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6枚の戦争画で見る「兵隊さん」の姿~戦争画よ!教室でよみがえれ⑳
戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ
(6) 6枚の戦争画で見る「兵隊さん」の姿ー戦争画で学ぶ「戦争」の教材研究②
前回は小早川秋聲の描く日本軍兵士の姿を紹介した。小早川の絵には国を守る「兵隊さん」への共感と愛情が溢れていた。
今回は、他の画家たちの描く「兵隊さん」の絵を集めてみた。これら6枚の絵を見れば、昭和の従軍画家たちは限りなく「兵隊さん」への感謝の思いを込めてその姿を描いていたことがわかるだろう。
岩田専太郎『小休止』 岩田は昭和を代表する挿絵画家。とくに美人画を得意としていた。だからなのか、この絵に描かれている兵士たちの顔には優しさに満ち溢れている。煙草を咥える兵士、談笑する兵士・・・そのポーズにはリラックスする姿だけでなくダンディな感じさえ伝わってくる。
松本峻介『航空兵群』 一転して険しい表情の航空兵の絵である。この画像はモノクロだがもちろん本物は着色されていたに違いない(所在が分からなくなっている戦争画は珍しくない)。これから遭遇するであろう敵を前にして、緊張感と同時に「いっちょやってやるか!」という闘魂がほとばしり出ている。素晴らしい筆致で表情が描き込まれている。
宮本三郎『飢渇』 宮本の代表的な戦争画だ。左腕を負傷している姿がすでに辛そうだ。だが、喉の渇きを癒そうとして水たまりに顔を近づけたその顔を見て欲しい。水面に映るこの兵士の目を見た時、初めてこの状況の過酷さがわかる。飢えと渇きで気も狂わんばかりの戦場の厳しさが伝わる。背後には戦友が抱きかかえられ、自転車が倒れている。マレー半島を縦断した銀輪部隊だろうか?
古嶋松之助『喜びの子ども』(軍事絵葉書) 一目でわかる中国戦線の一コマだ。辮髪の子が多いので満州方面であろうか。作者が一目で「中国」とわかるように髪型を変えた可能性もある。これを見て典型的なプロパガンダ絵画だという人もいるかもしれない。だが、下の写真を見て欲しい。
絵に描かれている姿そのものではないか。日本の兵隊さんと遊び、勉強をしている中国の子どもの姿。この写真に写っている子どもの笑顔にウソはない。これも「作り物」だというならそれでも結構だ。だが「作り物」であろうと子どもが笑顔でいるのは間違いのない事実だ。当時の中国民衆はそれが国民党だろうが中国共産党だろうが日本軍だろうが、自分たちの生活にプラスになると思えば歓迎したのである。
石井柏亭『西部蘇満国境警備』 まず目に飛び込むのは荒涼とした大地。日本ではお目にかかれない大草原と丘陵が画面いっぱいに広がっている。ソ連と満州の国境。そこに一人立つ歩哨の兵士。目の前の有刺鉄線だけが人工物。しかし、不思議と寂しい印象ではない。むしろ、清々しささえ感じる。兵士の立ち姿が美しいからだろうか。
最後は 川端龍子『洛陽攻略』 美しい大仏の前で合掌する日本軍将校。中国で戦いを繰り広げているとはいえ、同じ仏教国である。思わず手を合わせたくなったのだろう。祖国の行く末と故郷の家族の無事とともに、戦場となっている中国と中国人のことも「願い」の中に入っているに違いない。これだけ巨大で美しい仏様ならきっとわがままな願いをすべて聞き届けてくれるーそう思ったのだろう。
下の「中国無名戦士の墓」に深々と一礼する日本軍将校の写真を見てほしい。これを見れば大仏に手を合わせる日本軍兵士がいるもの当然だ、と思うだろう。