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<音楽のプロを目指す方へ>その2

このシリーズは2015年春~初夏、FB上にアップした記事の再掲です。

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音楽でのプロを目指すなら、これは知っておこうよと言うシリーズ第二弾です。

その1を読んで頂いたプロミュージシャンの方から、「いや今どきこういう事をいう人が少なくなったから、良いと思う」と言われウザイでしょうがお暇ならお付き合いを。

今回もやはり長文ですので、お時間のある時に。

似たような内容だし、たいした話ではありませんよ笑。

では、あまりに馬鹿げたベタな質問を幾つか。

1.あなたはビートルズを知っていますか?

 A:もちろん知っている

 B:知らない

2.ビートルズで好きな曲はありますか?

 A:当然ある

 B:特にない

3.ビートルズの名曲と同じレベルの曲を書ける自信がありますか?

 A:そんなものある訳がないが、頑張る

 B:曲は知らないが自分だったら書けるかも知れない

Bが一つでも有ったシンガーソングライターやってる人で、書いた曲が一曲でも売れたらその方は天才です。

たまに音楽やってる若い人で、ビートルズの事を「んー名前は知ってます」とか「何曲かは知ってますけどちゃんと聴いてません」とか、ごくまれに「いやビートルズとかに影響されちゃうとあまり良くないかなーと思って、あえて聴いてません」とか言う人が居るんですよ。

音楽を趣味で割り切ってやってる人ならまだしも、それで売れたいとかプロになりたいとか言ってる人は、僕には意味が判らないのです。

別にビートルズを神聖視したり特別扱いするつもりは毛頭ありませんが、どんな音楽やっててもビートルズから何も得られないと思っているのなら、さらにビートルズですらちゃんと聴いてないのなら、ホントにさっさと音楽止めた方が良いです。

単に分かり易い例としてビートルズを挙げましたが、それがボブ・ディランでもローリングストーンズでもスティーヴィー・ワンダーでもエルトン・ジョンでもカーペンターズでもクイーンでも同じなのです。

それがバッハやガーシュインやコルトレーンやバート・バカラックやプレスリーやB・Bキングに広がればなお良いです。

「懐古趣味」と言われようが、また「温故知新」の押しつけかと思われようが、知ったこっちゃありません。

音楽で売れたい、プロになりたいのならば、当然聴かねばならない音楽があるのです。

大工になりたいのならば、ノミやカンナの使い方を知らないと出来ないのと同じです。

あなたが若かろうが、他のミュージシャンの音楽をどれだけ多く聴いていようが関係ありません。

画家になりたい人が、筆の使い方判りません、ゴッホやピカソの絵を見た事がありません、青紫色や橙色は知りませんとか言えますか?

使う、使わないは勝手です。しかし「知らない」は許されません。

そんなの知らなくても売れてる若い子達も居るし、時代が変わってるんだから別に聴かなくても関係ないでしょ?と思う方もいるでしょうね。

そう思う時点で、あなたはプロには向いていません。

数百年の歴史を持つ楽器を、人間が自らの体のみで駆使して作り上げた、努力の結晶である本当に良い曲や、良い演奏がきちんと聴かれなくなっています。

たかだか30年程度のデジタルテクノロジーに、利便性だけにしておけば良いものを魂も捧げてしまったかと最近は疑いたくなります。

ホンモノを知って無ければ、シミュレートした物は所詮ニセモノです。

なので良い曲が生まれず、まともな曲や演奏が評価されず売れず、正常な音楽市場が廃れつつあるのです。

ボカロだろうがアニソンだろうがアイドル物だろうが、売れた曲は全て過去の偉大な楽曲やジャンルの影響から免れていません。

それは作った人たちが一番良く判っています。その方々は上述したミュージシャンの楽曲を嫌と言うほど知ってます。もしくはそれらの楽曲やサウンドをルーツとした音楽を聴いて来ています。

Q:あなたは音楽の天才ですか?

「はい、そうです」と答えられる方はまあそんなにいないでしょう笑。

その昔、人間はだれでも一生のうち一曲は天才的な名曲が書ける、と言う話を聞いた事があります。またよく一発屋と呼ばれる一曲のヒットで消えていったバンドやミュージシャンが数多くいます。その曲は「売れた」わけですが、彼らは残ってはいけませんでした。

よく昔から売れ続けている人を天才と評する事があります。

本当でしょうか?

「天才的」な曲というのは存在しますが、それを作った人が全て音楽の天才という訳ではないのです。

ビートルズのジョンとポールは天才だと昔は僕も思ってましたが、最近実はそうではないのかもと思い始めました。

エジソンの名言とされる「天才とは1%のひらめきと99%の努力である。」と言う言葉。

これ実は誤訳で本来は「1%のひらめきがあれば、99%の無駄な努力をしなくてもよいのだ」という事を伝えたかったそうです。

1%のひらめきがあれば、名曲が作れます。

しかし曲を作るたび毎回1%のひらめきが起きる訳がありませんね。

そのひらめきを得るために何が必要で、どんな努力をするのか。

それを考え実行する人が「プロ」になれ、「名曲」を作り上げる事が出来ます。

ひらめきは必要です。でも何も持たない人、得ようとしない人にはひらめきは生まれませんよ。

点数を付けたりするのは音楽にそぐわないですが、あえて言えば10曲書いたうち「90点」の曲が一曲有ってそれが売れ、残りが「60点」以上ならばしばらくは売れ続けられるでしょう。

もし一曲でもひらめきにより「120点」の曲が書ければ「天才」と呼ばれるかも知れませんね。

その代わり「30点」以下の曲しか書けなくなったら才能が枯渇したので補給しなければなりません。

まあその点数は誰が付けるのかって思うでしょうね?でもね、点数は付くんですよ、あなたも含めた不特定多数のリスナーによって。

この話は主に楽曲を作る場合に当てはまります。ではさらに唄を歌う、楽器を演奏する、編曲をする、制作に関わる、音響の仕事をする、そんな人たちはどうでしょうか?

100回唄わせたら一回だけ天才的な歌唱力を発揮し、残りはたいした事無い、そんな歌手は存在しないし、売れるはずはありません。

常に高いレベルで安定した歌唱力や演奏力や作業力を持てる方々に仕事が来ますし、売れる可能性が高いでしょう。

多少の才能が有り、その仕事が好きであること。

そういう方が死ぬほど練習したり、一生懸命仕事をすれば実は追いつけたり、表現出来るんですよ。音楽が体に入ってさえいれば・・。

「天才」なんて自分が追いつけない事象に対し、努力が足りなかった誰かが都合良く付けた呼称ではないのかとさえ、思ってきたのです。


さて、その1でも4点ほど挙げましたが、僕が知っている「売れ続ける」「仕事が来る」、そんなプロミュージシャンや、(いわゆる)アーティストと呼称される方々や、プロのスタッフには共通項があります。今回も幾つか。

*博学である

プロとして音楽で生計を立てている方々は本当に色んな事を知っています。

売れていれば売れている人ほど博識なのです。

政治経済・社会状況はもとより、歴史、科学、メディア、古典、コンピュータなどなど。どんな話でも食いついて広がっていきます。とりわけ地方の美味しい店の話になったら止まりません笑。

そしてある一つの事柄に関しては、必ずマニアの域に達したものを持ってます。

プラモデルや車やバイクや時計や靴や服やスポーツやオーディオや電化製品など多岐多彩、ただ女性はその方向は少ないです笑。

まあプロのプレイヤーは、楽器・エフェクターに関して確実に全員マニアですね。

山下達郎さんは6万枚のアナログアルバム・CDを自宅に持ち、さらにその全てを聴いている圧倒的な音楽マニアである事、また古典落語のオーソリティである事は良く知られています。

ただ他にも、ワインセラーを自宅に持つ筋金入りのワインマニア(イタリア産がお好きらしい)でもあり、世界史、特に現・近代史に関しても相当詳しいと自慢さえする方なのです笑。

昔、一緒にお酒飲んでる時に軽い気持ちで「達郎さん、今のドラムキットってどうやってあのスタイルになったんですかね?」と尋ねたら延々30分くらい、その生い立ちと変貌の歴史、意味を説明してくれました笑。

「君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ」

手塚治虫氏が若きトキワ荘のマンガ青年たちに語った言葉だそうです。

漫画と音楽を入れ変えれば良いだけの話ですね。

*柔軟性を持っている

80年代前半くらいまでは、アメリカや日本でバンドやシンガーソングライターと言えどもプロデューサーとの連携が当たり前でした。

当時のプロデューサーは欧米ではミュージシャン(アレンジャー)やエンジニアで、日本ではレコード会社の制作スタッフであったり、フリーのプロスタッフでした。

日本の場合アレンジャーはその音楽的な編曲機能を重要視され、レコーディングする楽曲選定に関してはスタッフであるメーカープロデューサーやディレクターの範疇でした。

欧米と日本で共通して言えるのは楽曲を直しまくった事です。

ある程度良い曲であれば詩のモチーフやサビのインパクトはそのままに、その楽曲を「売れる」作品にするためありとあらゆる所に手を加えるのです。

第三者の視点で楽曲を俯瞰して判断するのは重要な事です。

プロの作詞家・作曲家は数度の「直し」は当然で、シンガーソングライターの楽曲も出来上がりそのままでOKというのはまれでした。

彼らは自分が書いた作品をその時点で最高だと思って提出します。

しかし自分では判らない齟齬や弱点を発見され指摘されると、柔軟に改善するのです。

前述した「60点」の曲がそのおかげで「80点」に変貌します。

とはいえ解釈の違いで喧嘩になる事もよくありました。

しかしそのやりとりが楽曲のクオリティを上げていったのです。

本物のプロはメロディにしても歌詞にしても、振れ幅を持って提出して来る場合も多かったのです。

良いチームが沢山ありました。まるでバンドの様でしたね。

ただその後、プライドの高いアマチュアが運良く売れた場合、「直し」やそのような指摘を嫌がるようになります。

またきちんと解釈出来る変更すべき理由と説明を、整然と行なえるプロのスタッフの方が現場から離れて少なくなりました。

そして超有名プロデューサーの時代と変わり、完成品に近いデモをあがめる風潮になって本来の「直し」は消滅して行きました。

*譜面が読める・書ける

何を当たり前の事をと思うでしょうが、譜面はプロミュージシャンにとって共通言語です。

楽器を弾いてお金を稼ぎたいのならば、まず自分で他者が誰でも演奏出来る譜面を書いてみて下さい。

どんな譜面かで演奏にも差が出てきます

知ってる曲ならまだしも知らない曲は譜面が演奏の命です。

分かり易さを求めるのか、コンパクトさを求めるのか、現場によって変わりますし、譜面を書く人の経験値が如実に表れます。

プロを目指す方は機会があればプロが書く譜面を見て、違いに気がついて下さい。

特にシンガーソングライター志望の方に強くオススメします。

コード譜で構いませんので、出来れば自分で譜面を書いて演奏の場を作ってみて下さい。楽曲の不備が見えてきます。

かくいう私は譜面を読めもしませんし、書けもしませんが笑。

*難聴である

全員がそうではありませんが、プレイヤーにはかなり多いです笑。

RECでもライブでもそこまで必要か、と言うほど爆音でモニターするプロは、特に古い方には多いですね。

必定、難聴に向かいます。

ただ爆音で聴く事によって得られる感覚は必ずあるのですよ。この話は重要なのでまた次回にでも。

しかし今どきの人は爆音なんてライブ以外ではなかなか聴かないでしょうね。

ライブはプレイヤーとPAエンジニアの音を受動的に受けるしかありません。ただそれが常に良い演奏と良い音とは限りませんよね?

自分の個人的環境で爆音を受け止めるためには良いオーディオと良いスピーカーまたはヘッドフォンが必要になります。

売れたい、プロになりたいのならいつまでもイヤフォンで聴いていてはダメなんですよ。

またも長くなったのでこの辺で。

今回も長文お読み頂き、ありがとうございました。

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