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10.初めて身につけた見守り介護の技

脳梗塞で入院、リハビリを経て、自宅に戻りたての頃、すぐ近くの川の土手まで一緒に散歩したことがありました。
その川岸で、近所の人たちと畑をしていたので、それを見たがりました。

入院中に話していたのは、大豆を植えてあって、退院する頃にはできあがっているだろうから、それをみんなで刈り取ってきてくれたら、自分がリハビリ代わりに豆を鞘から出すんだということでした。
そのため、自宅に戻ってほどなく、私と母と叔母で、ばあちゃんが作っていた畑へ収穫へ行きましたが、大豆はカラッカラに枯れて鞘も干からびていました。
他の野菜が少しあったので、それを収穫しましたが、急勾配でガッタガタの石段を、収穫した野菜を持って昇り降りするのは息切れする程キツくて、「こんなところでやってたの⁈」とみんなでびっくりでした。

家に戻って、大豆は全滅していたことを伝え、他の野菜を見せてみたけれど、なんとなく納得いかない様子。
本当なら自分で行って、畑を再開したいぐらいなんですから、私達がばあちゃんに畑をさせたくなくて嘘をついていると捉えられていたようです。

ばあちゃんは、病気した高齢者とは思えない回復をしたのに、健康な頃より不自由になった体の現実をあまり受け入れておりませんでした。
14年半の長きに渡り祖父を介護をし、そして看取った後は、カラオケ、グランドゴルフ、フォークダンス、編み物、旅行、庭仕事に土手の野菜畑。そして毎日のように自転車で飛び回っていた、あの至福の時間をもう一度できると思っていたようです。

ところが現実は、私達にあーだこーだと捲し立てられ禁止されて、楽しみにしていたなにもかもができないもどかしさで溢れていたんだと思います。
当時の私は「病気なんだから仕方ないじゃん」と受け流して、気持ちに寄り添うことはしませんでしたけど。

土手まで二人で歩くなんて、子どもの頃以来でした。
あの頃と立場は変わりましたが、土手に上がる石段まで着くと、ばあちゃんはため息をつきながら言いました。

「あのさ、土手の畑行きたいんだけど」

ガッタガタの石段を昇り降りなんかできっこない体です。

「無理だよ。やっと歩けるようになったんだから。この前、私らが野菜は採ってきたじゃん。もう何も残ってないよ!」

「なんでこんなことになっちゃったんかなぁ」

そりゃ、あなたが健康にちっとも気を遣わなかったからです…とは言えません。

「庭があるんだから、もう畑は庭だけでいいじゃん」

そう言っても、やはり納得いかない様子だったので、これは体感してもらわないと一生わかんないかも…。
私は怒られるの覚悟で、こう言いました。

「じゃあさ、私が絶対支えるから、この石段、一段だけ試しに上がってみなよ。練習!それで土手まで行けるか。ここを上がれなきゃ行けないんだから」

そう言えばやめるかなと思ったら、ばあちゃんは上がることにチャレンジしました。
結果的には、足がふらつき、まずひとつ上の石段までも上がりませんでした。
ばあちゃんはハァハァ息を切らし、その石段にへたり込みました。
それでやっと川岸の畑へ行くことは諦めてくれたようでした。

鬼でしたね、私。
自分でもそう思いますが、ごねられた時は余程の危険がない限り、チャレンジはしてもらって、そこからばあちゃん自身で判断してもらうやり方は、私が最初に身につけた見守り介護の技だったかもしれません。

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