歌うことへの葛藤、怖さ As We Come Together for 12/7(土) Communicative bar HANABI(高田馬場)
12/7(土)に、勤務している、Communicative bar HANABIで、歌わせてもらえることが決まった。
が、ぼくはまだ、ほんとうに吹っ切れられていなくて、歌を歌っていい、と自分に言いにくい状態だ。吹っ切れるための材料集めに文章を書きます。
ちなみに、丁寧に書こうと思って、ChatGPTにぶん殴られまくった記録を一応書いたから、下に置いておきます。
・大学生の頃、アカペラサークルに入った。歌を歌うのがむかしから好きだったけど、楽器とかやったことなかったから、いいなと思って。結局のところ、あんまり、いわゆる歌を歌うことはあんまりなかった。声が低くて、ベースボーカルが向いているだろう、ということだった。一度パートが決まると「そのパートの人」になる、という側面がだいぶあって、それは、ある種の社会であるサークルとしては至極当然のことだった。ずっと、歌を歌いたかったが、そのための努力が、ちゃんとできなかった。非常に後悔している出来事の一つ。
・社会人になってから、2度ほど演劇をやってみた。アカペラサークルにいたころの後輩から誘ってもらったから。歌を歌うタイプの演劇で、かつ主催の人がボイストレーナーをやっている感じのものだった。
何か知らんけれども、歌をほめてもらえることがあった。ぼくは、自分のことを、そこそこ歌が歌える、かもしれないと思いながらも、でも結局下手なんでしょう?と思ってしまっているので、本当によく分からなかった。
自分の中から見たものと、「外から見たらどう見えているか」と自分が想像しているものがまずズレていて、さらには、「外から見たらどう見えているか」もズレているのかもしれんかった。こわい。
・会社にいると、時間もないし、歌っている、という事実自体が恥ずかしかった。なんか知らんけど、辞めてしまった。音楽で生きていける、とは思えていないから、他の仕事をまたやるんだろうなと思いながら、歌を作ったり、ギターの練習をしながら過ごしていた。
編曲ができる人に頼んで、リリースをしてみたりした。リリース自体には、そんなにお金がかからなくて、なんだこんなことか、とも思った。
・たぶん、うまくいくためには、最低条件として、
自分でめちゃくちゃ作って、めちゃくちゃ外に出す(YoutubeだってInstagramだって、路上だって、Apple musicだっていい)ことと、それからフィードバックを受けて直していくことがあるんだろう。それからも逃げ、なんとなく作って、気ままに出している。それ自体は悪いことじゃないけど、自分の中で全然折り合いがついていないのが本当に悪い。
・なんとなく、生活をしながら、いわゆる仕事っぽいこともしながら、ちゃんと人に聞いてもらえる状態に音楽を持っていくことができたら、本当に理想なんだけど、こんなへっべえことばっかりやっている状態だと、結構きびしいよなぁ。とか、俯瞰で見てますよ俺、アピールを、誰かにしている。
↑これ自体も、アピールだから、ツッコミし始めたらキリがない。
たまになぜか良いといってもらえることがあって、それを聞けるとひたすらにむずがゆくなる。嬉しいんだけど恥ずかしい。
でも、あれを感じられるのは多分結構音楽くらいしかなくて、だから、腹がちゃんと決まっていなくても、辞めちゃいけない。
ある一定期間だけめちゃくちゃ夢を追いかけて、消耗してしまったら諦める、みたいなのがスタンダードだとは思いつつ、28歳になる奴が、そんなことやってる場合じゃない。
ちょうどよくやるぞ。それは本気じゃないってことじゃない。適当にも、ちょうどよさにも、バランスにも、本気は宿る。
ひとまず、ひとりは真剣に聞いてくれる人がいるんだから、真剣に歌いたい。
それに、これだけ書いておいて、ぼくはぼくが作る歌も、歌う歌も好きだ。もっともっと良くなったVer.もできれば見たい。一観客として、自分のより良い作品を見てやりたい。
外界に出すこと、こうやってイベントをやることで少しでもそれに近づくなら、やるっきゃないんだよ。やるっきゃない。させてください。
あなたが、本当に魅力的だと思って、来てもらえるまで、俺が辞めないことを、俺が祈っています。勝手にやるので、よろしく。
またね。