「戦争画論争」から見えるもの④正面から語りかける鶴田吾郎~戦争画よ!教室でよみがえれ⑰
戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ
(5)「戦争画論争」から見えるもの④ーより具体的に語りかける鶴田吾郎
論争の発端者・宮田、それに反論する藤田に続き、朝日新聞紙上での論争の3人目は『神兵パレンバンに降下す』を描いた鶴田吾郎である。
<鶴田吾郎「画家の立場」(1945年10月25日付)>
鶴田の論は明快でかつわかりやすい構成で書かれている。なお、主張していることは藤田とほぼ同じだ。
まず、鶴田氏は「少数画家の懇話会」で記事と同じ質問を宮田から受けた事実を書いている。鶴田氏がそこで「真相を説明した」ところ、どうやら宮田は「余り早合点し過ぎた」ようだと納得したらしい。ならば、きちんと新聞紙上で謝罪すべきだと思うのだが・・・。なぜ謝罪しないのか。
それはさておき、次に鶴田は戦争画について以下の2点を述べている。
一つは進駐軍文化方面担当・ミッチェル少佐の言葉の紹介。
「何処の国だって芸術家が国家に協力することは当たり前ではないか、ファイン・アートとして差し支えない」。
これは展覧会に戦争画を描いた画家も出品してよいか?という日本人批評家の質問に対する回答である。「何処の国だって芸術家が国家に協力することは当たり前ではないか」というミッチェル少佐の言葉は当時の戦争画の問題を一瞬のうちに解決してくれる。しかし、国家観が喪失している現代の日本人はこれが理解できないらしい。
もう一つは「軍国主義者」が「戦争画」を描く、という安直な意見に対する3点にわたる反論だ。
①日露戦争で戦死したペレスチャーギンは「有名な非戦主義画家」だった
―つまり「軍国主義者」が「戦争画」を描くというのは勝手な思いこみも甚だしいという一つの例。(以下はペレスチャーギンの絵。上が「敗北。パニヒダ」下が「ボロジノのナポレオン」)
②「戦争の面を如何に吾等は取扱って絵画にもって行くかということも画家としての任務である」
―戦争をどう表現するかということは芸術家の仕事であり、否定できない大事なテーマであるということ。
③「その表された絵によって軍国的にも非軍国的にも解することは観者の主観ではないか」
―その絵をどう解釈するのかは絵を鑑賞する人の主観にすぎない。戦争画=軍国的という単純かつ一面的な見方ですべての絵を断罪しようとするのは一種の文化破壊だろう。
最後に画家の「戦争に便乗」したというレッテルへの以下の反論をしている。この反論は藤田と同じである。
鶴田は「殆ど凡ての日本国民は戦争の為に軍と政府に協力し協力させられたのではないか、又協力することが当然ではなかったのか」と言う。この鶴田の反論は正論だ。その当時の国民ならごく常識的な行動と言えよう。そして「画家も国民の一人である以上は当然ではないか」というのもその通りだ。別に画家は特別な人間ではない。絵を描いて生計を立てているごく普通の日本国民にすぎない。繰り返しになるが、宮田自身は軍医として中国・満州へ派遣されている。ということは、自分自身も立派な戦争加担者と言わねばならないはずである。
さらに鶴田は、宮田の「節操」がないという批判に対して「戦争画を描いた画家が再び平和に戻ったから他の方面を描いては節操を曲げたというのも間違っている」ときっぱり反論している。そして「吾々は画家である」として「描きたいものは何でも描く、吾々は思想運動家ではない」と言う。これは芸術の世界に思想運動(「思想」ではないことに注意)を持ち込もうとする宮田への根本的な批判である。
鶴田は、芸術の領域に思想運動の目的や手法を持ち込んできて批判しようとしていることに対して胡散臭さを感じ、嫌悪感を表明しているのだ。画家は対象が何であろうとそこに描くべきという感情がわき上がれば美の追求のために描かずにはいられないのだ、というアーティストの心意気が伝わる。
最後に鶴田は、戦後「日本自身が大転換した」のであり各国民・各個人が転換するのは当たり前だと言う。そして、宮田の論理で言えば、国民や復員兵が「停戦後平和産業に転換するが故に是等の人も節操を変えたということにもなる」がその場合はどうなのか?と宮田の論理の破綻を指摘している。
読めばわかるように鶴田の反論は藤田とほぼ同じ論旨である。むしろ、藤田よりもよりわかりやすくかつ正面から堂々と書いていると言ってもよい。藤田・鶴田論文と宮田論文を比較すると、宮田の論の幼稚さがより拡大される。