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有給休暇消化現状 + 蛇足
(↑石岡ともゆきさんという方の画像、かわいい。)
平素は大変お世話になっております。
本日は、退職に向けて有給休暇を消化している現状について、振り返りを書こうと思います。
現状振り返り
仕事に行っていないことについての変化が多少はあるな、と感じています。
まずひとつは、朝のゆったり感が違うこと。正直、まだ生活リズムは大きく崩れていなくて(もともと、ほぼリモートだったこともあり)、9時までには起きて、何かしら動き出す感じになってはおりますが、9時、というタイムリミットがないだけで、朝に選べる選択肢が多いこと多いこと。これはたぶん朝だけに限らないけど、タイムリミット、後ろ、っていうものがないだけで、めちゃくちゃ自由になっている感じがある。
人間の無意識での抑止力、みたいなものをすごく強く感じる。
もうひとつは、もう少し本当は自炊をしたいが、なかなかできていないこと。やっぱりというかなんというか、仕事をしていなくても家事をすることが好きになるとか楽になるとかはなくて、逆にめっちゃ安心した。
よく考えたら、大学の頃の春休みとかも、別にずっとだらだらしてたもんな。そうだな。
だから、自炊を気合でやるのではなくて、何かしらリズムでやっちゃわないとな、と思っています。あ、でも、ちょっと遠いけどお安いスーパーに、割と気兼ねなくいけるようになったのは、すごくいいことかもな。
まだ、冷蔵庫の中身をちゃんと管理して、無駄なくひとりで生きていく方法はわかりません。だって、たぶんだけど、あんまりひとりで生きていきやすいようには設計されていないんだもの。まあね、スケールメリットっていうものがありますから。それがないとき、どうやって自分の望む状態に持っていくか。なんかこうやって書くと、スタートアップのメーカーみたいですね。ファブレス(設計をして、実際のモノづくりは外注する)がいいんじゃないか、とかも思うな。これ、外食じゃん。
ああ、でもそっか、別に自炊を絶対しなきゃいけないわけではないんですよね。最近は、大学の頃より順調に太ってしまったことへの焦りがだいぶ高まってきていて、それであるがゆえに、自炊をして、健康のバランスを取り戻そうとしていたんですが、まずは食べ過ぎることを直さないと、たぶん難しいっすよね。どうしよ。
あとなにか変化がありますかね。あぁ、少し美術館とかに行き始めていて、明確に、感情が動きやすくなっている気がします。なんというか、軽率に感情が動く。もともと、内部的には感情がある程度動くが外側には表出しない性質がある(と思う)けれども、それが少し変わるかもしれない、と思っている。まあね、良し悪しなんですけどね。
でもな、楽しそうに生きていきたいのよ、僕も。生きる、っていうと大げさだけどさ、明るい声で話すとか、にこにこしているとかのレベルよ。無意識に、そうじゃないように設定されちゃってるから、それを、ちょっとだけ意識して、素直に内面を出していきましょうキャンペーンですわね。そうします。
(この、noteをががっと書いているのも、だいぶ内面を出すための訓練みたいな部分があって、それが実ることを信じています。)
他には、noteを書き始めたのがありますね。これは行動の変化だけど、一応内面的にも変化があって。
仕事をしていたときって、毎日何かしら成果物を作っているんですよね。成果物って程大したものじゃなくても、メールとか、ミーティング用の議題とか、議事録とか。そうしていると、ある程度自分の中の「文字を出したい欲求」みたいなものが疑似的には満たされているんですよね。なんだろう、これくらいは文字を出力していなければならない、という規範的なものがあり、それが満たされている。
でも、今のぼくって、何も出力しなくていいんですよ。強制力がないから。そうすると、インプットもない、アウトプットもない、ただ昨日と同じことを考えているだけ、になりそうで怖かったんですよね。正直、今のスタイルで書いていることも、新しいことがインプットされて書けている、というよりは、今までの自分を振り返ってみて、出会いなおすことでやっと書けている、感じがありますね。
そんなところかなあ。思っていたより全然ないですね。正直まだあんまり時間がたっていないし、有給休暇消化中だから、会社には所属している(諸手続きが発生していない)ので、実感として湧くのはもしかしたら本当に退職日を過ぎてからなのかもしれない。
名刺がない、名前がない。ってことが本当に怖くなると思う。社会とのつながりが、ひとつ断絶するから。
でも、誰とも会わない生活を望んでいるわけではないので、無理をしないようにしつつ、新たな環境に少しずつ飛び込めればよいなと思います(少しずつ飛び込むってなに?)。
またね~~~。
蛇足(もともと蛇といえるほど形を持っていなくない?)
なんか、まとめる感じになっちゃったな。あるテーマに誠実に書こうと思うと、割と収束的な感じで書いちゃうな。もっと本当は発散的に書きたいんですよ。坂口恭平さんに憧れている部分もあり。どんどん書く、フローを信じる。みたいなことから考えると、テーマにちゃんと沿おうとするまじめな部分をいかに取り除くか、が問題としてあるな。
ずっと危惧しているのは、ぼくがまじめに書いていない時、ただわかりにくく伝わらない文章が生成されていることで、もちろん読んでもらうために書いている部分もあるので、それはうれしくないんだよな。
いや、自分の中で、こうnoteを書こう!みたいなスタンスとか、位置づけとかがちゃんと定まっていないんですよ。だから、読んでほしい、自分を吐き出したい、のふたつの(一見)相反するように見える部分をうまく制御できていないんだよなきっと。たぶんね、ベン図で言うところの共通部分だからね、それを探るためにひたすら書くことにしたんですよ、とは思うんですけど。
言いたいことがまずできて、それを発散させて、最後にそれをまとめる、のが常道だと思っているから、まずは言いたいことをひたすら吐き出せるようにする。最大出力を上げる、と考えているんですけど。まぁ、知りません。なんかわからないけど書きたいから書いているだけで、すぐ賢しらに分析をしようとする。それ自体はね、あたりまえの脳みその動きだからいいんですけどね。もっといきましょうね、のハンコが脳内の先生から押されているだけで。
まぁね、難しいんですけど、これは文句とかじゃなくて、うれしい難しさですよ。もうちょっとできる気がするし、できた先にまた別の難しさが発生してくるんだろうし。とりあえず自転車に乗れるようになりたい、みたいなことなんだよな。競輪で勝ちたい、みたいなことを先に考えていると、自転車に乗る練習をしているのに、どんどん辞めたくなっていく気がする。ぼくはそういう人間だ(ビッグダディか?)。だからね、こんな感じで言い訳もめっちゃ書きながら進んでいきましょう。
いやあのね、坂口恭平さんが毎日原稿用紙10枚書いているらしいんですよ。で、原稿用紙ってたぶん400文字じゃないですか。ってなると4,000字なんですよ。で、今見てみたら、これまだ2,800字しか書いてなかった。キャー。
いやね、うえで書いたことと矛盾してくる気もするんですけど、言いたいことがわからない4,000文字、かつ、誰が書いたか知らんもんなんか、読めないんですよ。しんどすぎる。
でもね、しらないんですよ。まずぼくができることは、文字を出力すること。そんで、力がついてきたら、やっと出力した文字を整えることができるようになり始めるはずなんですよ。どこで読んだんだったか忘れたんですけど(多分最近の立ち読み)、1歩目はFBもらわない、2,3歩目でもらうんだけどそのときはひたすら褒めてもらう、らしいんですよ。そうか、とりあえずやること、やり続けることが大事で、そのためにある種なりふり構わないってことが大事なんだ、と思ったんですよ。確かにそう。
今ちょっと薄っすら心がダメージを受けているのは、今日みたいにテーマがちゃんと書けていないと誰も読んでくれないんじゃないか、みたいに(自然と)思っちゃうから。違うんですね。まず自分ができることをやり、かつそのうえで、続けるためにはどうしたらいいか、なんですよ。
別に、僕はこの記事で世界を狙っているわけでもなくて、長期的に「創作をし続けている自分」が作り出せればいいんだから、その最終ゴールに向かうためには、とりあえず歩くことなんですよね。だから、こんだけうだうだ書いている冗長な文章でも、ご容赦ください。いつか、もう少し整うかもしれないし、整わないかもしれない。それも、でも続けていないとわからないですからね。
ああ、そうだ、仕事に行かなくなってからというもの、感情が一日の中で、あるいは書き物の中でジェットコースター化する頻度が上がりましたね。暇だからだと思います。暇って良くないんですねぇ。
いや、4,000字ってすごい遠いな。こうやって考えると、こどものときの読書感想文で原稿用紙10枚とか言われてたの、正直意味わかんないかもな。あの頃のぼく、よく耐えたわ。いや、でも今とあんまり変わらないかも。敬語で書いてみたり、フィラー入れたりしていたな。こうやって文字数を稼ぐんですよ、のお手本になってやりたいくらい、僕は冗長な言葉づかいで書いている。書きたいこと、めっちゃあるはずだと思うんだけどな、やっぱりパッと思い出すの難しいんで、これまでのメモとか見返してきますね。
時間がなくて簡潔にできなかった、の小噺は、ぼくの心に杭としてひたすらに強く突き刺さっているんですが、確かにきょうは個展に行きたいし、風呂にも入りたいので時間がなくて、簡潔にできませんでした。もっとマッチョな文章(無駄が少なく、言いたいことが満ち満ちている状態)を書けるようになりたい。修行してまいります。では。