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「スマイリーシミー」の礼儀~日本が世界に誇るJアスリート・道徳教科書に載せてほしいスポーツエピソード(6)

第6回は戦前に海外で活躍し「スマイリーシミー」と呼ばれたテニスプレーヤー・清水善造選手です。

1 はじめに  あの伝説とは別の新しいエピソードを・・・
2 教材 「スマイリーシミー」の礼儀
3 おわりに  打ちやすいボールの真実

1 はじめに  あの伝説とは別の新しいエピソードを・・・

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 今回紹介する戦前のテニスプレーヤー・清水善造には半ば伝説化した有名なエピソードがあります。1920年のウィンブルドンで対戦したアメリカのチルデンとの一戦でボールを追って倒れた相手を見て、がら空きのスペースに打ち込むのを潔しとせずに打ちやすいボールを返してラリーを続行させたというものです。

 この話は私も子ども時代に何かの本で読んで「へぇー」と思った記憶があります。それぐらい有名なものだったのでしょう。作家の上前淳一郎氏によればこのエピソードは戦前の修身の教科書にも採用され、戦後の道徳教科書にも掲載されていたといいます。じつは私もこのエピソードで自作の資料を作って道徳の授業をしたことがあります。子どもたちの間でスポーツマンシップとは何か?について充実した議論ができたという記憶があります(補助資料で「FIFA(国際サッカー連盟)中学U-15サッカー指導教本」のスポーツマンシップの解説を使いました)。

 しかし今回もう一度調べ直してみたところ、このエピソードの真実はかなりあいまいなものであるようです(詳しくは「おわりに」をお読みください)。少なくとも教材として使うことはできないと判断しました。

 ところが、前述の上前淳一郎氏の著書で清水善造にはこれとは別に素晴らしいスポーツマンシップのエピソードがあることを知りました。むしろ、なぜこれがこれまで知られていなかったのだろうと疑問に思うほどです。

 今回の教材はテニスプレーヤー・清水善造のこの〝新しい〟エピソードによるものです。

2 教材 「スマイリーシミー」の礼儀

 いま、プロテニス選手として女子の大阪なおみ選手や男子の錦織圭選手がイギリス・ウィンブルドンでの全英オープンやアメリカの全米オープンなど世界各地で開かれるトーナメントで大活躍しています。

 じつは今から100年以上前に世界の強豪を相手に大活躍した日本人・テニス選手がいました。
 清水善造選手です。
 清水選手は豊富な練習量でつちかった強い足腰を武器に、拾って拾って拾いまくる粘り強いテニスでヨーロッパやアメリカで大活躍しました。海外のテニスファンからは「スマイリーシミー」と呼ばれる人気選手でした。

 1920年にウィンブルドン大会に初出場した清水選手は前年度優勝者に挑戦する権利を得るチャレンジラウンド決勝にまで進出しました(※)。決勝では優勝候補・アメリカのチルデン選手との激闘の末に破れましたが、その実力を世界に証明する大会となりました。

 その清水選手が2度目のウィンブルドン大会に出場したときのことです。
 実力通り、この年も準々決勝まで進出した清水選手は地元イギリスのライセット選手と対戦しました。試合は白熱し、両者ゆずらず最終セットまでもつれ込みます。
 
 試合中、蒸し風呂のような暑さのせいでライセット選手はたびたびゲームの途中で水を飲んだり、氷を頭に乗せたりしました。じつは、イギリス流テニスでは決められた休憩以外は休みをとらないのがルールでした。ただし、休んだからといってペナルティーがあるわけではありません。
 ライセット選手はそれをいいことにひんぱんに中断し、とうとう「気付け薬」と称してシャンパンまで飲み始めました。さすがに審判も「はやくプレーを再開するように」と促します。

 もちろん清水選手は不愉快な気持ちだったに違いありません。しかし、それを決して表情には出しませんでした。相変わらずほほえみながらまっすぐコートに立っています。

 これを見た地元イギリスの観客も「地元のイギリス人とはいえライセットに勝たせるのは恥ずかしい」と思い始め、清水への拍手のほうが圧倒的に多くなりはじめました。試合はライセットがチャンスを逃し、清水が勝利しました。
 翌日のイギリスの新聞は何があってもおだやかに待っていた清水選手の礼儀正しさを伝えていました。

 続く2日後の準決勝はスペインのアロンゾ選手と対戦です。
 スタンドには、あの「スマイリー・シミー」を見ようとウィンブルドン大会始まって以来の観客がつめかけました。

 この試合も最終セットまでもつれ込む大接戦となりました。
 追いつ追われつの激しい打ち合いの好ゲームの中、意外なこと起こりました。
 清水のセカンドサーブをアロンゾが打ち返さなかったところ、審判がこれを見逃してしまったのか何の判定もしなかったのです。サービスエースで清水選手の得点なのか、それともサービスミスによりアロンゾ選手の得点なのか―。
 
 そのとき、清水選手が「いまのはわたしのサービスミスなので相手のポイントです」と言ったのです。すると、それを聞いたアロンゾ選手は「いや、清水選手のサービスは入っていました。清水選手のポイントです」―なんと互いにいまの一球は相手のポイントだ、というのです。

 判定できなかった審判はますます困り、ラインズマンと協議に入りました。
 結果は清水選手のサービスミスとなり、アロンゾ選手のポイントとなりました。しかし、アロンゾ選手はこの判定を聞くと次の清水選手のサーブをわざとネットに打ち返し、清水選手にポイントをゆずりました。これで五分と五分です。
 
 どちらが正しいのかはわかりません。おそらく、ラインぎりぎりだったために審判も声が出なくなったのではないかと思われます。しかし、そのきわどいプレーに対する二人の選手の態度に、満員の観客は清々しく気持ちのよいものを感じていました。

 試合は最終セットをとったアロンゾ選手の勝利となりました。翌日のイギリスの新聞にはこう書かれていました。

「2人の試合は始めから終わりまで、このようなスポーツマン精神のもと戦われた。しかも、2人ともきびきびして、じつに気持ちのいい試合だった。一度、清水の靴ひもがほどけたことがあったが、彼はそれを稲妻のように素早く結び直し、まったく相手を待たせず、さっと構えに入った」

 スマイリーシミーの態度はテニスの本場・イギリス人の心に残る礼儀正しさだったのです。

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※当時のウィンブルドン・全英オープンは現在のルールとは違い、出場選手がチャレンジラウンドで優勝すると前年度覇者に対して挑戦権を得ることができるスタイルでした。ちなみに1920年の決勝で清水に勝ったチルデンは前年度覇者パターソン(オーストラリア)に勝ってアメリカ人初のウィンブルドン優勝者となっています。

※「特別の教科 道徳」の内容「A主として自分自身に関すること」の「礼儀」小学校5・6年「(9)時と場をわきまえて、礼儀正しく真心をもって接すること」中学校「(7)礼儀の意義を理解し、時と場に応じた適切な言動をとること」 

※発問例「清水選手はまっすぐコートに立っていたときにどんなことを考えていたのだろう」「清水選手とアロンゾ選手の態度が観客に清々しい・気持ちがよいと感じさせたのはなぜだろうとか」「礼儀正しさはまわりの人をどんな気持ちにさせるだろう」

3 おわりに  打ちやすいボールの真実

 上前淳一郎氏は著書『やわらかなボール』(文春文庫)の中でこう述べています。

「当人の清水を含めて、あらゆる証言と記録は「美しき球」の存在を否定している」(p253)

 つまり、清水自身が〝意識〟して打ちやすいボールを返したという事実はないのです。私もこのエピソードがスポーツマンシップの適切な例とは思えません。この話は戦前すでに修身の話材になっていましたが、上前氏によれば、当時の日本人テニスプレーヤーの間でこんな話があったと言います。

「清水の後輩たちの議論は、その点に集中した。適切ではない、というのがおおかたの意見だった。イギリスで近代的なかたちをととのえた競技であるテニスをプレーする彼らにも、おぼろげではあったかも知れないが、スポーツマンシップとはなにかのイメージはあった。しかし、誰もそれ以上問題を大袈裟にしようとはしなかった。適切ではないが、これはこれでいかにも清水らしい、いい話に思えたからである」(p255)

 修身の話材を書いた人が清水と同郷で「お国自慢」的に書いたようなのです。ゆえに、当時の清水本人もハッキリと否定しずらい状況だったということらしいです。 

「間違ったことだとしても、それを書いたものに文句をつける、というような発想が彼にはなかった」(p256)

 なるほど、納得できる話です。この引用箇所を読んでみても、私の教材における清水の人柄が見えるような気がします。

 昨年(2020年)、清水の出身地である群馬県高崎市に「清水善造メモリアルテニスコート」が完成したそうです。下の上毛新聞ニュースの動画をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=OcgRvMaRIcs

<参考文献等>

*上前淳一郎『やわらかなボール』(文春文庫)

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