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事実なしに否定的な言葉を投げつける藤田批判者~戦争画よ!教室でよみがえれ㊲

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画で学ぶ「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治の〝戦争画〟を追って(「藤田嗣治とレオナール・フジタ」改題)

 この章の「はじめに」に書いたようにここまでの前半は矢内みどり、菊畑茂久馬、林洋子、柴崎信三、夏堀全弘、佐野勝也の6氏に学びながら、藤田・戦争画の日本史上、美術史上の意義を明確にしてきた。ここからは後半に移り、藤田・戦争画に対する根拠のない批判に反論を加える。以下はその第1回(全体では第7回)である。

(7)事実なしに否定的な言葉を投げつける藤田批判者ー藤田嗣治の〝戦争画〟を追って⑦

 司修は小説家でもありエッセイストでもある。9歳で空襲を体験。戦後は絵を独学で学び、絵本や装丁などの仕事を手がけた。

 司は戦争画は、芸術として評価できないし「恥部」とまで言って徹底的に否定している。

「日本の戦争画から生まれたものは、芸術家の奢りと、「無智な大衆」より劣る精神の貧弱さでした。そのような作品(大東亜戦争画)が芸術として評価されてよいはずがありません」(司修『戦争と美術』岩波新書 p46)
「大東亜戦争、あるいは十五年戦争が日本の歴史の恥部であるとすれば、「大東亜戦争画」も恥部、僕はそう思うのです」(同書 p61)

 では、なぜ全面否定なのか?
 
 司修によれば、ユダヤ人画家・シャガールは自分の行動に「苦悩と反省」「自己批判」があり、日本人作家・石川達三にも「圧力からの苦悩」があったという。だが、戦時中に戦争を主題にした絵を描いた者たちにはこれらがないのだという。どうやらこれが理由のようである。※下:シャガール『私と村』

シャガール

 しかし、これは見当違いも甚だしいと言わねばならない。

 ユダヤ人・シャガールの「苦悩」はナチス・ドイツのホロコーストから自分だけがうまく逃れたということの苦悩なのである。それはヒトラーの民族殲滅計画に対する恐怖と怒りであって戦争自体と直接関係しているわけではない。仮に戦争が「悪」だとしても、画家が自己の生き方に反して「悪」を描かなければならないというレベルとシャガールが体験しているホロコーストへの恐怖を同じレベルで語ろうとすることに無理がある。
 
 また石川達三の例についてはドナルド・キーンの論評を示しているが、どれも「苦悩」の証明になっていない。キーンによると石川は、戦後の左翼からの攻撃に対して「日華事変が単なる侵略戦争であるとは思わないと言っている」そうだし、戦中の石川の作品『武漢作戦』は「軍部と対立しているという疑いを晴らそうとする石川の決意を反映している」そうだ。どこに戦争について表現する「苦悩」があるのか?まるでつじつまが合わない。

 司の論は自説を支える根拠が弱すぎる。ゆえに、ただ扇情的に戦争画に対して否定的な言葉を投げつけるだけになっている。

 ではその司修は藤田の作品に対してはどんな評価を与えているのだろうか。

 司修は藤田の『アッツ島玉砕』と『サイパン島』が「異彩を放っています」と作品としての価値を認めている。「異彩を放つ」とは「周囲とは違った特徴・才能・技量・感性・価値観がある」という意味で、通常はそれを称える時に使う言葉だ。

 だが、続けてこう言う。

「玉砕をテーマにした藤田の才能は見事ですが、敵愾心を燃えたたせ戦意昂揚をはかったことは、銃の撃ち合いが描かれた絵と同じであったといわなければなりません」(同書p112)

 要は「戦意昂揚」になるから評価できない、ということらしい。「戦意昂揚」がなぜダメなのかという本質的な問題はあるが、ここではそれをいったんは受け入れてみよう。だが、なぜこの絵が「敵愾心を燃えたたせ戦意昂揚」したと言い切れるのか?当時の人の心の中に入って「戦意高揚」されたかどうかチェックしたわけではないだろうし、できるわけもない。この司に限らず、藤田の批判者たちは当時の国民の心をすべて理解しているかのような不遜な姿勢で語ることが多い。
 
 じつは司修はアッツ島の守備兵だった人が「涙を流して感激し、作者に感銘深い礼状を寄せた事実」を紹介して、これが「戦意昂揚」の証拠としている。

アッツ島玉砕1943

《・・・曽つて同島に守備して居た傷病兵は涙を流して感激し、作者に感銘深い礼状を寄せた》(山内一郎「作戦記録画の在り方」『美術』昭和十九年五月号)

 だが、なぜ涙を流すことや礼状を寄せたことが「戦意昂揚」と結びつくのだろう?不思議である。
 
 この兵隊さんは本来ならば自分もアッツ島で戦友と運命をともにする立場にいたに違いない。だが、傷病兵として内地へ戻ってきたために「玉砕」した友人に対する申し訳なさの中、慰霊・鎮魂したいという複雑な思いがあったのだろうと推測される。これが涙と礼状の意味ではないのか。なぜ慰霊・鎮魂という静かな想いが「戦意昂揚」になるのか?人の生死に関わる複雑な感情をあまりに単純にとらえすぎていると言わねばならない。

 確かに悲しみが次の自己の行動の原動力となることはある。だが、だからダメだというなら、戦死という場面に直接・間接に遭遇させた行為はすべて「戦意高揚」となってしまう。これでは近親者の戦死を聞いて涙するのも「戦意高揚」だし、葬儀屋も「戦意高揚」である。

 さらに司はこんなことも言っている。

「「大東亜戦争画」は敗けていく戦争を勝利しているかのように見せかけ、国民を騙した「騙し絵」の役目を果たしました」(同書 p112)

 この一文は藤田の戦争画ついて語っている文脈で書かれている。だが『アッツ島玉砕』も『サイパン』もどちらも日本が負けている戦闘、しかも玉砕と全滅の場面を描いているのである。「勝利しているように見せかけ」る「騙し絵」どころか日本は負けましたと語る「正直絵」ではないか。司の論理は滅茶苦茶である。

 以上、見てきたように「戦意昂揚」というワードは戦争画を批判するときの常套句だが、じつはまるでそれを裏打ちする事実がないのである。


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