自分のコンプレックスを特技に置き換える方法


誰しも、

・自分のこんな見た目や習性が嫌い

・自分はいつも他人の言動に対してこんな風に反応してしまいトラブルへと発展してしまう

・自分のこんなところを周りから敬遠される

と思ったことが一度はあるのではないだろうか。


叶姉妹の姉の恭子さんは、あるラジオのインタビューで、

以下の質問にこんな風に答えていた。


Q:自信のあるところはどこですか?

A:全てです。


Q:コンプレックスはありますか?

A:コンプレックスも、全てです。


ここでいうコンプレックスは、劣等感をさすが、

これを聞いた時に私は、

恭子さんはどうやって、自分の全てをコンプレックスと感じながらも、同時に、自分の全てに自信を持つことができるのだろう?と、

その感覚が全く理解できなかった。


しかし、「アスペルガー症候群(岡田 尊司 著)」を読んで

コンプレックスは、

捉え方次第、使い方次第、環境次第で、

強みや特技に置き換えられるものだし、

本人の捉え方次第では揺るぎない自信にもなりえるものだ、

と考えが変わった。


アスペルガー症候群は、発達障害の1つで、

ざっくりいうと、人とのコミュニケーションが不器用という障害だ。

しかし、言語や知能に遅れがあるわけではなく、

むしろ、特定の分野で過度なこだわりや高い集中力を発揮することができ、

現代では、スーパーパワーをもった人=アスペルガー症候群、

という解釈をする人たちも増えてきている。


この「特定の分野での過度なこだわりや高い集中力を発揮する」

というスキルが、

時にある分野で素晴らしい功績を作りあげるスーパーパワー

と言われる所以なのだが、


そのスーパーパワーの根底にあるのが、

感性が敏感、

散らばったものをシステムやルールに体系化することが得意、

あるルーティーンをこなすことに落ち着きを感じることによって発揮される継続力、

夢想や妄想にふける力、

などの特性だ。


例えば、アスペルガー症候群を持つジョージルーカスは、

おそらく、この夢想や妄想にふける力が高く、感性が敏感で、ストーリーや事象を体系化することに長けており、

周りの理解と協力もあり、スターウォーズシリーズなどの作品を作り上げることができたのではないだろうか。


しかし、こういった特性があるからこそ、一般的な常識にそぐわない言動をしてしまうこともある。


例えば、授業中にあることが無性に気になり状況構わず妄想にふけってしまったり、

感性が敏感で観察力に優れているからこそ鋭い視点で物事を考え、

相手の気持ちや意図を推し量ることが苦手という特性と相まって、

空気が読めないことをつい言ってしまう、などだ。


そういった事例が他にもたくさんあり、

結局、コミュニケーションをスムーズに行うことができず、

それが障害となる。



つまり、ある特性が、ある時はポジティブな特技や強みとして働き、

逆に、ある時はカオスや不都合を招き、弱みやコンプレックスにもなりえる。


そう考えると、世の中や自分の周りには、

自分の弱みやコンプレックスをよく理解し、その捉え方や使い方を変え、

功績や結果を出している人がたくさんいると気づいた。


顔がデカい、のは私も含めて大抵の人にとってはコンプレックスだ。

それをFUJIWARAのふじもんは「顔デカいからや!」というフレーズの返し、にすることで大人気芸人になった。


過去のトラウマも、コンプレックスになりうる。

トラウマから学び、同じような経験をした人を助けたり、その経験を自分の子供や大切な人にさせないよう教育の重要性に気づくキッカケにもなりうる。


フジモンやトラウマをもった人がアスペルガー症候群かどうかということは問題ではない。


コンプレックスは誰にでもある。

しかし、環境や、知識やこれまでの経験次第では、

今日コンプレックスだと思っていたものが、

明日は特技になりえる可能性があるし、

そして、その逆もありえる、ということだ。


私のパートナーはADHDを診断され、

時間にルーズで、約束を守る確率は2〜4割、

言っていることとやっていることがコロコロ変わり、

自分の行動が周りの人に与える影響については無頓着な時が多く、

子育てやお金の管理に関しても常識がある方とは言えない、

こちらが話していても、それを自分の話にすり替えるスキルに長けている。

この言葉があっているのかわからないが、とにかく破茶滅茶だ。


(ADHDを持った人がこうだということではない、ADHDにも色々なタイプの人がいる)


逆に私は、時間や約束を守ることが大事だと考え、

会話はお互いのことを50/50で話せるのが心地よいと感じ、

人様に迷惑をかけてはならない、聞き上手であれ、

ような日本の一般常識を教え込まれた人間だ。



結婚生活が長くなるにつれて、

パートナーとの価値観の違いにストレスを覚えるようになり、

私の感覚がおかしいのかな?

私がルールにこだわりすぎ?厳しすぎる?

この人と上手くやっていくスキルが自分にはないのかも、、

と自分を責める時期も長くなってしまった。


優しくなれない自分を嫌だと感じ、

今までは自分の良い部分だと思っていた、

「真面目」「先を読んで人を気遣う」「ルールやプロセスに従う」

などの部分をバカバカしく感じるようになり

ただの真面目な自分をダメだと感じてしまった。


結局、ADHD、パートナーの性格、文化の違い、と

自分に言い聞かせることでなんとかやり過ごしてきた。


しかし、本書を読んで、

「もし、自分が特性をもっていたら?」と考えるようになった。

自分が何かに強いこだわりや特性を持っていて、

それがパートナーの言動により邪魔されたことにストレスを感じているならば?

そもそも誰のせいでもないのだが、

以前よりも相手を責める気持ちが少し和らぐのを感じた。


そして、その自分の中にある、特定の強いこだわりは、

もしかしたら、何かの特技をさすサインなのかもしれない、

と考えるようになった。


パートナーとの結婚生活で、

いつの間にかコンプレックスとなってしまった

「真面目」「先を読んで人を気遣う」「ルールやプロセスに従う」

などの自分の特性を

特技や自分にしかできない自信に置き換えることに

チャレンジする勇気をもらえた本書は、


自分のコンプレックスに悩んでいたり、

コンプレックスではないのに

コンプレックスだと決め込むことで苦しくなっていたり、

特技が分からない方におすすめの一冊だ。


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