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「精神的にやられる寸前まで...」壊滅的に被災した町の炊き出しをやり続けた料理人が「復興の希望になる」と決意するまで。【令和6年能登半島地震】
あらすじ震災直後、輪島市町野町で昼夜それぞれ限定2組の完全予約制の日本料理店を営んでいた冨成さんは自宅が半壊にもなる中、町野町の避難所で唯一の料理人として炊き出しを続けてた。サポートがあったものの、大人数向けの調理経験となると献立を作れるのが冨成さんだけとなり、終わらない避難所運営・続く炊き出しにやがて心を病んでしまう。 しかし町野町での炊き出しが終わってしばらくして、冨成さんは別の避難所で炊き出しを担当し始める。そこには壊滅的な被害を受けた地元・町野町の再興にかける想いが
応援消費の裏で見通しの立たぬ資材調達。生産体制を復旧させつつある珠洲の製塩所が見据えるこれからの課題【令和6年能登半島地震】
あらすじ2月珠洲市。海岸に並ぶ塩田では、500年続く伝統的な塩の製法で、国の無形文化財かつ世界農業遺産である「あげ浜式」を採用している製塩所がいくつかある。そのうちの1つである珠洲製塩は唯一営業を再開した。 タンクに溜めていたかん水を使用して、1年中製塩できる方式である「流下式」の製法によって、1人で社長の山岸さんが再開された様子が報道された。それにより1ヶ月で1年分、2ヶ月で2年分の注文が殺到した。少しずつスタッフも仕事に復帰してきたが、震災による海岸隆起、交通経路の寸断
患者の減少、全壊した自宅…震災後も地域医療を支えるために。開業医が抱く、診療所を続ける上での不安【令和6年能登半島地震】
あらすじ輪島市町野町は元々人口2千人を切り始めていた小さな町。 震災による土砂災害で一時は孤立状態にもなり、多くの家屋が倒壊した町野町では避難による人口流出も少なくなかった。 それから3ヶ月が経ち、仮設住宅も建ち始めて町に人が少しずつ戻ってきたタイミングで町野町の若手を中心に「桜フェス」という住民主体のお花見イベントが開催された。準備を進めていく中、店舗の倒壊で営業ができていない地域の飲食店の出店やパフォーマーやアーティストを呼んだステージ企画など、震災前にはなかったような
患者の減少、全壊した自宅…震災後も地域医療を支えるために。開業医が抱く、診療所を続ける上での不安【令和6年能登半島地震】
あらすじ輪島市門前町の「瀬戸医院」を運営する瀬戸啓太郎院長。 被災後、ボランティアの力を借りながら院内を片付け2月には診療を再開した。もともと過疎化による人口減少や、高齢化が深刻化している門前町。医療機関は瀬戸医院を含めて2つしかなく、多くのお年寄りが瀬戸先生を頼りにしていた。 瀬戸先生は17年前の震災も経験しており、今回の震災で2度目の被災。医院に隣接する自宅は全壊し、現在は認知症の母と共に仮設住宅での生活を送っている。当時に比べると自身も高齢になり体力面でも不安を抱えて