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栄冠が君に輝く前に

その瞬間、「予言が的中したな」と思った。的中してしまった、と書かなかったのは、私のせめてもの言い訳である。


その地は、現在の福島県白河市旗宿にあるという。ついに、深紅の大優勝旗が「白河の関」を越える。私にとっては理想的とは言えないストーリーだけれど、それでも最初に優勝したのが仙台育英で本当に良かったと思う。今年は、ベスト4に東北勢が2校残った。近年の東北勢の活躍を、仙台育英抜きに語るのは難しい。それは、仙台育英が切り拓いた道なき道の先に、東北勢の今があるからだ。


107年前、第1回の秋田中以降、次に東北勢が夏の甲子園で決勝戦に進出するのは、戦争を挟んで第51回の三沢まで実に50年以上を待たねばならなかった。第53回には磐城が決勝まで進むが、第71回の仙台育英までは、また18年を要する。以降、第85回の東北、第93・94回の光星学院、第97回の仙台育英、そして第100回の金足農業。東北勢は、今や決して弱小勢力ではない。現代高校野球において東北勢の道を拓いたのは、間違いなく仙台育英なのである。甲子園初出場から足掛け約60年、それはもはや執念と呼んで差し支えないだろう。


今年の仙台育英は、エース級のピッチャーを5人揃え、継投で勝ち上がってきた。経済的なバックボーンがある私立高校でなければ、こういうチーム作りやこういう勝ち方は難しかったと思う。そういう仙台育英のやり方(と言うか高校野球の潮流)を全面的に肯定するわけではないが、仙台育英は決して金に物を言わせて県外から選手を集めて強くなってきたわけではなく、育成にも力を入れてきた。系列の中学からの生え抜きの選手もめずらしくなく、硬式に対応するために、わざわざ野球部を廃止してまで、今年ついに中学直属のボーイズクラブチームまで立ち上げた。今年のエース古川君も、系列中学の出身だ。県外のスカウティングも東北中心で、今年のベンチ入りで東北外の出身は2人、決勝のスタメンに限れば1人だけだ。


結果としては、ある意味で私が2019年(厳密には、2018年)に予言した通りになった。予言と言っても、それなりに高校野球を観ている人なら、誰でも同じように思っただろう。

今年を機に高校野球は大エース時代から継投時代へ変わってゆくのだろう。東北の公立高校から、エース一人が引っ張って全国制覇するようなチームは、きっともう出てこない。
そう遠くない未来に、東北の高校が甲子園を制する日は来るだろう。でも、金足農業のような、まして秋田県勢の高校が全国制覇する日は、きっとまだ暫くやって来ないんだろうなと思ってしまうし、そのときが東北の初優勝でもないと思う。

ムウ(@muunow) / Twitter


甲子園での東北勢の激闘の歴史と高校野球のあるべき姿を語るとき、どうしても2018年の金足農業のことを書かないわけにはいかない。今回の優勝で、金足農業はより一層「敗者」として色濃く歴史に名を残すことになった。それはもちろん偉大なる敗者としてなのだけれど、どうしても「あの年の金足農業が優勝していたら」というifを思い描かずにはいられないでいる。
あの年には、夏の甲子園ではまだ球数制限は導入されていなかった。もし球数制限があったら、金足農業は決勝に進出すらできていなかっただろう。ある意味で、最後のチャンスだった。時代は移ろうし、それもまた人生、なのかもしれない。


今日の試合は、序盤は静かな滑り出し、両チームのピッチャーが好投した。4回に仙台育英の先制点で試合が動き、7回の岩崎君の満塁ホームランが決定的だった。結果的に7点差がついたけれど、両チームがノーエラーで、決勝にふさわしいナイスゲームだった。勝った仙台育英の須江監督のモットーは、「人生は敗者復活戦」だそうだ。先発した斎藤蓉君が、優勝インタビューで一番にスタンドのベンチ外の部員たちに謝辞を述べたことから、この言葉のスピリットがチームに根付いていることを感じた。その須江監督の優勝インタビューは、「東北のみなさん、おめでとうございます」から始まって、入学当初からコロナ禍の中で過ごした今年の3年生に触れ、最後に「全国の高校生に拍手を」と述べた。言葉が歴史になっていく。夏の甲子園が単なる野球大会以上の意味を持つのは、こういうところだと思う。


仙台育英の創立者の加藤利吉は、会津若松市の出身だという。まだ戊辰戦争の爪痕が残る幼少期、会津軍役・官軍役に分かれ「卑怯な官軍を叩きのめせ!」と叫ぶ級友に、幼い利吉は「戦争なんか、良くないよ。俺はな、卑怯者なんかいない、争いのない世界を作りたいな」と言って、後に東京・横浜で学問の道に励む。その後、利吉は、日露戦争の激戦地である中国は遼陽・奉天に派兵され、その渦中に薩長出身の上官に虐げられ、過酷な任務を命じられ、致命傷を負う。一命を取り留めた仙台の陸軍病院のベッドで、利吉は教育の道を決意し、その地に私塾を立てる。後の仙台育英学園である。16歳の利吉が「俺は会津が好きだ、大好きだ。だから学問で身を立てて薩長の奴らを見返してやりたい」と残して故郷を発った124年後、その利吉が立てた仙台育英は、山口県(旧長州藩)の代表校を破って、東北の悲願を達成する。何という因縁だろう。


なるほど、「人生は敗者復活戦」だ。高校野球において、決勝で敗れた下関国際も含めて、栄冠に輝いた仙台育英以外の3581校は、全て「敗者」なのだから。それでも、負けることが無意味ではないことを、高校野球を愛する私たちはもう知っているはずだ。歴史にも勝負にもifはないけれど、敗者には敗者の人生がある。いや、今日の試合に勝っても負けても、人生は続いていくのだ。勝った仙台育英の選手たちも、この夏敗れたその他の3581校の選手たちも、そして私たちも。


その地は、現在の福島県白河市旗宿にあるという。会津で始まった夢は、東京、横浜、戦地・中国、そして仙台の地を経て、甲子園で結実し、今年、白河の関を越える。加藤利吉が小学生の頃から嗜んでいたという『論語』には、こうある。

「子曰く、苟(いやしく)も仁を志せば、悪(にく)むこと無きなり」

だから、少しだけ悔しいけれど、今日はその偉業に最大限の賛辞を贈りたいと思う。君たちがナンバーワンだ。おめでとう、ありがとう、仙台育英高校。


東北の、そして宮城県のみなさん、改めておめでとうございます。明日からまた、私たちの敗者復活戦を生きましょう。


2022年8月22日

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