27.七転び八起きな負けん気の強さ
ばあちゃんは、介護といっても程度が低くて、割と自分で動けていた…というか、なんでも自分でやろうとするところがありました。
また、祖父が亡くなってからは一人暮らしして、自由にしていました。
そのため、倒れた後は医師やケアマネージャー、施設スタッフの人たちからも『一人暮らしはちょっと…』と、私たちとの同居を勧められましたが、本人が『たって一人暮らししたい』と切望しました。
ですから、ヘルパーさんやデイサービス、地区のミニデイなどにお世話になりながら、母姉妹が交代でばあちゃんの元へ通っていました。
ですが、自宅にいると1人になりたがって、母達に「もう帰っていい」と追い払うようなことを言って、しょっちゅう母姉妹を立腹させていました。
最初の頃は、割と自由に動けていたので、みんなでブツブツ言いながらも放任していましたが、私たちの目を盗んで、いろいろやらかしてくれました。
例えば…
お風呂に入っている裸になった姿に、見慣れない痣を見つけます。
ぶつけたり転んだりしても、「なんで!」「どうして!」と行動を責め叱られるから言うのが嫌で、自分なりに内緒にしている訳です。
しかしながら、元気だった高齢者が動けなくなる筆頭である転倒は、周りの人間がどんなに気配り目配りしても、ひょんなことで起こります。
テレビ番組でもそんな情報ばかりが、日常的に知識として入ってきますから、ばあちゃんには申し訳ないけれど、とにかく口うるさく「危ない!」とか「後退りしないで!」とか「ほらほら!」等々言い続けていました。
ちょっと言葉が通じ出した幼児と同等の扱いな感じです。
「わかってるよ!そんなに言われねぇたって大丈夫だよ!」
自分の失敗を認めたくないばあちゃんから、逆ギレされることもたびたびでした。
そんなお互いのヤキモキした緊張感は、年を越した直後になぜか緩むようで、コロナ禍になる前の数年間は正月が過ぎて、1月中旬の私の誕生日頃までに、なぜか1人で自宅にいる時に転倒して、毎年救急車で運ばれていました。
「今年は大丈夫かねぇ?」
それが正月の合言葉でした。
「むーちゃんが年取るのと、ばあちゃんが転んで入院するの、どっちが先かねぇ」
そんな冗談も出るほどに、まぁ毎年毎年、本当〜に期待通りに?裏切って?転んでまして、おかげさまで病院もあちこちお見舞いに行ったり迎えに行ったりして、私もいろいろと病院の最新設備を覚えました。
ある年は、ばあちゃんちへ徒歩で行った母に電話で起こされて、起きるのが遅い私は朝飯抜きの支度最小限にして車ですっ飛んで行き、救急車が向かう病院へ同行して、昼近くなってもばあちゃんの検査が終わらないため、売店でお弁当買って、待合室でもそもそと食べたこともありました。
最後に転んで入院した後、いつもの施設でリハビリ入所した後の正月は、インフルエンザ流行やコロナ禍で施設滞在していたので、スタッフさんが面倒見てもらえてる安心感で、ちょっとだけのんびりした正月を過ごせました。
そんな毎年恒例骨折があっても、それをリハビリで乗り越えて、晩年、亡くなる前の春ぐらいまでは、なんとか歩けていたばあちゃんは負けん気が本当に強かったんだなぁと思います。
私は、そこまでの負けん気はたぶんないので、年を取ったら転ばないよう、予め気をつけて行こうと思います。
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