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500円玉を落としてくれて、ありがとう。



整骨院の帰り、馴染みの道を自転車で帰っている道中、コンビニの横の側溝をのぞきこんでいる女の子たちがいた。4人は小学生、1人は制服を着ていたから、中学生か高校生っぽい。何かを落として困っているような様子だった。

私は一旦通り過ぎてしまったのだが、やはり気になって引き返した。

「どうしたん?」

と聞くと、

「500円玉を落としてしまって…」

とのこと。

制服を着ていた女の子は、どうやらたまたま居合わせて困っている女の子を助けようとしているみたいだった。小学生の友だちの1人はコンビニの定員さんに細い棒か何かを貸してもらえないか聞きにいっているとのことだった。

コンビニからその子が出てくるや否や、

「店員さん、棒探すとか行ってたけど探す気なさそうだったよ〜。」

と、言っている。

言葉的には辛口に聞こえるかもしれないが、口調はあっさりしていて、友だちを助けたくて聞きに行ったけどだめだった〜という印象だった。その子にしても、制服を着た女の子にしても、もう1人の子も、どうにか取れないかなぁと模索している様子を見て、1人のためにえらいなぁと感心していた。

そんなわけで、何かいい方法はないかな?と、私もとりあえずコンビニ横に立てかけてあった段ボールをちぎって、側溝の蓋に突っ込んでみた。

500円玉の落ちている底にギリギリ届きそうで届かない。

何かないかなぁと自分のリュックを探ってみる。

おぉ。この前の調停の腹立つ資料を、挟んだクリアファイルがあるじゃないか。

クリアファイルだけ取り出して、蓋の隙間に入るように折って、再びチャレンジ。

届いた。

動いた。

でも、500円玉をすくいあげることはできない。

側溝を見る限り、被せるだけのタイプではなく、溝に、いわゆる"ビッタビタ"にハマっている。

ネジで固定されてたら無理やなーと思っていたけど、それではなかった。

ちなみに、蓋の網目のは細長く、1センチないくらい×10センチくらいの隙間で埋め尽くされていて、指を突っ込むことができない。

だがよく見ると、"ビッタビタ"の溝のわずかな淵に、土が見える。

さっきボツになった段ボールで、ゴシゴシとほじってみた。

手応えはそこまでないが、とりあえず土はかき出せそうだ。

作業を続けた。

小学生の女の子が蓋に手をかけて動かないかなぁと試してくれた。

すると…

動いた!


手応えあり!!!


よし!と、ひとまず淵にある土をなるべく全部かき出してみた。

動くかもしれない。

でも、蓋は重そう。

ここで、私と女の子たちは横並びになった。

「せーのであげるで?」

蓋の周りにできた隙間にみんなで手をかけ、

「せーの!」

で持ち上げると…



開いた!!!!



500円玉を女の子が拾い上げた。



みんなで、「よかったーー!」とホッとし、みんなで何かをやり遂げた達成感みたいなものが生まれて、心地よかった。



息子のお迎えに行く道中だったので、
「よかったね!じゃあ、気をつけて帰ってね!」


と立ち去ろうとしたときも、500円玉が取れたときも、女の子たちは何度も、

「本当にありがとうございました!」

と言ってくれた。


学生服を着た女の子とも、(よかった)と目を合わせて、そこを後にした。



「ありがとう」ってたくさん言ってくれたけど、生きる希望を失ってた自分にとっては、誰かの役に立てて、ありがとうって言われて、生きててよかった、とその日は思えたのだ。


「ありがとう」と言いたいのはこっちの方だった。


その帰り道に見上げた空は、温かい色をしていた。




500円玉を落としてくれて、ありがとう。



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