不適切な昭和のオヤジ👽から学ぶ。
我が家にも、不適切にもほどがある昭和のオヤジ👽が若干1名いるが、私のおかげで(あえて言わせて)かなりマイルドな人間になりつつある。
その👽がテレビに流れる殺人事件のニュースを観ながら言った。
「あれはもう、き〇〇い やな。」
いつもならびっくりして言葉が引っ込む私も、何回目かで慣れてきたので、すかざず言った。
「き〇〇い っていうのは差別用語だから、外では言わない方がいいよ。」
👽「じゃ、なんて言えばいいわけ?」
私「精神的にすんごい疾患がある人?」
この回答が正解かどうかは別として、とにかく口を開く前によく考えてくれ。と言っても、👽は不適切だとは微塵も思っていないわけだから、言うなという方が無理がある。👽に限らず、平気で言い放つ高齢者は結構いる。
私たちの世代は、学校の授業で同和教育などの「差別」について触れる機会があった。しかしこれも「寝た子を起こすな」とか、いろいろと問題も多かった。
高齢になればなるほど差別用語は日常的で、その世代の中で意識のある人たちは自ら調べたり、職場の研修を受けたりして「こういう言い方は良くないんだなあ。」と知ったのだと思う。
■強烈だけど、のどかな時代だった。
実家で、NHKの朝ドラ『ブギウギ』の話になった。
昭和20年~30年代に人気絶頂だった歌手・笠置シズ子の物語なのだが、父が「『買物ブギ』の歌詞の中に差別用語が出てくるけど、ドラマの中ではそこはなんて歌ってるんかな。」と言う。
※『買物ブギ』は昭和25年(1950年)発売。👽が1歳の時。
認知症ではないけど、一歩手前の軽度認知障害か?と思わせる大ボケ小ボケが増えてきた父だが(ボケ もNG)、妙にシャキッとした発言だ。
90歳の両親の若いころ、毎日のようにラジオから笠置シズ子の歌が流れてきたという。
早速YouTubeで笠置シズ子が歌うもともとの歌詞を確認した。
「耳が不自由な人」という意味の用語・つ〇ぼ をはっきりと歌っている。おまけに、その次の店の人は目が不自由で、め〇ら という言葉まで登場。
※動画は挙げませんので、気になる方はYouTubeをチェックしてね。
朝ドラの中では、その言葉をカットして歌っているが、歌詞の流れには全く影響しない。わざわざその言葉を言わなくても成り立つのに使っているところが、昭和20年代の緩さと言うか、そういう時代だったわけだ。
ちなみに作曲は、笠置シズ子と苦楽を共にした作曲家・服部良一(ドラマでは草彅剛)で、作詞もペンネームを変えて服部が手掛けている。
■差別用語の基礎知識。知らない怖さ。
本棚に『差別用語の基礎知識』(土曜美術社)という本がある。
文章を書くという仕事柄、不適切な表現を避けるために30代の頃に手に入れたと思う。
1988年の初版本で、Amazonで手に入る最新刊は1999年版。
朝日新聞編集委員が差別用語についてまとめている。
・部落問題・障害者問題・女性問題・職業・外国人などに関して問題になった案件を解説しており、1970年前後からマスコミに抗議が来たり、ニュースで取り上げたりといったことが盛んになったようだ。人権とか、差別といったことをきちんと考えようという風潮が生まれてきた時代だと言える。
今ざっと目を通してみると、この年齢になればさすがにほぼすべての言葉を知っているが、現在20代、30代の人たちは、どれぐらいこれらの差別用語を知っているのだろうか。
文学作品や昔の出来事を紹介する映像などでは、「制作当時の意図を尊重して差別用語もそのまま表記しています」といった注意書きが加えられているので、そういう差別的な言葉があったのか~程度の認識だろうか。
最近の学校教育でどのように対応しているのか、確認していないのだが、こういった差別用語や表現があったことは日本語の歴史であり、日本の社会が通ってきた道なのだから、隠す必要はないと思う。むしろ、なぜNGになったのか、使うと当事者がどんな気持ちになるのかをよく知ったうえで、適切に判断できることがベストだろう。
👽が時々言う「落ちこぼれ」という言葉も私は気に入らない。
『差別用語の基礎知識』にも差別的表現として挙げられている。その言葉の周辺の事情や気持ちが想像できないから平気で使う。教師が平気で使っていた時代もあり、懐かしい響きでもある。
不適切にもほどがある昭和のオヤジのように、知らないと平気で使う。
知らないのだから仕方ない。
差別的表現を使うということは、そこに差別する気持ちがあるということだから、気をつけなければいけない。自戒の意味も込めて。
しかし、ことわざや慣用表現の中に出てくる差別用語(めくらめっぽう、片手落ち、など)にまで神経をとがらせるのも なかなかしんどい。
外国人に日本語を教えるとき、初級の最終単元は「敬語」。
難しいけど日本の社会では外せない表現だ。
自然な敬語が使える。そして、差別的な用語や表現を使わない。
この二つが、(テストで点を稼ぐための知識ではなく)日本人の教養を知るバロメーターだと思っているのだが、いかがだろうか。