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命の大切さを伝えるために生きた猫

あれから何年か経ち、やっと綴れるようになったので、書いてみます。

我が家には今、こまちさんというツンデレのツンしかない猫がいます。今だに抱かせてくれません(涙)

だけど癒し系です(笑)

こまちさんを家に迎えること、とても悩みました。なぜなら…

〜初めての保護猫〜

こまちさんを飼う前に知り合いから、保護の猫を譲り受け我が家に家族に迎え入れました。

まだとっても小さくて、子供たち2人は大喜びでした。
2人にとって初めての子猫で、いっぱい可愛がりいっぱい遊んでいました。

私たち夫婦は、それぞれ実家にいた頃から猫は飼っていたので慣れていましたが、保護猫を飼うと言うのが初めてでした。

鶏小屋の横にいた所を保護したらしく、迎えてから体を洗って、病院に連れて行き検査やワクチンなど色々とお世話をしていましたが、便からギョウ虫が出てくるのが続き、何度も病院通いしました。

何ヶ月かでそれも落ち着き、特に異常も無く、どんどん家族になって行きました。
お母さんを知らないからか、とても甘えん坊で
私や夫の小指をいつもチュパチュパ吸っていました。

呼ぶとすぐ来て膝から離れません。こっちが足痺れて負けちゃうくらい…

子供達ともきょうだいの様に一緒になって、遊んでいました。何されても引っ掻いたりしませんでした。

こんな毎日がずっと続くと、思っていたのに…

〜突然の異変〜

とある3連休の初日、いつもみんながいるところが大好きなのでリビングで過ごすのに、その日は珍しく廊下に置いてあるサブのキャットタワーの1番下にある箱の中から出てこないのです。

動物は具合悪いと寝て治すとか聞いたことがあったので、前日までは食欲もあった事だし、連休明けまで様子を見ることにしました。

連休中は急に何も食べなくなり、キャットタワーの箱からでてきませんでした。

あまりの様子がおかしいので、連休明けに病院へ連れて行きました。

いろいろ調べてもらい、血液検査もしました。
検査結果を待ち、待合室にいるとしばらくして中に呼ばれました。

そして…先生から言われたのは

「猫白血病です。」

時が止まりました。…すぐに現実に引き戻され
血液検査の結果を説明され、
「全て普通の数値なんだけど、白血球だけが異常に少ないです。」といわれました。

あとはショックすぎてどうやって運転して帰って来たのかわかりません。

ただ、こんなに検査や薬などがかかるとは思わず、軽い何かだと思っていてそんなにお金を持って行きませんでした。会計の時にすごい金額を言われ、
「すみません、近くのATMに行ってきます。」
と言って慌てて車を飛ばしたことだけはおぼえています。

何でうちの子が白血病?そればかりが、頭の中がグルグル回ってました。

先生は「保護猫だと親猫が白血病だと子猫もなるし、後天性の場合もあるし。」と気を使いながら教えてくださいました。

家に帰ってからは、ずっと猫白血病のことばかり調べていました。

なすすべは何もなかったです…
何もできないのです。現実を突きつけられ、目の前が真っ暗になりました。

でも、うちの場合はもしかして大丈夫かも…なんて淡い期待をしていましたが…

日を追うごとにどんどん弱って行きました。

ご飯の量が減り、大好きなチュールも食べなくなり、水もスポイトで飲ませる様になりました。
飲めても一滴ぐらい。

体勢も自力では変えられず、数時間おきに骨と皮ばかりになった体をかえてあげます。
痛がるけれど、床ずれが起きないように頑張って変えました。

ふわふわであんなに元気だったのに、触ると硬くて…

最後の頃になると自分で尿が出せなくなり、痛がる体をどうにか長いダンボールに毛布を敷いて移動させ、病院で管を入れてもらって尿を出してもらっていました。
そして、水分の点滴をして、毎日続けました。
休みの日も特別に診て頂きました。

毎日行かなければないのが可哀想で…
でも尿を出してもらわないと尿毒症になってしまうし…痛がる姿を見て胸が張り裂けそうでした。

夜は夫と交代で看護していました。夜中2時まで夫でその後は私。

交代する時が怖くて、ちゃんと生きてるよね…って毎日寝た心地がしませんでした。

そんな生活が1ヶ月ほど続きました。
その日も尿を取ってもらうため、いつものように朝一の9時に病院に行きました。

尿を取ってもらう間は待合室にいたので、早く帰って寝させてあげようなんて思っていたら…

「早く中へ!」

悪い予感しかありませんでした。

先生が慌てて私のところに来ました。
すぐに診察室に入ったら、もう動かなくなったうちの子がいました。まだ1歳半でした。

「急変でした」

先生が言いました。

その言葉を聞き、姿を見た時…悲しくて悲しくて、人目も憚らず泣きました。大泣きしました。

でもこれ以上生きているのも大変だったと思います。痩せてしまい、動かなくなった体を抱き、家に帰りました。

とっても甘えん坊な子でした。
生まれた時はひとりぼっちだったけど、最期はたくさんの人たちに看取られて良かったと思います。

学校から帰ってきた子供たちが、少しでも死に対して恐怖を抱かないように

ダンボールにかわいい毛布で包んであげて、まわりには大好きだったオモチャを飾ったり…
一生懸命生きた1歳と半年を暗くならないように
生きていた時、寝ていた顔のように目も閉じさせて…

やっと苦しい日々から解放されたかのように…
ただただお昼寝をしている様な顔でした。

帰ってきた子供達は大号泣でした。ずっとずっと泣いていました。
でも病気と戦って、どんどん体が大変になっていく姿もずっと見ていたので、いろいろ話しをしてみんなで似顔絵を描いたり、大好きだったチュールを描いたりお花を描いたり…

さみしくない様にいっぱい好きなもので、かざりました。

みんなに送られ荼毘にふされました。

もうあんなに悲しい思いはしたくないと思っていたのですが、心にぽっかり空いた穴が空き塞がらないのです。

まさか1歳半でお別れすることになるなんて、これっぽっちも思っていなかったし、
実家にいた頃飼っていた猫なんて、23歳まで生きました。
病院の先生も「こんなに長生きの猫ちゃんは初めてですよ。」何て言うくらいのながいきでした。

少なくとも12〜15年は一緒にいれると思っていたので、何だかわからないうちに逝ってしまいました。

今まで何匹か実家で飼っていたので、こんな事があるのかと時が経つにつれて悲しみが増して行きました。

これからもっと家族になっていくところだったのに。

ずっと悲しんでばかりはいれないのは分かっているのですが、猫が出るテレビや道を歩いている猫を見ると涙が出てきました。

〜新しい出会い〜

ペットショップの猫も見れない状況でしたが、実家で飼っている犬のごはんを買いに姉に誘われ、ペットショップへ行く事になりました。
休日だったので子供達も一緒にいきました。

私は車で待っていようとしましたが、子供達が
「お母さんもいこうよ」と何度も言うので行くことにしました。

そこに行ったら、日本の猫の形からかけ離れた顔の形…見た事のない猫がいたのです。
横に顔が潰れた様なおまんじゅうみたいな形で、
額には麻呂のような眉毛、シマシマのしっぽ

全員が、離れられなくなりました。
前の子とは全く違う感じで、悲しみを忘れられるぐらいみんなが笑顔になっていました。

家族会議を何度も開き、家族に迎える事になりました。

面影があったら無理だっだと思います。

家族の悲しみを忘れさせてくれるために、出会わせてくれたのかな?

今頃あの苦しかった体から解放されて、思いっきり走り回って、大好きだったチュールを食べていてくれたら良いな。

一年半しか一緒に居れなかったけど、家族でした。
最後まで看病できたので、思い残すことはありません。
貴重な経験をさせてもらえて、子供達にとって命の大切さを学ぶ事ができたと思います。

大切な事、教えてくれてありがとう。


こたつが大好きでした。




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