『1122(いいふうふ)』を見た。
岡田将生と高畑充希のアマプラドラマ『1122(いいふうふ)』を見た。
夫婦とは何か?家族とは何か?他者と共に生きるとはどういうことか?
夫婦のふつうでリアルな生活を丁寧に描き、きれいことではない展開が繰り広げられて、とても引き込まれたドラマだった。
おとやん(岡田将生)と、いちこちゃん(高畑充希)は、おしどり夫婦。
文具メーカーで働く、優しくてしなやかで家族とも仲がいいおとやん。
芯が通っていて、仕事も頑張り、笑顔が素敵ないちこちゃん。
そんな二人は毎日穏やかな生活を送っているはずだったが、
あるとき、転機が訪れる。
おとやんが生け花教室で出会った女性と不倫関係になったのだ。
いちこちゃんはおとやんの様子を見て、不倫に気づく。
お別れ、、かと思いきや、
いちこちゃんはおとやんの不倫を公認する。
おとやんといちこちゃんは長年レスだった。
いちこちゃんは、性欲がなくなり、おとやんに対して、外で済ましてきて、と言ったことがきっかけだった。
家には不倫の様子を持ち込まないことをルールとして、
おとやんは公認不倫として継続することになるのだ。
しかし、これがきっかけとなって、二人の関係性は緩やかに着実に変化していく。
不倫のウキウキ感があまりに現れていてモヤモヤしたり、
いちこちゃんが久しぶりにおとやんに求めたら拒否されたり、
おとやんと不倫相手の関係性が変化したり、
仕事が上手くいったり、いかなかったり、
自分の実家との関係性と相手の実家との関係性を比べてしまったり、
子どもをどうするか上手く話し合えなかったり。
「夫婦っていろいろあるよね」のいろいろをリアルに丁寧に、
現代の問題と照らし合わせながら、描いていたドラマだった。
「おとやんに恋人ができたの嫌だった」
公認不倫したけど、実は嫌だった。
そんなの当たり前じゃんって思う人もいるのかもしれない。
でも、私にはくそほど刺さった。
互いにとって寄り添い合える、
一緒に時間をともにしてきた唯一無二の相手と一緒にいれるなら、
もうそれで十分なんだから。
相手の性欲を満たすための、
一時的な「恋」とかいう不倫なんて、
私は許せるんで、って思えると思っていた。
だけど、実際はやっぱりしんどいんだろうなって。
最近自分も他に結婚したい人ができたといって振られた。
彼はふつうに私以外の女の子と二人で遊びに行ったりする人だった。
私はそんなの耐えられる・気にしないに決まっていると思っていた。
付き合っている間もそういうつもりだった。
でも、振られてから気づいた。
「結構しんどかったな。」
うまく言語化できないけど、、
誰よりも大事で特別な関係は、決して常にその価値が維持されているわけではないから。
何度も確認し合いながら構築していくしかなくって。
だから、特別な存在だと思っていることを態度に示していくしかないよねって思う。
相手にとって、仮に本当に「あなたは特別だから。他の不倫相手とは価値が違う。」と言われても、行動が伴っていないのに、何を信じればいいのかなんてわからない。
支え合う・補い合うって何やねん
夫婦は支え合って、補い合って生きるんだよ、とか言うけど、
そんなの全然簡単なことじゃないよなって思う。
wacciが、恋のことを「性別も家柄も年齢も国籍も外見も年収も過去も何もかも全部関係ないだろ」っていうけど、そんなわけないだろと思う。
都合よく欠点と優れている点がハマり合うことなんてまずないし、
ハマってもそれはいつか変化するし。
私は100%でできて、相手は0%でしかできない。
極端な例だけど、こんなとき、私に相手は必要になるかもしれないし、
相手からしたらしんどくてたまらない。
でも、そういうことって容易に生じる。
もちろん、それは例えば仕事の成果だけで互いを比べていて、
実際には評価されないけど、人を支える仕事をしている点で比べたら、
別かもしれないし。
社会を一面的に見ることを改めたら変化することもあるけど。
でも、そんな余裕を持ち続けることなんて全然簡単じゃない。
星の王子さま理論
それでも夫婦になるって何なのか?
結局、自分の中で、恋とか愛とか情とか、
そういう感情的なことが、いろんな形で表出してきて、
それを受け止めてくれる相手との時間として、
自分の中に蓄積される。
相手と一緒にいるって、
結局私と一緒にいるってことなんじゃないかな。
私はこれを星の王子さま理論と呼んでいる。
一緒に過ごした時間こそが価値で、
それが蓄積されていくのが、ただ人生である、と。