今日は数年ぶりに障がい福祉施設に訪れた。 7.8年前はいろんな施設や各団体に足を運んでは実際に話を聞いたり現場を見たりして自分なりにいろんなことを吸収してたつもりで。 久しぶりに訪れてみて自分の中で思うことがたくさんあった。 思い出したこともたくさんあった。 改めて胸に刻んだことも。 自分なりに出来ることをしていきたい。 微力でも。 居場所の提供だったり、自立に向けてのリハビリ程度の作業だったり、kindlyに出来る寄り添いの形をもっとちゃんと形にしていこうって改めて。
後悔先に立たず、頭ではわかっていてもなかなか簡単ではないのは性格なのか。 当たり前も永遠も無い、心でわかっていても時にそれを忘れてしまうこと少なくない。 もっと話しておけばよかった。 ちゃんと伝えておけばよかった。 素直になればよかった。 会っておけばよかった、会いに行けばよかった。 声をかければよかった。 タイミングもある、それぞれのタイミング。 でもそれらを感じ、そう思ったのならすぐ行動に移すのが1番なんじゃないかと。 そう改めて感じる。 今自分にできるのは見守る事
去年も同じタイトルでnoteに綴りました。 誕生日であると同時に終戦記念日でもある。 思いは物心ついた時から勿論今も変わらず。 戦争なんてどんな理由があるにせよ論外。 武力?武装?武器?防衛? この世から全て無くなればいい。 人が人を殺めていい理由など存在しない。 存在してたまるものか。 41歳、どうだろう。 早いなぁ、なんてのは毎年思うこと。 ここ最近、いやここ数年から、かな。 自分の周りにいる人たち、豊かな暮らしを意識して生きてる方々やクリエイティブに活動してる方々、
物理的には何もできない距離だとしても。 その距離で、この距離で。 出来ることってたくさんあると思ってるのだけど、それには限界があるんだなと改めて感じたここ最近です。 唄で、言葉で。 思いやる事だったり、抱きしめる事だったり。 逆も然りで。 自身が少ししんどい時期だったり、例えば悩み疲れてたり、何でもいいけど。 そんな時、同じことされるのはとても嬉しい。 同時にその距離や距離感や。 持ちつ持たれつ。 これって一方通行では絶対にダメで。 頼られるから頼れる。 頼るから頼って
10数年前、歌を唄ってるとき。 高音域を出したその時に、パニック障がいが発病した。 唄う事が大好きで、何をしても続かない自分が唯一続けてこれたのは「唄う事」だったかもと振り返ればそう思う。 病について語るつもりは今はないけれど。 とにかく当たり前に出来てたことが奪われた。 もちろん歌を唄う事も怖くなった。 それでもなんとか取り戻した。 弾けもしないアコギを買い、弾き語りでリハビリ。 声を張る事が困難になり、それでも唄は取り戻したい、そんな一心だったのを覚えてる。 ある時
8月15日は終戦記念日でもあり自分の誕生日でもある。 ので、子供の頃から戦争とゆうワードが誕生日についてまわってきた。 先日亡くなったばぁちゃん曰く、「きっと兵隊さんの生まれ変わり仏様のようらすけタケにはバチ当たりなことできん。」とよく言われたものだ。 生まれ変わりかどうかなんてどうでもいいしそもそも自分は戦争なんてクソだと思ってる。 あんな愚かな事は無い。 おばぁの言う通り生まれ変わりなのだとしたらその当時は【非国民】と呼ばれた側の人間かもね。 今日で40歳。 あっとゆ
大丈夫。 根拠などなくても自身が辛いときに、この言葉だけをそっと置いてもらった時。 あたたかな温もりを感じることは少なくなくて。 自分が自身に対してその言葉をそっと胸に置くのもまた、緊張や不安がほんの少しかもしれないけど和らぐことも少なくなくて。 そんな「大丈夫」とゆう言葉。 使い方を間違えてしまうケースもまた少なくなく。 ろくに自分の心身と対話せず、内観せず。 大丈夫まだやれる、大丈夫あの時に比べたらまだ全然。 この大丈夫。 この蓄積による崩壊。 その時に胸に刻んだはず
感謝の気持ちを言葉にするとゆう事。 忘れない事、は勿論に大前提で。 例えば助けられた恩を忘れないこと。 だったり。 例えばあなたのおかげで今の自分がある。 だったり。 なんでもいいのだけれど。 だけど、それは思ってるだけでは伝わらない。当然。 行動で示す、とゆうのもある。 変わる努力、改善に向けて、など。 ちゃんとやってれば見てる人には伝わるし、口だけの人間の行動なんてのも、然り。 それでもやっぱり声に出して感謝の気持ちは伝えた方がいい。 今の時代なら別にメールでもいいの
何か苦手意識が出てしまって動けなくなったり、体調不良をきっかけに今まで通りが今まで通りではなくなってしまったり。 それらを取り戻す為に少しずつ、時に駆け足で、努力をする。 努力をしたから必ず報われるとは限らないし、努力をしたからと言ってそんな簡単に取り戻せるモノでもない。 ただ、しないよりは数千倍マシ。 例えば昨年で言えば、海に行くことがなかなか困難になってしまった。 大好きで暇さえあれば潮風を浴びに行っていたのに、なんだか行けなくなってしまった。 たった1度しか海に行け