少年の頃の夫に「大丈夫だよ。」と言ってやりたい。
5月に夫の兄が亡くなりました。
いよいよ出棺というとき、参列者が手に手に花を持って棺の中に納めていく、その中に、肩を震わせながら泣いている夫の姿がありました。知り合ってから34年、泣いている夫を見たのは初めてでした。
火葬場へ向かう車を運転しながら夫が
「死んだおふくろのことを思い出して、涙が止まらんかった。あの頃は地獄だったからなあ。」と。
そんな自分の弱みを見せるような言葉も初めてでした。
夫の母は、夫が17歳の時に交通事故で亡くなりました。残されたのは、義父、兄、夫の男3人。近所や親せきからは、男だけでちゃんとやっていけるのかと、ずいぶん心配されたそうです。
50年ほど前の、今のようにスーパーのお総菜コーナーやお弁当屋さんが充実していなかった時代に男3人。それぞれ勝手気ままに外食をしていたか、義父がご飯を炊き、買ってきた物や、簡単なおかずを夫が作って食べていたそうです。
それから約13年間、男3人の生活が続き、義兄が結婚するのを機に家を出た夫は、私と結婚するまでの約10年間一人暮らしでした。夫が異常に世間体を気にするのは、この男3人だった生活が影響していると私は思っています。
母親がいなくなれば自暴自棄になり、よからぬことを考えるグループに入って滅茶苦茶な生活になってしまうこともあるでしょう。でも夫は、会う人ごとに大丈夫かと聞かれ、「恥ずかしくないようにちゃんとしなければ。」と気持ちを張り詰めていたのかもしれません。
夫は義母の話はめったにしませんが、夫が母を大切に思っていたことは伝わってきます。物静かな母だったようですが、家族の中心であり、まだ少年だった夫の心の拠り所だったことを感じます。
これまで夫が何を考えているかわからず、「もうだめだ。」となった時、なぜかいつも義母のことが思い浮かびました。そして、2017年の大げんかの時、私は思ってもみなかった言葉を口にしていました。
「あなたのお母さんが言うのよ。もう少し待ってやって。本当は優しい子だから、って。」
もちろん写真でしか会ったことがない義母ですが、なぜか聞こえるのです。そして涙が止まらなくなり、思いとどまる。もう何度も同じことを繰り返してきました。
突然母を亡くした17歳の夫のことを思う時、私は妻ではなく、母になっています。我が子が17歳の時に私が急にこの世からいなくなったら…。寂しさは時が解決してくれるでしょうが、母を亡くした直後の喪失感は、子どもの心には重すぎる。
聞こえてきたように感じる義母の言葉は、心の奥にある私の思いなのでしょう。別れることを踏みとどまる瞬間です。