星野源の「ばらばら」紅白を見て
紅白を見た。
今年は藤井風、米津玄師、そして星野源に注目して見ていた。
藤井風は、とにかく大好きなので、見たかった。
そして、演出含めてあまりにも最高だった。
米津玄師は虎に翼とのコラボ。
出てくる言葉のひとつ一つが私の心を掴んできた。
そして、星野源。
にわかだけど、星野源は好きだった。
実存を言葉にすることで認めてくれる曲が多いなと、思っていた。
今回歌ったのは「ばらばら」。
もともとは「地獄でなぜ悪い」を歌う予定だった。
しかし、この曲が主題歌となった映画の監督に性加害疑惑があり、
紅白で歌うことは二次加害に当たるのではないかとの指摘が相次ぎ、
曲目が変更されることになった。
星野源側から発表された声明はこちら。
私は「地獄でなぜ悪い」が大好きだった。
この曲は、星野源が闘病中のときにかかれた曲。
人が生きること、人が孤独であることに寄り添ってくれると感じていた。
「ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ」の歌詞が私の横にいつもいてくれた。
だけど、この曲が二次加害になる可能性を持っていることを何も知らなかった。
だから、今回悲しかったし、恥ずかしかった。
こんなにも最高な曲が、こんなにもくだらない人間の行為のせいで、誰かを傷つけるような曲にさせられてしまったなんて、くそか、と思った。
でも、人に優しくありたいと思わせてくれるこの曲が好きなのに、
この曲で苦しむ人がいるかもしれないことを知らなかったなんて、情けなかった。
感情が追いつかないままだったが、
星野源の声明にはかなり救われていた。
この曲の価値が変わらないこと、
誰かへの加害性を認めたこと、
歌の価値が変わらないためにも歌わない選択をしたこと、
声明文は心にすっと入ってきた。
なので、「ばらばら」を歌ってくれることはとても嬉しかった。
これもとても大好きな曲だったからだ。
ばらばらのままだけど、そのまま生きていくのがこの世界だよねって言ってくれる。
まさに実存を実存そのまま言葉にしてくれるような曲だ。
当日、「ばらばら」は星野源だけの空間で、弾き語りで歌われた。
沈黙から出発して、とにかく繊細な演奏だった。
曲目変更を何も触れないのか、と少しもやもやしたとき、
と聞こえてきたのだ。
あれ二番の歌詞とかにそんなのあったっけ?
私が知っているのは、
という歌詞だった。
どうやら歌詞を変更していたらしい。
わたしも本物なのだ。
わたしも、ほんもの、なのだ。
もとの歌詞も大好きだ。
わたしは偽物ってことにして、
だれかをじぶんよりも優位におく。
それでも、私たちはこのままお互いにそう想い合い、生きていくのがいいよね、って思える。
でも、今回の歌詞の変更は、
今回の一連の流れも、
星野源自身も、曲自体も、そして、これを聴くわたしにも、
力強く、命を震わせるような変更だったように思う。
正直、最初はピンとこなかった。
星野源が自分の正しさを示そうとしたのかな、とか思った。
でも、星野源は自分のために歌う人じゃないはず。
聴く人がその人のために歌を聴けるようにしてくれるはず。
今回のこと、身近な個人的なことで苦しみ、揺らぐわたしに、
曲を届けてくれるはず。
そう思うと、
わたしもほんもの、と変更したのは、
なんだかよくわかるような気がしてきた。
この曲を聴く人は、皆「わたし」だと思って聴くのだ。
「わたし」は皆本物であるべきだ、と星野源は私たちに教えてくれたのではないか。
今回のことでも、色んな身近なことでも、
苦しいし、答えが見えないし、暗闇の中にしかいられないように思うけど、
そんな、あなたの思いは、「ほんもの」だよって。
星野源がずっとずっとやってきた実存を言葉にして、
私たちの実存を肯定させてくれること。
それを強く強く示してくれたのではないか。
今回のことに関しては、
「地獄でなぜ悪い」が聴きたくてたまらない人間からしたら、くそみたいな出来事で、嫌でたまらなかったかもしれない。
「地獄でなぜ悪い」が選ばれたことで、思い出したくないことを思いださせられた人もいるかもしれない。
性加害のニュースが相次いだ年末で心がとにかくざわざわした人がいるかもしれない。
そういったことのすべてがくだらないと思っていた人もいるかもしれない。
どう思っていても、思っていなくても、
今のあなたの気持ちは「ほんもの」。
星野源のこころからのメッセージを受け取ったのが、
今回の紅白だった気がしている。