国際基督教大学オールジェンダートイレで泣き喚く
先日から弊学校のオールジェンダートイレがTwitterを賑わせている。オールジェンダートイレが入学の決め手となったものとしては、何かを残しておきたい。というより残さざるをえない。なんせ、今(2024年度)のICUにまともなオールジェンダートイレがなくなってしまったので。
設置までの経緯は我らがかとえつこと加藤恵津子先生がプレゼン資料に残していただいているのでこちらを見てほしい。
ここでのポイントは学生団体主導でオールジェンダートイレの設置に至ったこと、またオールジェンダートイレの設置から3ヶ月後のアンケートでは学生のおよそ6%のみが抵抗感を示していることにある。実際2023年時点ではかなりノーマライゼーションが進んでおり、ジェンダーを問わず生徒から先生、駐輪場整備のおっちゃんまで使っていた。
そもそも二元論トイレ(いわゆる女性用トイレ)は全ての階に設置されているので、不安な子はそっちに行けばよかった。あなたの安全はあなたが、私の安全は私が。何となくの棲み分け。
その状況が変わったのは2024年、オールジェンダートイレが設置されている本館の工事期間に入ってからである。前年度、ICUは隈研吾に依頼し、新しくトロイヤー館(通称T館)を作った。
驚くべきことに、T館にオールジェンダートイレは存在しない。一階から三階まで生徒数には明らかに合わない少数の二元論トイレが並ぶ。
ジェンダー研究センターや有志の声から、一階の隅っこにあるトイレがオールジェンダートイレとして現在は使われている。
1年間だけのオールジェンダートイレ。それが終わればまたT館は元通りの排斥的な環境になってしまう。
ICU内でもトランスジェンダー排除言説が語られる中で、私の精神衛生/膀胱事情はかなりギリギリの所にある。
オールジェンダートイレはただのトイレではなかった。
何より、私がいていいと思える環境であることに何度も助けられた。
ノンバイナリーにとってバイナリートイレはパスポートが無いまま外国に来ちゃったものだと思う。いつバレるかわからないまま、ずっと落ち着かない気分が続く。何とか大使館(誰でもトイレ)に行こうとするものの、もっとそのサービスを必要としている人はいる。何より大使館に行ったところで、根本の居心地の悪さは変わらない。
ICUに来てはじめてやっと腰を落ち着けられた。
トイレでも、授業でも。オールジェンダートイレがあるだけで、みんなノンバイナリーの存在を忘れずにいてくれる。
バイリンガル教育が有名なICUはノンバイナリーにとって居心地の悪い環境になりやすい。”She”か”He”か、見知らぬ人とディスカッションをするたびにどんな代名詞で呼ばれるかドキドキに襲われる。
オールジェンダートイレがある空間は、ノンバイナリーの存在が前提となっている。
コロナ禍ということもあり、pronounceよりもzoomに挙げられた名前で呼ばれることが多かった。コロナ禍後も、みんな何となく代名詞を使うのを避けている雰囲気があり非常に心地よかった。
そのぬるま湯から「現実」に引き戻された4月。
何の悪気も無いのだろうけど、代名詞を使われた瞬間頭が真っ白になり冷や汗が止まらなくなった。ICUはもうあなたのまま学べるホームではない、と戦力外通告を叩きつけられた気分になった。
日本語の授業も同じだ。ジェンダー学を専門とする先生から代名詞を使われた瞬間これまでの信頼が目の前で崩れていった。トランスジェンダーの人権はディスカッショントピックになってしまった。
多様性とグローバルを掲げるICUは、いなくなってしまった。少なくとも今は。
学期が始まって早1ヶ月、私のジェンダーは出る杭になった。これから1年間どう隠れようか、学校に行くと思うだけで体の芯が冷えていく思いがする。
オールジェンダートイレは私にとっての生命線だった。
毎日、授業の合間に校舎を駆け回り一箇所しかないオールジェンダートイレに逃げ込む。大きく深呼吸をして、泣き喚き、また10分後には授業に戻る。
生きづらい、息しづらいICUで、私が私でいられる唯一の居場所。
せめてここだけは許してほしい。