叶わなかったことは来世で叶えよう
人間、生きてると程度の差はあれど、
もっとこうしておけばよかった、とか
諦めたくないけどどうしても諦められない、しんどい
みたいなことに直面することがある。
例えばわたしの場合、
大学のときもっと旅行行けば良かったなーみたいな比較的軽い後悔から、
なんであの時好きだった人に告白しとかなかったんだろう、
みたいな意識の表層には出てこないけど何らかのきっかけで顔を出して割と引きずるタチの悪い系の後悔まで
まあ色々と生じてしまう。
勿論その時その時にそれなりに悩んで、ベストだと思った選択をしたつもりではあるけど、予期できないタイミングでそういう過去の後悔がフラッシュバックしたり、信用してた人や物に突然裏切られてドン底に叩き落される、不慮の事故みたいなこともある。
そこで私は最近、叶わなかったことは全部来世に持ち越せばいっか、ってサクッと考えるようにしている。
コツは、決して悲観的にならず、あくまで楽観的にあっけらかんとそう思い込むこと。ノリとしては「明日宿題やればいいや」みたいな感じである。(それができない、と言う人もいると思うけど、とりあえず空元気でも思い込むことが大事)
勿論、自分の日々の幸せを追求するのは良いことで、人生誰だって出来る限り思い通りの結果を得たいと思うのは当然だ。
だから頑張って報われる可能性が感じられることは率先して自分が満足できるまで頑張るべき。
だけど、自分の人生に執着しすぎて、気づいたらこんな結末は容認できない、私はもっと幸せな状態であるべきなのに、と、無自覚のうちに世間一般の幸福や成功と比較して、自分の現実の状態を無駄に背負ってしまうこともある。
自分でかけた呪いに囚われてガチガチになると視野も狭くなっていいことがない。
だからこそ、やれるだけのことをやって、もうこれ以上は無理だな、ってスッパリ見切りをつけることもすごく勇敢な決断だと思う。
だって、自分が頑張ってきたことであればあるほど、それを簡単に手放して、諦めることはしんどい。特に自分のアイデンティティになるほどのことであれば尚更。
そんな時に私は、自分の重荷になる面倒な感情は全部水に流して来世頑張ろって軽いノリで流すことで、気持ち的に随分身軽になれた。
自分が本気で頑張りたいことがあるときは、自分にめちゃくちゃ期待すべきだ。他人なんかに期待するより自分自身に期待したほうがよっぽど建設的で、言ってしまえば裏切らないのは自分自身だけだとさえ感じる。
ただ、挫けそうな時とか、これ以上は無理だなって思った時に、ご都合主義に自分でかけた期待という名の負荷を下ろして、駄目だったことを許して、来世の自分に期待するのもアリなんではないかと思う。
どうせあと6、70年も過ぎれば誰でも死ぬし、100年も過ぎれば、自分のことを覚えてる人もいなくなる。
だったら他人どうこうよりも、自分ファーストな人生を生きた方が、いい人生だったと笑って死ねる気がする。
というわけで、自分を積極的に猫可愛がりしていこう。
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