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「モラハラ」の二次的被害と軽視される「モラハラ」を「いじめ」に置き換える

「モラハラ」「モラ夫」「モラ妻」と聞いたとき、どんなイメージがあるだろうか。最近では、よく耳にするようになって、その言葉の持つイメージは、とても軽視されているように感じる。


1.モラハラの定義

モラハラの定義についてこちらの記事を参考にさせていただいた。

【モラルハラスメントの定義】
モラハラとは、「モラル=道徳・倫理」と「ハラスメント=嫌がらせ」が組み合わさってできた言葉。 言動や態度などで相手に精神的苦痛を与えることを意味します。 物理的な暴力ではなく、無視や暴言、威圧的な態度といった精神的な暴力で相手を追い詰めるのが特徴です。

天地さんのnoteより引用


私自身、夫は私にだけ無視することや、常時不機嫌な態度で自分の思う通りにならないと不機嫌な態度でこちらをコントロールする、貸していたお金を返すように言うと顔に1枚ずつお札を計4枚投げつけられるなどなどなど。書くとキリがないほど、精神的な苦痛を味わいつくして来た。

夫婦としてこのままではやっていけないと思い、これからのことについて建設的な話し合いを試みるも、「俺はいかに悪くない」ということや、「自分が不機嫌なことには正当な理由がある」という主張をし、話し合いの「は」の字にも行き着くとこができないのが常であった。

こんな日々に、これ以上は限界だと私が意を決して別れを決断するも、土壇場になって泣きつかれ、「俺が悪かった。」「俺は変わりたいけど、変わり方がわからない。」などと言われ、本人も困っているなら一緒に頑張ろうと立て直すも、次の日には、先の精神的苦痛が常態。

後の離婚調停の陳述書では、私について
・仕事や人間関係でよくトラブルを起こす
・仕事がうまくいかなくなれば心療内科に通い、仕事を休む
・いつ仕事を辞めるかわからない
・精神不安定
などと書かれていた。

鬱のことを理解せず、やはり内心は何の理解もなく、むしろ私側に原因があるとしか思っていないことがよくわかった。

Xでは、「お前が死んでも何も思わない。」「死ね。」のように書かれていた。これが本音だ。愛なんて、どこにもなかった。


2.モラハラの二次的被害

モラハラ(精神的DV)を受けて、私は以下の記事にも記載したが、夫のモラハラに次いでしんどかったのは、モラハラが他者から理解されないということだった。

私の住んでいる市では
・都道府県のDV相談センター
・市のDV相談室
・都道府県の子ども家庭センター

が、パンフレットに同立に書かれていて、それぞれにどんな違いがあるのかは、パンフレット上では全くわからなかった。また、そのほかの専門相談機関として
・警察
・弁護士会

の連絡先も書かれていた。
「DVと思ったら、ちょっとしたことでも相談を」のように書かれていたので電話したのにも関わらず、次々と違う機関を紹介されて、たらい回しにされた挙句、各々の機関で、その辛い過去をもう一度、一から話すという作業を何度も繰り返す。そして最後の決め台詞はこう。

「蹴られたり、なぐられたりはしませんでしたか?」


私にとって、この言葉がどれだけ辛かったか。
私は、蹴られたり殴られたりは、されていない。
なので、答えるときはいつもこうだ。

「されてません。」

されてませんってなんだ?
私は「DVされてません。」なのか?

これこそが、モラハラの二次的被害なのである。

目に見える怪我がないから、大丈夫なのか?

大丈夫でないから、DV相談に来ているのに、
「じゃあ何か(身体的暴力)あれば警察へ連絡を。」

警察にかけ込めば「警察では、直接的被害(身体的暴力)がないと動けないから、弁護士さんを雇った方がいい。」

弁護士さんには「最低でも別居を3年していないと…したとしても、10年かかるケースもある。」


なんのための、DV相談だ。行政だ。


3.子ども家庭センター

そんな中で、

唯一、今後につながる助言をしてくれたのが「子ども家庭センター」だった。

名前からして、配偶者のDVについて相談ができるところとは見当がつかなかったが、子ども家庭センターのホームページでは、相談できる内容のところの1番最後の項目に、「配偶者等の暴力に関する相談」と書かれていた。こんなの、誰が自力で見つけるんだ?

私は、市のDV相談室で、「子ども家庭センター(都道府県の)でも相談しました。」と話したが、「お子さんのことで相談に行かれたんですか?」と、聞かれた。配偶者のDV相談の役割がそこにあることをその専門機関がわかっていない様子に、驚いた。

市のDV相談の窓口の人ですらわかっていないのに、誰が自力でたどり着けるのだ?

私は、二次的被害の苦しさを味わってから、「DVの相談が公の記録として残るところはどこですか?」と、電話窓口で最初に聞いてから、相談するかを決めた。記録として残らないのであれば、体に見える傷が残らないモラハラの証拠にはなり得ない。

見た目に傷のない私たちができることは、公の機関に何度も相談していて、その開示請求をしたときに記録に残っていることだと思っていたが、私が以前頼りにしていた産後訪問に来ていた保健師さんとの相談を開示請求して、所見に書かれていたのは、

「父親の方が育児能力が高く、母親は児に対して愛着が薄い。」だった。

また、夫のモラハラによって、鬱に追い込まれ、自殺しようと飛び出していたことも相談していたが、「母の感情のコントロールに課題あり」と書かれていた。この二次的被害に、絶望、絶句した。


4.いじめで考える

いじめは、いじめられた方にも原因がある?


自分の子が、そんなことを理由に
いじめられていて、許せるのか?

自分の子がそんなことを理由に
友だちをいじめていて、許せるのか?

どんな人も、いじめられていい理由なんてない。


いじめは、殴る蹴るなど、暴力がなくても、無視や暴言、態度でも、もちろんいじめとして認められる。近年では、いじめた側が、いじめたつもりがなくても、された側がいじめられたと感じていたら、いじめとして成り立つことが、以下の文科省の文言でも定義づけられている。

いじめの定義

「いじめ」とは、「児童等に対して、当該児童等が在席する学校に在席している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛と感じているものをいう。」と定められています。
つまり、受けた側の人が嫌な気持ちになったり、痛みを感じたりすることを「いじめ」と呼びます。したがって、それを行った人が「いじめ」と考えていなくても「いじめ」になります。

『3月のライオン』×文部科学省


じゃあ、大人になると別なのか?
人権はなくなるのか?

第13条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第14条【法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界】
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

第25条【生存権、国の生存権保障義務】
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

日本国憲法 基本的人権より


何が日本国憲法だ。いったい、いくつの人権が侵されているのだ。にも関わらず、上記の二次的被害に陥るのがモラハラ(精神的暴力)だ。

大人の(身体的暴力を伴わない)いじめがこうやって許されている中、子どもをいじめから守れるのか。大人だって、やってるじゃないか。

子どもは賢い。ちゃんと大人を見ている。


5.最後に

モラハラの被害を受けている人は、「モラハラ」という言葉で軽く捉えられ、二重にも三重にも四重にも苦しむことがある。モラハラは、他者から見たら、「夫婦喧嘩の延長に過ぎないだろう。」と、軽視されがちだが、本人は死と直結する鬱などで本当にどうしようもなく悩んで、そのしんどさを吐露していることもあるということを、どうか周りにいる人は心の片隅に覚えておいてほしい。

モラハラという名の証拠の残らない卑劣な暴力。

いじめでも同じだ。いじめる側は、周りに気づかれない場所で、気づかれないようにするものである。その人の人権を全く無視して。それが、数年単位で行われて、私にも悪いところがあるのかもと思わされる中なんとか耐えてきて、何かをきっかけにこれは普通ではないと気づき、藁にもすがる思いで、やっと誰かに打ち明けたとき、「そういうこと(いじめ)も、あるよね。」なんて大切な友だちに言えるだろうか。

周りの人にできることは限られているかもしれないが、どうか想像力を膨らませて、何があったのか、しっかり話を聞いてあげてほしい。この人だけはわかってくれてる、という人がいれば、状況はなかなか変わらなくても、心が少しでも救われることがあるかもしれない。


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