晴らしい人たちと出会えるという一心で生きてきたのだ。
※トラウマ話あり、生々しいです 不眠になってから15年ほどか。 私が毎日夢を見るようになったことが始まりだ。 それがだんだんと現実との区別がつかなくなっていき、叫び狂っていた時もある。 5年前に今のドクターに出会ってから、夢の回数は激減した。それでも、見ない日はあまりないが… 夢の内容としては、戦争や近未来的なものだったり、繁華街を追い回されたりと色々だが 1番辛いのはやはりPTSDつまり、性被害にまつわるものだった。
親から無償の愛をもらえなかった私は、男にその愛らしきものを求めていた。 それは忘れもしない中学2年の、残暑厳しかった 9月14日のことだった。私は1人の男性と出会った。 そしてこれは、のちのち報道で流れるレベルの事件と発展していくわけだが…
苦しかった時と比べて今がどうか…ではなく、今がどうなのか、未来はどうありたいかを考えられるようになりたい。
心の痛みの方が、何倍も苦しいと私は思う。 母から虐待を受けてきたが、平手打ちなんて当たり前で、その拍子に歯が抜けたこともあったし 真夏の廊下に2時間正座をすることも耐えられた。
「おい、顔赤いぞ?熱があるんじゃないか?」
ここにおいていこうと思い、開設しました。 本を出したいっていう夢はあるけど、まだまだ先になりそうだからね。 その代わりすごく衝撃的なことを書くので、冷やかしをなくすためにも有料記事にします。 需要なければそのうち消します。