『ブータン 山の教室』少女の瞳と健全なナショナリズムー昔、映画が好きだった。そして今も好きなのだ 60s映画レビュー(2)
若い教師、山の風景、純朴な子どもたち・・・と揃えば、おおよその展開は予想できます。無論、期待通りでもありますが、いい意味で裏切られるかもしれません。
私も元小学校教師なので、こういうシチュエーションには憧れます(学生時代に毎夏、茨城の山奥の小学校で子どもたちと遊んだり、授業したり、村の方たちと交流するという経験をしました)。ですが、さすがにルナナ村は無理ですね。なにしろ首都ティンプーからバスで数日揺られ、麓の村から険しい山道を6日間かけないと到着しない「世界一の僻地」です(解説によれば普通の人が歩くと14日間かかるとのこと)。
この映画の魅力は村の子どもたちですが、その中でも少女・ペムザムの瞳には一発で撃沈です。この少女の目の輝きに触れるだけで、この映画を観る価値ありです。しかも、このペムザムはとても礼儀正しい。大人とタメ口をきく子どもを持ち上げる昨今のドラマ演出の堕落ぶりがよくわかります。
さて意外に思うかもしれませんが、私はこの映画のもう一つの魅力は「健全なナショナリズム」にあると思っています。
主人公のウゲンは朝会で校庭に国旗を掲揚して「ではみんなで国家を斉唱しよう」とブータン国歌を子どもたちと歌います。また、彼は村長さんに食事に招待されて、木の椀を使うように勧められます。それが最高のもてなしであり、相手を尊敬し期待していることの現れなんですが、彼は幼いころから自分に木の椀を使わせた祖母を思い出します。さらに、村で出会った女性・セデュに歌を教わるのですが、彼女は歌は自然と精霊に捧げるために歌うのだ、と言います。
例えば、オリンピックの表彰式での国旗・国歌と涙。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会いたくなる懐かしい気持ち。自然神への敬虔で純粋な祈り。私はこれらは「健全なナショナリズム」だと思っているんです。
ちなみにですが主人公を演じるシェラップ・ドルジは元サッカー日本代表の香川真司そっくりでした。