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最近の記事

【能登豪雨】地震、豪雨..立て続けに襲われるスーパーマーケット。この地でもう一度希望を取り戻せるのか。

あらすじ能登半島地震の発生から10ヶ月が経とうとする9月21日、またしても未曾有の災害が能登北部を襲った。輪島市町野町では、町唯一のスーパーであるもとやスーパーが近隣の鈴屋川の氾濫により2m浸水。1階の大部分が濁流に飲み込まれ、店内の商品や什器、家電製品は壊滅的な状態となった。 地震の被害にもかかわらず元旦から営業を継続し、地域の生命線としてなんとかぎりぎりの経営を維持してきた。震災により高齢化・過疎化がさらなる加速を帯びる中、移動販売の強化や復興イベント会場の提供など、地域

    • 「ボランティア足りない...」激甚災害指定された山形県の豪雨災害。発災1ヶ月半後の復旧の現状と支援ニーズとは?

      2024年7月25日からの豪雨により、山形県酒田市。でも観音寺・大沢地区は甚大な被害を受けた。住居の床下浸水、床上浸水、田んぼの被害、道路の損害...。それから46日後、9月9日時点でも復旧作業は続いている。復旧の現状と支援ニーズを取材した。 📹 取材先:山形県酒田市 観音寺地区/大沢地区 📆 取材日:2024年9月9日 あらすじ2024年7月25日からの豪雨により、山形県酒田市。でも観音寺・大沢地区は甚大な被害を受けた。住居の床下浸水、床上浸水、田んぼの被害、道路の損

      • 【ダイジェスト】被災地ドキュメンタリー「能登の音に耳を澄ませて」

        あらすじ令和6年能登半島地震により被災した人々の声を記録し続けたショートドキュメンタリー連載企画『能登の音に耳を澄ませて』 震災前よりも良い地域になる復興を叶えるにはなにが必要なのか。 そしてこの災害大国日本で、この震災から未来に残すべき経験とはなにか。 🎥 取材先:羽黒神社/珠洲製塩/瀬戸医院/トギストア/西出牧場/のと栄農ファーム/イズミヤ/曳山保存会/スナックきつねとたぬき/ネッツトヨタ石川 輪島店・七尾店/町野復興プロジェクト/いろは書店/もとやスーパー/ゼロイチ×

        • 地震から半年─ 珠洲市民の避難生活3パターン。それでもこの場所の暮らしを選ぶ理由【令和6年能登半島地震】

          あらすじ月後半に能登半島の珠洲市を訪れ、取材を行いました。震災から半年以上が経過したにもかかわらず、多くの住民がいまだに通常の生活に戻れていない現状を目の当たりにしました。避難所として使用されている学校で暮らす方、仮設住宅で暮らす方、そして自宅の納屋で暮らす方、それぞれが異なる形で生活を送っていますが、能登に残りたいという想いだけは一緒でした。 🎥 取材先:珠洲市 大谷地区の住民 📅 取材日:2024年 7月21〜22日

          「精神的にやられる寸前まで...」壊滅的に被災した町の炊き出しをやり続けた料理人が「復興の希望になる」と決意するまで。【令和6年能登半島地震】

          あらすじ震災直後、輪島市町野町で昼夜それぞれ限定2組の完全予約制の日本料理店を営んでいた冨成さんは自宅が半壊にもなる中、町野町の避難所で唯一の料理人として炊き出しを続けてた。サポートがあったものの、大人数向けの調理経験となると献立を作れるのが冨成さんだけとなり、終わらない避難所運営・続く炊き出しにやがて心を病んでしまう。 しかし町野町での炊き出しが終わってしばらくして、冨成さんは別の避難所で炊き出しを担当し始める。そこには壊滅的な被害を受けた地元・町野町の再興にかける想いが

          「精神的にやられる寸前まで...」壊滅的に被災した町の炊き出しをやり続けた料理人が「復興の希望になる」と決意するまで。【令和6年能登半島地震】

          応援消費の裏で見通しの立たぬ資材調達。生産体制を復旧させつつある珠洲の製塩所が見据えるこれからの課題【令和6年能登半島地震】

          あらすじ2月珠洲市。海岸に並ぶ塩田では、500年続く伝統的な塩の製法で、国の無形文化財かつ世界農業遺産である「あげ浜式」を採用している製塩所がいくつかある。そのうちの1つである珠洲製塩は唯一営業を再開した。 タンクに溜めていたかん水を使用して、1年中製塩できる方式である「流下式」の製法によって、1人で社長の山岸さんが再開された様子が報道された。それにより1ヶ月で1年分、2ヶ月で2年分の注文が殺到した。少しずつスタッフも仕事に復帰してきたが、震災による海岸隆起、交通経路の寸断

          応援消費の裏で見通しの立たぬ資材調達。生産体制を復旧させつつある珠洲の製塩所が見据えるこれからの課題【令和6年能登半島地震】

          半壊で営業中止となった輪島の老舗食堂が2ヶ月半で営業再開できたワケ【令和6年能登半島地震】

          あらすじ3月輪島市。夜中まで明かりがつき、賑わいを見せるお店があったーー。 輪島で100年続く老舗食堂・萬正食堂の4代目 萬正光さんは、食堂が震災により半壊状態となり営業中止に。自身も友人の家で避難生活を送っていた。 こうした状況が続く中、2月に同級生であり工務店を営む谷内さんから自分の事務所のスペースの一部を萬正食堂の仮店舗として活用する提案が持ち上がる。谷内さんはこのスペースを「ゼロイチ」と名付け、萬正食堂とのコラボ店舗「ゼロイチ×萬正食堂」として、提案からわずか2~

          半壊で営業中止となった輪島の老舗食堂が2ヶ月半で営業再開できたワケ【令和6年能登半島地震】

          「従業員も減り営業はギリギリ...」全壊判定のスーパーが次にやりたいこととは?【令和6年能登半島地震】

          あらすじ「仮設店舗に移ったらやりたいことがある」 志賀町のスーパー「トギストア」は創業70年以上、幹線道路沿いに大型スーパーができてなお、地元のお客さんに長く愛され続けてきた。 しかし1月1日の震災により店舗兼自宅は全壊に。経営に携わる冨澤さんは避難所生活が始まり、悲壮に暮れながらも、多くの人の協力を仰ぎながら復旧に努めた。 2月下旬には残った一部の店舗のスペースを使って営業を再開。しかしお客さんも従業員も志賀町を離れた人が多く、以前通りの営業にはならない。 こうした状

          「従業員も減り営業はギリギリ...」全壊判定のスーパーが次にやりたいこととは?【令和6年能登半島地震】

          町に人がいない...地域の再生に不可欠なお祭りを再開するためには。【令和6年能登半島地震】

          あらすじ「あまり言いたくないんですけど、壊滅状態なんで」ーー 4月初旬、珠洲市正院町。ほとんどの住民が避難所や仮設住宅での生活、町外転出を余儀なくされ、人の気配はほとんど感じられない。同町に位置する羽黒神社も元旦の地震により全壊に。宮司の髙山さんは一人、なんとか倒壊を免れた社務所で賽銭箱を修理していた。 本来であれば春祭りが開催される4月。地元の氏子がいてはじめて成り立つ神社では、氏子自身の生活が戻る見込みが立たないため、今年は神事を除いて祭りを開催することはできない。

          町に人がいない...地域の再生に不可欠なお祭りを再開するためには。【令和6年能登半島地震】

          「今必要なのは地域の食を守ること」被災したカーディーラー店が事業継続のためにできることは?【令和6年能登半島地震】

          あらすじ震災直後から輪島市で被災した飲食店らが中心となって結成された炊き出しチーム・輪島セントラルキッチンによる「復興ごはん」に参加していた國田さんは、石川県内に16の事業所を構える「ネッツトヨタ石川」の輪島店に所属する整備士。今回の震災で輪島店は大きな被害を受け、通常通りの営業をストップした。その間、國田さんは臨時で七尾店へ出勤しながらも「復興ごはん」に参加していた。 車社会の街にとって必要不可欠な存在として暮らしを支えるネッツトヨタ石川。本部のサポートの甲斐あって、七尾

          「今必要なのは地域の食を守ること」被災したカーディーラー店が事業継続のためにできることは?【令和6年能登半島地震】

          患者の減少、全壊した自宅…震災後も地域医療を支えるために。開業医が抱く、診療所を続ける上での不安【令和6年能登半島地震】

          あらすじ輪島市町野町は元々人口2千人を切り始めていた小さな町。 震災による土砂災害で一時は孤立状態にもなり、多くの家屋が倒壊した町野町では避難による人口流出も少なくなかった。 それから3ヶ月が経ち、仮設住宅も建ち始めて町に人が少しずつ戻ってきたタイミングで町野町の若手を中心に「桜フェス」という住民主体のお花見イベントが開催された。準備を進めていく中、店舗の倒壊で営業ができていない地域の飲食店の出店やパフォーマーやアーティストを呼んだステージ企画など、震災前にはなかったような

          患者の減少、全壊した自宅…震災後も地域医療を支えるために。開業医が抱く、診療所を続ける上での不安【令和6年能登半島地震】

          患者の減少、全壊した自宅…震災後も地域医療を支えるために。開業医が抱く、診療所を続ける上での不安【令和6年能登半島地震】

          あらすじ輪島市門前町の「瀬戸医院」を運営する瀬戸啓太郎院長。 被災後、ボランティアの力を借りながら院内を片付け2月には診療を再開した。もともと過疎化による人口減少や、高齢化が深刻化している門前町。医療機関は瀬戸医院を含めて2つしかなく、多くのお年寄りが瀬戸先生を頼りにしていた。 瀬戸先生は17年前の震災も経験しており、今回の震災で2度目の被災。医院に隣接する自宅は全壊し、現在は認知症の母と共に仮設住宅での生活を送っている。当時に比べると自身も高齢になり体力面でも不安を抱えて

          患者の減少、全壊した自宅…震災後も地域医療を支えるために。開業医が抱く、診療所を続ける上での不安【令和6年能登半島地震】

          「祭りがなくなれば町らしさを失う」未来のため復旧未完でも祭りをやる決断をした人々【令和6年能登半島地震】

          あらすじ能登町で毎年4月に開催される曳山祭りは、地域の小学生たちが練習した木遣り歌の披露や高さ6mほどの曳山に子どもたちが乗って町内を巡行するのが目玉となっている。 震災から3ヶ月ーー。未だ町の復旧は終わらず道路状況も悪く、二次避難により人口流出もある中、「どうしたら祭りをできるか」を模索していく。 「ここは祭りの町」と語るのは曳山保存会の南代喜郎さん。 震災によっていろんな我慢をしてきた子どもたちのため、町のアイデンティティを失わせない未来のために、曳山祭りを縮小版の「

          「祭りがなくなれば町らしさを失う」未来のため復旧未完でも祭りをやる決断をした人々【令和6年能登半島地震】

          本屋から被災したまちを変える。全壊してもすぐに動き出した書店の考える「面白い本屋」とは。【令和6年能登半島地震】

          あらすじ珠洲市飯田町の創業75年の「いろは書店」。珠洲市で唯一の一般書籍を扱う書店でありながら、カフェの併設や子ども向けの空間を作るなど、町の賑わいを生み出す工夫を震災前から仕掛けてきた。 地震により店舗は全壊し、1万冊の本が下敷きとなるが、2代目店主の八木久さんは地震翌日の避難所で新店舗の設計図を描き始めていた。近隣の空き店舗を借りて4月21日に正式オープンとなった仮店舗は、3代目の八木淳成さんによるDIYで遊び心ある佇まいが存在感を放つ。 まちの景色が大きく変わらぬ中、賑

          本屋から被災したまちを変える。全壊してもすぐに動き出した書店の考える「面白い本屋」とは。【令和6年能登半島地震】

          数店舗しかない奥能登の靴屋が震災でさらに減少。高齢者の買い物はこれからどうなる?【令和6年能登半島地震】

          あらすじ石川県穴水町にある2軒の靴屋のうち、店舗の倒壊からは免れたイズミヤ。応急危険度判定では赤紙(危険)判定され、店主の泉恵子さんも避難所生活を送る中、ある使命感を持ち地震1ヶ月後から営業を再開する。 地震により人口減少が加速しても、インターネットでの買い物や車移動が困難な高齢者が買い物し続けられる場所は求められる。奥能登全体で見ても靴屋は指折り数えるほどしかない。奥能登に残る高齢者の買い物はこれからどうしていくべきか。 🎥 取材先:イズミヤ 📅 取材日:2024年1月2

          数店舗しかない奥能登の靴屋が震災でさらに減少。高齢者の買い物はこれからどうなる?【令和6年能登半島地震】

          農村維持の要となる地域コミュニティ。被災した限界集落で米を作り続けるためには?【令和6年能登半島地震】

          あらすじ金蔵で米農家を営む山下祐介さん(のと栄能ファーム)は、農地への土砂崩れや地崩れによる深刻な被害に遭い、今年の田植えを諦めている。非効率と言われる農耕地での米作りへ意思を絶やさずとも、あくまでも「応急的な復旧は望まない」と語る。 震災により農村維持の限界が急速に近づいた地域を持続可能な農村にしていくために今山下さんが考えることは。 🎥 取材先:のと栄能ファーム 📅 取材日:2024年1月25日〜3月17日 ◆のと栄能ファームHP: Instagram: X:

          農村維持の要となる地域コミュニティ。被災した限界集落で米を作り続けるためには?【令和6年能登半島地震】